見出し画像

何でも鑑定団とキース・ヘリング

何気なしに「何でも鑑定団」を見ていたら、見た事のあるような絵が鑑定に
出されていました。

画像3


キース・へリング作 抱き合う姿のシンプルな絵でした。
依頼人はアメリカ旅行の時に買い求めたもので、家の雰囲気に合わないので、捨てようと思っていたと。

画像2

鑑定金額は驚くなかれ350万円でした。
本物のキース・へリングと鑑定されました。

画像3


キース・へリング氏とは東大阪の和風レストランで、
しゃぶしゃぶを一緒に食べたことがありました。
彼氏と同伴の日本旅行でした。 

鑑定に出された絵を見て、昔に瞬時にトリップしました。

何で会ったか、ハッキリとした記憶はないのですが、ウキペディアを見ていると、
スポルティングと関係があった様なので、
私が勤務していた会社ではスポルディングとは長らくライセンスでの
お付き合いでスポルディングのブランドを冠したメガネ、サングラスの商品企画の担当だったので、その関係だった様です。

話がまとまる様だったら、キース・へリングのメガネかサングラスを作っていたかもしれません。

彼の亡くなる2~3年前の事でした。
気の弱そうな、物静かな青年だった記憶があります。
あまりの前の事なので、記憶がとんでいます。

下記はウキペディアからです。
キース・へリング
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0

ストリートアートの先駆者とも呼べる画家で、
1980年代アメリカの代表的芸術家として知られる。
シンプルな線と色とで構成された彼の絵は日本でも人気があり、
キースの作品をプリントしたTシャツがユニクロやスポルディング等
から販売されることもあって広く知られている。

1980年にニューヨークの地下鉄構内で使用されていない広告掲示板に
黒い紙を張り、その上にチョークで絵を描くという
サブウェイ・ドローイングと呼ばれる活動を始めた[1]。
そのシンプルな線でリズミカルに書かれた絵は
ニューヨークの通勤客の間で評判となり、
キースの名が知られるようになった。

グレイトフル・デッドのファンであるデッドヘッズであった。
ニューヨークの画商トニー・シャフラジの支持もあって、
数回の個展を開催して知名度を上げる。
その後、ニューヨークのマンハッタン、シドニー、メルボルン、
リオデジャネイロ、アムステルダム、パリなどで壁画を製作するなど
公共空間での活動を多く行なった。
ベルリンでは、ベルリンの壁の有名なチャーリー検問所の壁に絵を書いている。

ジャン=ミシェル・バスキアやアンディ・ウォーホルとも親交が深かった。

社会貢献活動を多く行ない、
AIDS撲滅活動や恵まれない子供たちへの活動で知られている。
特にキース自身がHIV感染者だったこともあり、
作品を通じてHIV感染を防ぐメッセージを出すなどし、
AIDS撲滅活動に積極的に関わった。
Act Against AIDS(AAA)の最初のポスターを描いた。

彼の生涯最後の作品は、
イタリア・ピサ中央駅そばの教会の壁にかかれた「Tuttomondo」。

1990年2月にエイズによる合併症のため、31歳で死去。

2012年5月4日、キースの生誕54年を記念して、
Googleのホームページのロゴが「キース・ヘリング」バージョンとなった
(最初の画像)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?