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星野源『くだらないの中に』

人は懐かしい歌を聴くと、その頃のことを思い出したりする。
 
それはメンタル・タイムトラベル(心的時間旅行)といって、五感からの刺激をきっかけに過去の記憶が蘇るのだそう。
ただ思い出すよりも、音楽を聴く等の何かしらの刺激で過去を再体験する意識状態になるため、思い出す記憶がより鮮明になるという。
 
 
2011年3月11日。
当時、都内の高校に通う学生だった。あの瞬間、何が起こったのかすぐには理解できなかった。
 
当時、僕は生徒会に所属していて、翌日行われる卒業式の段取りを話し合っていた。
それも落ち着き、生徒会室には明日卒業する先輩たちも遊びに来てくれて、みんなで談笑していた。傍から見ても、僕たちはとても仲がよかった。
 
そんな時、大地震が起こった。
14時46分。なんの変哲もないのに、時計がこの時間を指しているのを見ると、未だにこの日の記憶が蘇ってしまう。

かつて経験したことのない揺れにパニックになりながら、必死にテーブルの下に隠れる。ほんの数秒前の笑顔が、急用を思い出したかのように僕たちの前から姿を消していた。
 
「明日の卒業式、もしかしたら延期になるかもしれません」

深刻な顔をしてそう告げた顧問の先生。新卒で教師になったと聞いた覚えがあったから、当時23歳か。今の僕よりだいぶ年下なのにすごいや。僕はどんなに年を重ねても、あんなに気丈には話せないだろう。
 
まだまだ駄弁るつもりだったのに。今思えば、そんな幼い思いを抱えながら、やむなしといった雰囲気で僕たちは解散した。

「明日、またいつものように会えるのかな」

帰る方向の同じ、特に仲のよかった先輩と後輩の3人でトボトボと歩き始める。
数分後。なぜだか僕たちは、帰り道に通る公園の隅っこにいた、怪我をした飼い猫と思われる猫を拾って、その飼い主を探していた。

なぜそうなったかの経緯は、今ではきれいさっぱり忘れてしまった。ただ、僕以外の2人が無類の猫好きだったことは未だに覚えている。
 
途中、歩き疲れて立ち寄ったコンビニ。余震のせいで棚から一部商品が落ちていたり、大量に食料を買い出す客を見かけたりして、今日は非日常であることを強く思った。

そうした光景の中、店内にはメジャーデビューしたての新人歌手の歌が流れていた。普段は気にも留めない有線に、僕は聴き入った。後日、その歌が星野源の『くだらないの中に』ということを知った。
 
歌詞から察するに、日常を生きる男女のことを歌っているのだと思うが、当時の僕には、「当たり前なんてこんなに簡単に崩れてしまうけど、それでも何気ない日常を大切にしようよ」そんな歌に聴こえた。
 
結局、猫の飼い主は見つからず、交番に届けた。
その後、どうやって僕たちは別れたのだろう。記憶が断片的になっている。
 
すっかり日が沈んだ時間に家に帰ったが、家には誰もいなかった。
床には本や雑貨等の小物類が無造作に落ちていて、テーブルの上の食器やハンガーにかかっていたはずの服も散乱していた。あの地震は夢でもなんでもない。現実のことだった。
 
連日流れる東北の現状。お通夜のような雰囲気が不気味でテレビを消した。
気晴らしにネットサーフィンをしてみても、信じられないような言葉が無表情に並んでいて、すぐにそのブラウザを閉じた。

 
結局、僕はこの歌の元に帰っていた。
この歌を聴くと、今でも鮮明に思い出す。
 
崩れゆく街で怯えていたあの猫は、無事に飼い主の元に帰ることができただろうか。
結局、予定より遅れて卒業式を迎えた先輩たちは、今も幸せに暮らしているだろうか。
僕たちは、あの大震災を忘れていないだろうか。

12年半も昔のことなのに、あの日抱えていた気持ちは昨日のことのように思い出せてしまう。
あの頃大切にしていたもの。今はまだ覚えていて、振り返るたび胸を締めつけられるけど、そんな小さな思い出も、いつか跡形もなく消え去ってしまうのだろう。

 
毎日、くだらないことばかり話していたけれど、あれが当時の僕のすべてだった。
今、毎日気難しい顔ばかりして、一体何が楽しいのだろう。
 
まあ、いいから駄弁ろうぜ。
そんな風景を思い出す。みんな元気かな。久しぶりに旧友たちに会ってみたい。


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