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10代の僕をたらふく釣ってくれたVIPの人たちありがとう

最近、誹謗中傷とか、開示請求とかなりすましとか、いわゆるインターネットの「やっちまった人」の話をよく聴く。

あれ、毎回ニュースで見るたびに僕が1993年生まれで本当に良かったと思う。

もし僕が2007年生まれだったら、書類送検や開示請求されている自信がある。

恐れがあるとかじゃない。自信がある。

インターネットには「自分にはパワーがある」という意識を持たせやすい。

10代の持つ感情のエネルギー。情報を平面でしか捉えられなかった怒りに囚われていた20代前半。今振り返っても、ゼロ年代に生まれていたらインターネットでやらかしていた事は確実である。

僕は2ちゃんねる。特にVIPの人たちには感謝している。

10代の時にメチャクチャ釣られたのだ。とにかく出来の良い気持ちいいストーリーに踊らされて、それを嘘だと言われる。それを何十回も繰り返した。

今振り返ると良い訓練だったと思う。10代の時に釣られまくったあの頃があるから、今、XなどのSNSでの都合の良い感情的なストーリーに乗っからない耐性が付いた。

今はコミュニティノートにしてもユーチューバーにしても答え合わせをする人間がいる。

ゼロ年代はそうでは無かった。答え合わせをする有名人はいない。だからこそ、自分で立ち止まって考えなければならなかった。

釣りというのは立ち止まって考える良い訓練だった。気持ちいいストーリーに乗っからず、シラフに戻るモードが付いた。だからVIPの人々には感謝している。

力に溺れるな。気持ちいいストーリーは嘘だと思え。

それを「釣り」から教えられた。

僕はインターネットでずっと間違えてきた。

今は、誹謗中傷含め、インターネットで間違える事は許されなくなった。

間違える事のペナルティが少ないあのゼロ年代に、10代にひたすらインターネットで間違えたからこそ、僕は「どこまで行ったらアウトなのか」が手触りでわかる。

でも、今の子は間違えられないんだよな。と思うと寂しい。情報に踊らされ、テキトーをやって怒られる。それはもう通行儀礼では無い。やってしまったら年齢に関わらず1発アウト。

情報に踊らされる事自体が通行儀礼としてギリギリセーフだったあの頃に騙されまくって僕は本当に良かった。

「釣り」という概念はフェイクニュース扱いされて消滅の危機にある。

でも。全能感に騙された10代と、怒りに溺れた20代前半の僕に罰を与えてくれたのは「釣り」だった。

「釣りという教育文化」に育てられた身として、釣りがフェイクニュースという単語に当てはめられて消えつつあるのが、ちょっと寂しい。と感じる。そういう31歳の僕であった。

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