僕は「矛盾に殺されないため」に本を読んでいる
この国の教育は諦めない事の美しさの神話性が強い。
少年よ大志を抱けというフレーズにもある通り、若い人間は理想を追いかけて、妥協せずに諦めない事への美しさをとにかく大人から説かれる。
でも、大人というステージに移行すると、今度は真逆の事を言われる。
大人になりなよ。というフレーズは、本質を言えばつまり「妥協で世界を捉えよ」という言葉に置き換える事ができる。
子供の頃はあんなに「諦めるな!」「夢は叶う!」「前に向かって突き進むんだ!」「君には無限の可能性がある!」と言っていた大人が、いきなりこっちがある年齢を超えた段階で「いい加減妥協を覚えようよ」と逆のスタンスを要求される。
これに順応できない人はいっぱいいると思う。
言われた通りに諦めないという選択肢を続け、諦めない心のクセを身に着けていざ社会に出たら、今度は逆の思想が求められる。
この国のロジックは矛盾だらけで、それに自分の論理で対抗できない事のストレスは凄まじい。
誰も世の中の本当の所。結局の本当の所を誰も言わない。
言葉にしないから理解できない。理解できないからわからない。
ここの本音みたいなモノが記録されている記憶媒体として、本の持つ力は凄い。
僕は最近為末大にメロメロになっている。
本の中には稀に「結局の所本当は」っていう事を書いてくれるモノがある。
インターネットやテレビだけでは正直ここを探すのはキツイと思う。
本の存在意義というのは、この「結局の所、世の中や人の本当の所は」が、完全にオープンにぶっちゃけられているという事に尽きる。
本という記憶媒体の最大の長所が「ぶっちゃける力」に集約されていると思う。
決して数は多くは無いけれど、ぶっちゃけた話世界ってこういうもんだよっていう本音がそこにある。
ここらへんでタイトルの本題に入ろうと思うんだけど、僕は矛盾に殺されないために本を読んでる。
この国の自殺者数は多い。
その死因については色々あるだろうけれど、矛盾に殺されている人の数は多い。と僕は見る。
この国は矛盾だらけだ。言葉通りに受け取ったら、全てが破綻するのに、その矛盾に対する説明がほぼ無い。
矛盾に対して負ける。論理的に言い返せないと「詰み」のモードになる。
そして論理的詰みに行き当たると人は死ぬ。だから怖い。
だからそういう自衛と、矛盾になんとか負けてなるものかって気持ちで僕は本を読んでる。
本が素晴らしいというより、本ぐらいしか矛盾に論理で立ち向かえるモノがそんなに無いのだ。結局矛盾に立ち向かうには論理と文字しか無い。だから文字を読んでる。
世の中が突きつける矛盾に耐えられなくなった時、本はそれを打破してくれる。たまにだけど。でも、20冊に1回ぐらい、自分の矛盾を打破してくれた本を読んだ時の「うわぁっ・・・」っていう視界が開ける感じ。あれを求めて今本を読んでるんだよね。っていう話でした。
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