僕がもし代表作なんて作ったらそれのウケ狙いを一生やる呪いにかかっちゃうよ
作家にとって代表作って呪いじゃないかなと思う時がある。
一番それを感じるのはやはり宮崎駿だろう。
彼の映画を鑑賞しに来る観客というのは、私の一番好きなジブリをもう一度という期待感で映画館へ足を運ぶ。
けれど、その期待と違う映画を宮崎駿が作った時「これ違うじゃん」とレビューを書く人が結構いる。
私の好きないつものジブリと違うじゃん。裏切りじゃん。と言われてしまう。
日本のエンタメの受け手は思ってたのと違う=ダメという感覚が非常に強い感じがする(偏見かもしれないが)
ファイナルファンタジーシリーズも同じジレンマを抱えていると思う。
FF10が好きな人はFF10をもう一度を求めるし、FF7にしても、全部の作品で最新作をそれぞれのオールタイムベストFFに匹敵するかどうかの比較で評価される。
FF16を評価する時に、どうしてもFF10という幻影との比較をレビューの中に入れなければならない。
これ。呪いだと思う。
受け手側にも作り手側にもかけられたある種の呪いを感じる。
受け手側は受け手側で「あの感動を!」を期待する呪い。創作者側はウケ狙いをしないと裏切りになってしまう呪い。身動きが取れない呪い。そういう呪いをお互いにかけあっちゃってる感じがする。
僕は文章を書いているけれど、凄くバズるのが実は結構怖い。
少しバズるとか。なかなかバズるなら良い。でも、すご~くバズる。これは怖い。
ウケ狙いで身動きが取れない自分の姿が容易に想像できる。ああ、10万viewも取ってしまった。という事は2を作らなければ。明るいテンションで書いた記事だから次に暗いトーンの記事なんか作ったら裏切りになっちゃうぞ。あぁ、暗い記事はもう書くのが難しいかも。でも暗いモチーフの記事も書きたい。なら折半する案としてバランスの良い・・・
みたいな事を考えて勝手に身動きが取れない自分の姿がもう幻覚として簡単に想像できる。
富野由悠季がガンダムを作った後「ガンダムだけの男になりたくなかった」って言ってたのがすげーわかる。代表作を作ったら作ったで次が売れなきゃ「〇〇だけの人だったよね」に次第に世論が変わっていく。世論って凄く怖い。
後「期待されて失望される」っていう他人の気持ちの流れにも実は弱い。
銅メダルを取ったアスリートの周りに人が集まって「惜しかったですね!次こそは!金メダル!ですよね!」なんて勝手に期待されて、金メダルを取れない選手だと判断するや否や「なーんだ。ガッカリ」と言ってその人を見なくなる。そういう薄情さが大衆にはある。大衆に1回注目されるっていう事自体が僕はかなり怖い。
凄くわがままなんだけど、売れたいし、ライターとして読んで貰わない事にはどうしようも無いので読んで欲しいしSNSでの拡散はして欲しいんだけど、強風オールバックとかうっせえわみたいな感じのデカすぎるバズは怖いんですよね。
・・・っていう。凄いわがままな僕の気持ちでした。
書きながら思いついているのでこういう変な着地になりました。じゃあまた。
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