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ゲームはしない派だけど、自分の人生をゲームする派です。


年明け早々、中学時代に一緒にサッカーをしていた友達と焼肉を食べに行きました。
帰りの道中、昔していたウイニングイレブンの話で盛り上がっていた時に

かいとってあんまりゲームしないよね。

友人より

と、言われて、「あ、俺昔からそうだったんだ」と気付きました。
たしかに昔からゲームあんまりハマらず、唯一ハマっていたのがウイイレでした。
ピクミンやどうぶつの森、ポケモン、メタルギアソリッドなど幅広く一通りやってみたけど、結局それほど長くは続かず今では全くゲームをしない生活を送っております。
スマホの中にはゲームアプリが1個もない、という他の人からしたらつまらないiPhone8です。

ところで、ゲームが面白いのはすごくわかるんだけど、やる気が起きず、27歳を迎えました。

私はゲーム否定派ではありません。

ゲームしない派です。

ボードゲームはめっちゃします。ボードゲームは大好きで寝ないでやる日が週1回あってもいいなと思うくらい好きです。(コミュニケーションが生まれるのが好きです。)

またやりたいなぁカタン

ただテレビゲームやスマホゲームはもう子どもが生まれて、一緒にやる時が来るまでやらないと思います。その理由について今日は述べたいと思います。

ゲームってなに?

すでに挙げたようにゲームはたくさんあります。

そこで、改めて調べると、
Wikipediaには、

ゲームは、勝負、または勝敗を決めること。守るべきルールがあり、環境または他人との相互作用を元に行なわれる活動である。

Wikipeediaより

んー、何となくわかるけど、ちょっと難しい。
さらに読み進めると、

という本があるらしく、

「ゲームとは目的を達成する為のルールに基づいた敵との楽しい闘い」と定義した。さらに、この定義に基づき「目的」「ルール」「敵」をゲームの三大要素だとした。

『人生ドラクエ化計画』

と書かれているようです。(まとめ動画観たくらいなので今度ちゃんと読みたい)

小学生の頃、熱中していたポケモンには、3匹のポケモンの中から1匹選んで(ルール)ストーリーが始まります。

僕はミズゴロウをよく選んでいました。

様々なポケモンと戦い、経験値をためてレベルアップし、ポケモンを捕まえる。そして、四天王を倒し「チャンピオンになる」という最終目標がありました。

目的:四天王を倒し、チャンピオンになる。
ルール:ポケモン同士で戦う。ポケモンはそれぞれ属性をもつ。
敵:道端に現れるポケモン・他のトレーナー

ポケモンの特徴をまとめるとこんな感じ。

ただ、あることをきっかけに小学生高学年あたりからゲームをやらなくなってしまいました。

チートという裏技

当時は「チート」が流行っていました。ポケモンサファイアをやっていた僕は友達がほとんど99レベル(100レベルがMAX)であることを知り、「え!つよ!なんでなん!!」と聞きました。「すると、え?知らないの?チートだよ。チート使えば、すぐレベルアップするよ」(チートとは、不正な改造(いかさま)です。)

今までの俺の努力とは…

と、心の中でプッツンとゲームに対する情熱が冷めたことを未だに覚えています。(これを「挫折」というのかもしれません。)

レベル100になった結果も大事ですが、レベル100になるまでの過程(ストーリー)こそ醍醐味という価値観がゲームには必要ないんだ、と気付かされた瞬間でもありました。

私は「プロセス」を楽しみたい人間なので、チートができない人生をゲームするようになりました。

人生にはチートがないから面白い

生まれ持った環境・能力、そして、コネなど、パッと思い浮かぶチートがありますよね。たしかに生まれ持った「差」はあれど、持ち合わせているモノが自分次第で強みもなれば弱みにもなるのが人生です。
元教員としてすごく客観的に見れば、裕福で順風満帆な家庭で育っていそうに見えましたが、その人はその人なりに苦しんでいる場合は結構あります。

ここで言うチートというのは、
「ある注射を打てば、いきなり100m9秒台で走れる。」
「ある日、神に与えられたお告げにより、あなたは総理大臣になる。」
「昨晩の夢で見て、いきなり円周率50桁言えるようになった。」
みたいなことで、
まあ、上記のことは、0.00001%くらいの確率でしか起こらないはずです。ましてや、チートしたくてチートなんてできません。

どれだけ足が速いやつも、
どれだけ偏差値が高いやつも、
どれだけキレイな人でも、
いきなりなった訳ではなく、目の前にある事象やその人は一定期間ある目標に対して時間をかけてきた結果であることは間違いなく言えます。
クラスに1人はいる勉強しないアピールをしているアイツもどこかで何かしらの努力(努力を努力ともっていない説ある)をしています。もちろん、そのかける労力と時間は人によって差があります。

ただ、労力と時間をかけないと結果が生まれないところに僕は人生というゲームの魅力を感じました。

人生の設定はいつでも変えられる

目的:自分で設定。
ルール:法律<自分の中にある指針
敵:過去の栄光、弱い自分

人生というゲームの世界観

初期設定は生まれた時点で異なります。貧困家庭に生まれたか富裕層に生まれたかがその後の人生を決定するか、というと、絶対にそうではありません。過去ばかり見て、「私はこの家庭に生まれたからダメなんだ」と思うのか、「私はこの家庭に生まれたからこそ、わかることがある。がんばらねば。」と思うのか、どっちにも捉えることができます。高校時代、ベトナムの孤児院にいったときに楽しそうにしている子どもたちを見て、現状を受け入れ、全力で今を楽しむって大事だなと気付きました。

今までどんな状況で育ってきたとしても、たった今から「目的・ルール・敵」を自分で設定し直せます。だからこそ、人生は面白いと思いました。世間一般的な「目的・ルール・敵」を捨て、自分なりの「目的・ルール・敵」をどう作っていくか。ここから始まる人生がドキドキ・ワクワクして仕方ありません。

次回から「目的・ルール・敵」についてそれぞれnoteを書いていこうと思います。

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