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# 己のキャパシティの限界を迎えること

今週は、疲れた。

かなり意識的に自分を追い込んで、自分の使える時間の限界にチャレンジした。寝る時間を削って作業に没頭した。

これまで、特に〆切がなければこういったことはしてこなかった。ただ、やはり自分がこの場所にきた当初の目的を考えると、意識的に自分を追い込むことも一定必要なことのように思えてきたから、それを行動に起こした。

肉体的な限界にチャレンジをした。肉体のキャパに余裕がなくなってくると、精神的面に大きな影響を及ぼすことを身をもって理解した。

まず、他者への思いやりの気持ちは大きく薄れてしまう。自分のことをケアできていない状態において、他者への配慮は成立しえない、ということだと結論づけた。やはりまずは自分を大切にしないといけない、という観点から言うと、自分という人間はそこまでできた存在ではない、ということだった。

目の前に起こった出来事でしか物事を判断できなくなる。他者の行動に対して、”きっとこんなことを考えているんだろうな”という配慮ができなくなり、他者の行動を自分の物差しでしか測ることができなくなる。自分が普段他人への気持ちを外挿/想像して行動している、ということを体感した。

あとは、やはり無理はできない、ということだろうか。しばらく睡眠時間を削った生活を続けると、そのときには何も感じなかったが、やはり感じていないだけで疲労は蓄積している。週末にゆっくり休んだとき、一気にそれが露出し、自分の体を襲った(体調崩しかけた)。

やはり気持ちで人ひとりが永久機関になることは起きえないわけで、適切な休養を与えつつ、疲労とはうまく付き合って生きていかなければならない、ということを学んだ。

まぁこういったことはどこかで体験する問題なのだろうが、早いに越したことはない。今までも同様のケースは多々あったが、学びを文字に起こすのはこれが初めてなのでこういった形で残しておくことにする。

無理するのって別に悪いことではないと思うんだけど、無理する目的を理解/納得していることは大切だと思う。理不尽な外圧で無理させられているのであれば、その無理は間違った形の努力だと僕は思う。

少しでも多くの無理をして頑張っていらっしゃる方に伝わるといいな、と思いつつこんな文章を残します。

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