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人生会議(アドバンス・ケア・プランニング:ACP)を考える

どーもカイゾウ(@kaizo777)です。

今回は「人生会議を考える」をテーマに書いてみたいと思います。

これは私が家族側として「人生会議(アドバンス・ケア・プランニング:ACP)」に参加したり、終末を迎えつつある親に関わる中で感じたことです。

「人生会議(アドバンス・ケア・プランニング:ACP)」とは
どのような最期を迎えたいか?
最期に至るまでどのように過ごしていきたいか?

本人を主体に家族や親族等と医療・介護の担当者とで意向や意見を持ち寄りチームで方向性を認識する会議です。

本人の状態や意向の変化、家族の心境の変化、医療・介護から見た認識の確認の為に必要な時には何度でも行います。

私は現在ターミナル期を迎えた父親のケアについて度々医療・介護の専門職の方々と「人生会議」を繰り返していますが、まずこの会議が出来ることに感謝しています。

「人生会議(アドバンス・ケア・プランニング:ACP)」をご存知ない方もいらっしゃると思いますが、自分の親や果ては自分の為にも知っておいて頂きたいです。

今日はこの「人生会議」を実際に行ってみて感じたことを書いてみたいと思います。

最期に向けた「意向」を伝える場


人生会議は「利用者(本人)」を主体に、本人・家族・親族がケアをしてくれる医療・介護のチームに対して意向を伝える場です。

本人が意向を伝えられない場合は家族・親族等、本人に近しい人間が伝えます。

本人が意向を伝えられず、家族も親族もいない場合は「ケアチーム」が本人の意向を想像し方向性を決定していきます。

私の父親の場合、父親(本人)からは明確な意向が聞き取れない為、家族(私や母親・妹)が本人の過去の意向を踏まえてケアしてくださるケアチーム(医師・訪問看護・施設職員(訪問介護))の方々に意向を伝えています。

私の父親は度重なるてんかん発作や認知症が原因で「嚥下」が困難な状況です。

家族は延命は望みませんが、最期まで本人が望む「食べたい」という意欲を尊重して可能な限り「口から食べる」ことが出来るように支援して欲しいと伝えました。

これに対して、訪問診療の医師は誤嚥性肺炎が起こったとしても救急搬送ではなく、施設で過ごせるように点滴や処方を指示してくださいます。

施設職員の方々は本人が希望する食べ物を本人が食べられるように「食形態」を考えながら、食事介助や必要に応じて喀痰吸引をして少しでも「口から食べる」ことを楽しめるように切磋琢磨してくださっています。

訪問看護は同様に本人の全身状態の観察や必要に応じた吸引・点滴などの医療面を全面的に支援してくださっています。

医療・介護の意識を揃えることは難しい


医師・看護師・介護士など他職種が支援に関わりますが、同じ資格を有した専門職同士でも意見が異なる場合があります。

例えば訪問診療の医師は複数名で関わってくださっていますが、医師の中でも「本人の好きに食べさせてあげよう」とする医師と「ある程度の所で食べさせるよりも安楽を優先しよう」とする医師とで意見が異なります。

介護職・看護師は本人の傍で一番「生活」を見てくれている側面があるので、本人の望むことをしてあげたいという気持ちが強く「食べられるうちは何とか食べさせてあげたい」と一生懸命対応してくださいます。

もちろん吸引対応が出来る時間帯など、様々なことに配慮した上で本人が最期まで望むままに過ごせるように関わるチーム全員が考えてくださっていますが、それでも専門職としての意見が少しずつ食い違うこともある。

これは資格云々もありますが、一人一人が異なる人間だからこそ「良い」という価値観も異なるので必ずズレが生じることなのだとも思います。

「目的」は同じでも「視点」を揃えるのは本当に難しい。
今回家族側として「人生会議」に参加して感じました。

視点のズレを合わせる為にも会議は必要に応じて何度でも


同じ「目的」同じ「想い」で支援をしていても、異なる専門職、異なる人間が関われば「視点」も異なります。

「視点」が異なれば、時間と共に方向性にズレが生じてくるものなのだと私は思います。

もちろんこれは「家族の想い」も同じです。
初めは「本人の好きなように」と思っていても、時間と共に「少しでも長く生きて欲しい」という気持ちに変わるかもしれません。

ズレが生じること自体は決して悪いことではなく、当たり前のことなのだと私は思います。

「悪い」のは本人・家族・支援者(医師、看護師、介護士等)がお互いの話を聞かずに一方的な「正解」を主張すること。

「正解」を主張する人間が一人でもいると必ず歯車が狂い始めます。これは終末期支援だけではなく、日常の支援においても同じ。

例え同じ専門職であっても、人が異なれば意見も異なります。
先ほども書いたように、同じ「医師」という専門職であっても考え方は「人」それぞれです。

だからこそ、お互いの「視点」を尊重しつつ、よほど「大きなズレ」でなければ「落としどころ」を見つける必要があるのだと思います。

そして「人生会議」においての「落としどころの起点」となるのは利用者・家族の意向です。

人生会議に関わったすべての人がそこを理解をしていれば、いい方向に支援が進むことが期待できるのではないかと私は思います。

まずは「人生会議(アドバンス・ケア・プランニング:ACP)」が何たるかを多くの人に知って頂けたら良いなと思っています。

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

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