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白トラ参3 宿題はしてない(笑)

 脳がデカいのでそれなりに頭がイイはずだが、高校の成績は振るわなかった。小学校の時の成績は小6の頃の通信簿では言葉遣い・態度意外は非常に良かった。あの頃は教科書を読むだけで十分で、宿題は一切やらなかった。
 だから良く怒られたし、中学高校で漢字で点数が取れなくなった。

 学校の宿題より、ず~っと工作したり、絵をかいたり、プラモデルを作ったりしていた。延々何か作っていた。
 一切しなかったわけじゃない、気が向いたら少しはやった。
 珍しくやっていると、母がほめてくれた。しかし、やらない日々はまた始まる。

 中学の時は夏休みの日記を一度も書かずにノートを提出して、多くの生徒から恐れられていた担任の先生から「オレに対する挑戦か?」というセリフを引き出したこともあった。
 呆れかえった先生は怒らなかった。

 そうえいば、幼少期~大人になってもず~っと持ち続けている観念がある。

 それは、『人と何か違うことをしなければならない』という途方もないこだわりである。呪縛と言ってもいい。それは家族間でも兄弟間でも例外なく、仕事においてもだ。

 その頃から『無いが在るに変わる』ことを人生観の主軸に生きていたのかもしれない。
 この『無いが在るに変わる』という具体的な表現は、31~2歳にしてようやく見い出したワードだった。矢追純一さんの前で『無いが在るに変わる』ことが重要であると持論を展開した時「いいことに気が付いたね」と矢追さんからお褒めの言葉を頂いたことがある。が、それはさておき‥

 つづく