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三木孝浩監督作品『ソラニン』

今時の若い人は知らないのかもしれない。
それでも、この映画のことは書いておきたいと思う。そう思ったのは、今年も変わりなく春が訪れようとしているからだろうか。
 
2012年3月。
もう12年も昔になるとは、僕もどうりで年を重ねるわけだ。
当時在籍していた高校では現役で進路を決める人が大半で、僕のように大学浪人の道を選ぶ人間はごくわずかだった。
今でも鮮明に覚えている。高校の卒業式、みんなクラスメイトとの別れを惜しんで涙を流していたけれど、当然その気持ちはあったけど、それよりもなにより「僕の青春は今日をもって終わるんだ」というむなしさの方が強かった気がする。
 
来年の桜を笑顔で迎えるためにと、親が大金を払ってくれたおかげで入れた予備校での勉強もろくにせず、僕はあろうことかTSUTAYAで借りた映画ばかり観ていた。よくこんな状態で翌年に当時志望していた大学へ入学できたものだと思う。当時はある意味自暴自棄で、将来の自分に期待などまったくしていなかった。
 

出会った頃の私たちは、心細くて不安もあったけど、いつもどこかでワクワクしてた。

映画『ソラニン』冒頭シーン


そんな堕落した生活真っ只中に観たのが、浅野いにお原作の同名漫画を実写化した『ソラニン』。メガホンをとったのは、今や“恋愛映画の巨匠”とも呼ばれる三木孝浩。同作が初監督作品となる。
ストーリーの主軸になるのは、大学を卒業して社会人なりたての男女、種田成男(演:高良健吾)と井上芽衣子(演:宮﨑あおい)の恋模様と2人を取り巻く人間ドラマ。
 
社会に不満を持ちつつも、会社に就職し日々を過ごす芽衣子は、どうしても明るい未来を思い描くことができず、勢いで会社を辞めてしまう。
一方、芽衣子と同棲する種田はデザイン事務所のアルバイトをしながら、大学時代のバンド仲間である加藤(演:近藤洋一)、ビリー(演:桐谷健太)とともに音楽活動を細々と続けていた。

しかし、種田は次第に自身の才能は平凡だと悟ることになる。そんな種田に対し芽衣子は「バンドを続けてほしい」と思いをぶつけ、その一言がきっかけで種田はアルバイトを辞めて再びバンド活動に熱を入れ始め、新曲『ソラニン』を制作する。
 
そのデモCDを聴いて、あるレコード会社から声がかかるも、それは新人グラドルのバックバンドとしての依頼だった。
芽衣子はつい種田よりも先にその話を断ってしまい、それ以降、ほかのレコード会社から声がかかることもなくなってしまう。

ある日、種田は出かけたきり家に帰ってこなかった。数日が経った頃ようやく連絡があり、一度退職したデザイン事務所で再度働き始めたこと、そして「音楽で食えなくても君がいれば幸せなんだ」と電話で芽衣子に伝えるが、その帰り道に種田は交通事故に遭い帰らぬ人となる。
 
失意の数ヶ月が過ぎたある日、芽衣子の元に種田の父親が訪れ、「息子を忘れないでやってほしい」と言い残す。やがて芽衣子は種田のギターを手に取り、加藤とビリーとともにバンドを再開。そして、ライブハウスのステージに立ち、種田の残した曲『ソラニン』を歌う。
 
 
夢破れ、たとえつまらなくても大切な人と暮らしていくために仕事をし、日々と向き合おうとする。
その種田の姿が、僕の心の至るところに刺さった。夢ばかり見るのも幸せだけど、そんな時間は決して長くは続かない。

受験に失敗し、かつての友人たちが華々しい大学生活を謳歌する様子ばかり羨ましがって前を向けなかった当時の僕を励まし、楽しいことしかなかった高校時代にさよならして、新しい一歩を踏み出す勇気をくれた。
未だにこうして思い出しているわけだから、それはもう心の指針になっているといってもいい。
 
そして、あくまで応援する立場だった芽衣子が、種田を想って『ソラニン』を歌い上げるまでの物語にも、強烈に胸をしめつけられた。
芽衣子自身、種田が夢を叶える姿を見てみたかっただろうし、夢を追うのをやめても2人で幸せに暮らす未来を楽しみにしていたはず。いなくなってしまった種田が芽衣子に遺したのは、楽しかった日々の思い出と愛用していたギター、そして『ソラニン』という楽曲だった。

昔 住んでた小さな部屋は
今は他人が住んでんだ
君に言われた ひどい言葉も
無駄な気がした毎日も

あの時こうしてれば あの日に戻れれば
あの頃の僕にはもう 戻れないよ

たとえばゆるい幸せがだらっと続いたとする
きっと悪い種が芽が出して
もう さよならなんだ

KKBOX,“ソラニン-歌詞-ASIAN KUNG-FU GENERATION”,https://www.kkbox.com/jp/ja/song/9_LBAxkOL75jLeyeqQ

実際にはASIAN KUNG-FU GENERATIONの14枚目のシングルとしてリリースされた同曲。原作漫画の『ソラニン』に登場する歌詞を一部編集し、それにメロディをつける形で制作された。

こうして歌詞を確認すると、まさに種田と芽衣子の行く末を歌っているようにも見えるし、新たな人生を生きようと過去に別れを告げる歌のようにも思える。
そして、僕の場合、聴くたび10代の頃の思い出と青春の終わりを感じるのはこの曲だけだ。イントロを聴くだけで懐かしさが込み上げてくる。

終盤、『ソラニン』を歌う芽衣子の姿に不思議と種田が重なって見えたのも、この曲こそが2人の青春そのものだったからじゃないかとも思う。
互いの想いをぶつけ合い、傷つけ傷つけられ、そんな時間を途方もなく重ねて、ようやく幸せに生きていこうと決心がついたところで、もう会えなくなってしまう。種田と芽衣子の脆く儚い青春全部が、『ソラニン』という曲には確かに宿っている。

種田の夢を奪ってしまったと自分を責め続けていた芽衣子が力強く、そして名残惜しくも清々しく別れを告げるように『ソラニン』を歌い上げる姿には、2人の青春の終わりがもうすぐそこまできていることを予感させた。
そして、過去でも未来でもなく、種田との日々でも誰といるかわからない将来でもなく、今この一瞬を奏でる芽衣子が美しいとすら思えた瞬間だった。

 
作品のタイトルであり、作中のキーワードでもある「ソラニン」とは元々、ジャガイモの芽の毒を表す言葉。
若いうちは好きなことだけして楽しい毎日を過ごせても、その夢が叶わぬまま年を重ねてしまうと、いつしかそれが自分にとって毒になり得るかもしれない。その毒が全身を駆け巡る前に、僕たちは自らの手で青春を終わらせなきゃいけないのかもしれない。

それは寂しいことだけど、永遠には続かないからこそ、どれほど時を重ねても何にも負けないくらい輝いて見える。その思い出があるだけで、この先どんな辛いことが起きようとも、僕たちはきっと前に進んでいける。

そんな風に思えるのも、楽しかった日々ばかり振り返って今を生きていなかったあの頃に『ソラニン』と出会えたからだと思う。
青春の一欠片のようにいつまで経っても忘れられない、永遠に色褪せることを知らない、唯一無二の青春映画だ。


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