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どう生きればいいのかなぁ



この記事は映画「PERFECT DAYS」のネタバレを含みます。

友人からの報告

 ある付き合いの長い友人からDMで近況報告をされた。詳しくは書かないけど、それはその人の生き方をこれまでとガラッと変えてしまうようなことで、それが良いことか悪いことか僕には分からないけどとりあえずおめでたくて「進歩」と言える出来事だと思う。昔からその人は学校で評価されるタイプの人間ではなくてそれなりに苦しい思いをしていただろうから、芸能の道を一歩踏み出したということはその道を歩き続けるか否かに関わらずその一歩は大事な一歩に違いなかった。ずっと考えてきたことだけど、この機会にどう生きればいいのか考えていることを綴ってしまおうと思った。
 読みながら何かのきっかけになれば幸いです。

今までの振り返り

 勉強してそれなりの大学に入り、できるだけ良い企業に就職して家庭を築き、公私共にそれなりの充実を楽しむというのが普通のことだと思っていたし、自分はそう生きるんだなと漠然と思っていた。日々耳に垂れ流す音楽やアマプラで観る映画、美術館に展示してある品々がそうでない人々によって作られたことは理解しながらも、自分はなにか大きなシステムに寄りかかって生きていくのだとばかり思っていた。年齢が上がるにつれ、そういったことが許されているのはそこそこ恵まれた環境に生まれたからだと気付いたし、僕にはそのシステムに寄りかかるのをやめる選択肢があることにも気付いた。そのシステムにしがみつくのは決して楽ではないし、彼らのお陰で社会が成り立っている。もちろん大きな組織に所属せずに生きることは芸術に傾倒することとイコールではない。進路が細分化する過程で常に多数派に属することも、最初に述べたような生き方も、それが自分がする選択について考えた結果出た答えならそれは主体的に生きていないとは決して言えない。でも僕はどうだっただろうか。気付いたら中学受験をしていてそのまま高校に上がり、建築のことなど碌に知らぬまま建築に惹かれるように理系を選択した。一年浪人して希望の大学には行けず、拾ってもらった大学で建築を学べている。こうしてみると今までしてきた大きめの決断は勘によるものだ。理系選択も建築に惹かれたと書いたけど、建築はどちらかというと後押し程度だった。就職は有利らしいし建築って楽しそうだし、その程度だった。大学選びなんかは今少し後悔しているところだ。今いる大学が良くないという意図はなく、ただ自分の肌に合っていないのかもしれないなと感じている。美大と理系大学を比較したとき、入学の決め手となったのは就職が有利だという評価ではなかっただろうか。僕はもし他人なら恵まれておきながらなんてつまらないのだと心の中で唾棄するような生き方をしていた。

やりたいこと

 結局どう生きるか考えるに当たって最初に材料となるのは夢とか目標とか呼ばれてる、自分の中にある指針となり得るものだ。そういう意味では、結婚相手と子供がいて1,2年に1回海外旅行に行って、みたいなものが幸せだと思う人は受験と就職に全力で打ち込めばいい。効率的に物事をこなせる人ならなんなくこの道を選べるんだろうなと思う。どちらかというと僕はそういう家庭で育った。両親は所謂安定した職に就き、息子と娘にお金と時間を使ってくれている。どう生きるかは決して自分だけの問題ではないということ、こと家庭のことを考えるのなら仕事は妥協せざるをえないことが多いだろう。恋人の別れ話にはよくある話で、映画「la la land」も結局はそこが物語の中心に近い要素の一つだ。

(これは余談だけど、この間生演奏してくれるレストランで恋人と食事をしたときに曲はお任せでと言ったら「la la land」のメインテーマ的な曲を演奏してくれたのには他意があるのかと勘ぐってしまった。)

映画「PERFECT DAYS」

※映画のネタバレ注意

木漏れ日in実家

 映画の内容を簡単に説明する。この映画は東京に住む一人の男の、表題通り完璧な日々と呼ぶのに相応しい生活を淡々と描いたものだ。

 トイレの清掃員である男は、早朝に目覚めると植物に水を吹きかけ、缶コーヒーを飲みながら仕事場であるトイレへ向かう。建築家が手掛けたいくつかのトイレでは、誰も気にしないような便器や鏡の細部まで丁寧に磨き上げるという完璧な仕事をこなす。仕事の中で生まれる些細だったり奇妙だったりする交流を楽しむ。仕事が終わると銭湯と昔ながらの居酒屋で少し過ごすと帰宅し、眠くなるまで布団の中で本を読む。夢ではその日見た木漏れ日や起きたことや過去が曖昧に混ざり合って静かに流れる。そして目が覚める……

(気になる人にはこの駄文よりもこっち(公式サイト)をおすすめする。)

 現代でこの生き方を出来る人がどれだけいるだろうか。それも東京で。彼の生活は説明的に要素だけ抜き取れば、例えば年収や住んでいる場所だけで見れば、惨めで充実などありえないように思える。しかしまた彼以上に充実している生活も多くないように思える。木漏れ日のように同じ時は二度はなく、その日を噛み締めるように生きる。今まで生き方は上で述べたように、大雑把にやりたいことを選ぶか、安定と家庭を選ぶかの二項対立的にどちらかを選択するものだと思っていた。どちらにせよ上昇志向が必要で、緩くはない道だ。そこに映画でこの生き方を提示されてしまって混乱してしまっているというのが今の状態である。

雨ニモマケズ

 映画を観ながらこれ何かに似ているなと思ってピンと来たのが、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」だ。

ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/45630_23908.html

 ああ、なんかこれに近いな(雑)。と思った。恐らくこれが岩手という土地で育ち仏教と農業に生きた彼なりの理想の生き方で、現代社会に対応していないより原始的な、生き方の"正解"の一つなんだろう。

締まりのない結論

 当たり前に、どれが正解というものはない。人生に意味があるとしたらそれはどう生きるか模索しながら生きることにあると思うし、もし〇〇な場合はこの生き方がおすすめ!なんてことは言えない。生き方を決めるときに正しさを基準にするのが必ずしも良いとは限らないし、生き方は他人の書いたインターネットを彷徨う記事におすすめされるものではないから。

 今回挙げた映画や詩以外にも、生き方が見えるものというのはたくさんある。小説や映画は勿論のこと、友達や家族も同じように何かを選択しながら生きている。そんなことを考えると頭がクラクラしてくるけど、そういったことに目を向けて、都度ヒントを貰いながら毎日を過ごしてみたい。生活は参照すべき他人の人生によって作られているのだから。

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