一日一名言 No.36 [9月7日(土) 2019年/令和元年]

貴方方の人間性に心にとどめ、そして他のことを忘れよ。(アルバート・アインシュタイン)

アインシュタインって、結構名言、というか深い言葉を残しているんだね。

この言葉、解釈が難しくないか。

人間性さえ心に留めておけば、他のことは意識せずとも問題はない」ってことが言いたいのかな。

けれどこの場合、「人間性」ってところがかなり大切になる。

「人間性」とは何か。

人間にしか備わっていないもの、ということになるならば、俗にいう、優しさとか思いやりとか、共感性とか集団行動がとれる(協調性)ってところになるのかな。

今読んでるフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』では、共感性は一つのテーマとなっている部分に思えた。

他の人やもの、動物に「共感」できることこそが、人間が他の動物と異なる最大の部分であり、アンドロイドに備わっていない機能であると、本の前半ではいっていた。

確かに、と思う。

この共感性こそが、人間の協調性だったり集団行動を可能にしているのかもしれないし、言われてみれば、共感性が高い人は、協調性が高かったり、集団行動を苦にしていない気がする。

対して俺は、、なるほど、確かに共感性に乏しいかもしれないな。笑

感受性、は豊かだと思っている。

涙は流れないけれど、結構感動しやすいタイプだし、映像作品の美しさだったり、旅における様々な発見を楽しんだりできるタイプだとという自負はある。

けれど、共感性、か。

「感受性」と「共感性」が似ているようで違うことだってことは、感覚的にならわかる。言葉ではうまく表せないけどね。

あー、それこそ、「個人で完結しているのが感受性」で、「他者(他のもの)があってこそなのが共感性」なのかもしれない。

感受性は外のものから自分の内に入ってくる感じで、共感性は自身の内から外へ向くもの、って感じか。

なるほど。

確かにそれなら、俺には共感性はないかもしれない。

少なくとも、人並み以下かもな。

外から内へは結構敏感だけど、内から外ってなるとからっきし、興味がないからね。笑

言われてみれば不思議なものだな。どうしてここまで違うのか。

ともあれ、アインシュタインがいう「人間性」がこの捉え方なのかはわからないが、今の俺は少々、「人間性」なるものが希薄かもしれないとは感じる。

だからって反省とかは別にしないけどね。

むしろ、今はこれでいいとさえ感じてしまう。

いや、よくはないか。うん、よくはない。笑

今思ったぞ。

やはりもう少し、内から外への動きに関心の目をもう少し向けるべきか。

それは、そう、「人間性」を持った上でのもので、ね。

名言紹介の意図とはだいぶずれたことを書いたと思うし、なんだか支離滅裂かもだけど、たまにはこういう日もいいね。

自分と向き合うきっかけになる。

それが本来の、名言に触れる意味だからね。

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