見出し画像

デブオタと追慕という名の歌姫 #18



第7話 衝撃と栄光と別離 ②


「皆さま、たいへんお待たせいたしました。ここに栄えある第四八回ブリティッシュ・アルティメット・シンガー・オーディションを開催いたします」

 礼装姿の司会者はバラエティ番組でもお馴染みの男だった。軽やかな口調で開催を宣言すると、会場からは歓声が沸き、拍手が応えた。

「この偉大なイギリスにおいて、歌は単なる文化というだけではありません。人々の生活に欠かせぬ潤い、心の糧でもありました。振り返って歴史を紐解けば、かつて第二次世界大戦において人々の苦しい生活を慰め、希望を与えたのもまた歌だったのです……」

 歌の歴史を語る言葉に観客が耳を傾ける一方、舞台裏ではオーディションを受ける少女達が列を作り、期待と不安の入り混じった視線で、ステージの進行を見守っている。
中には緊張のあまり過呼吸を起こしかけている少女、泣き出しそうな顔で震えている少女もいた。付き添いの親やマネージャーが傍で必死になだめたり、励ましたりしている。
 彼女達の最初の難関、第一次選考のステージはもう間近に迫っているのだ。
 だが、そんなものに頓着した様子もなく、列の最後尾にいるハーフの美少女と脂ぎった日本人の大男は目を輝かせ、何やらバタバタと準備を始めている。
 その様子を、離れた場所からリアンゼルが複雑な思いで見つめていた。

(ウジ虫エメル……)
(日本人のブタ野郎……)

 かつてのように罵る言葉を心に思い浮かべても、それはもう言葉になってくれない。
 口にのぼる前に、躊躇と逡巡の中で霧のように消えてしまうのだ。一年前は、あれほど憎んでいたのに。
 殺してやるとまで言った自分の気持ちは、所詮中途半端なものだったのかとリアンゼルは情けなく惨めな思いにかられた。
 ただ、憎しみの力で燃やした情熱は消えてしまったのに、歌う時だけは凛とした別の何かが今の自分を貫いている。
 歌だけは何も衰えなかった。
むしろ、もっと深く、鋭くなった気がする。何故なのだろう。
 それが何なのかわからず、モヤモヤとした気持ちのままリアンゼルはとうとう今日を迎えてしまったのだった。
 罵声は出てこないのに、あの二人に何か無性に話し掛けたい衝動に彼女は駆られた。
 だが、話し掛ける切っ掛けすらない。第一、言葉を交わそうとしても冷ややかに無視されるだけだろう。リアンゼルはため息をついた。
 その二人は、舞台裏の一隅から何やらコソコソと動き出している。
 自分のオーディションの出場順が三番目であることを忘れ、彼女が思わず彼等を引き留めようとした時だった。

「あっ、いた! やっぱりいたわ!」
「リアンゼル・コールフィールドよ! ほ、本物だわ!」
「ベルデファ、ジニー、こんなところで騒いじゃ駄目でしょ。場をわきまえなさい」

 黄色い声と諫める声。リアンゼルが振り向くと、彼女の目の前にわらわらと三人の少女が現れた。
 三人ともオーディションの出場者らしくドレスアップした姿だったがリアンゼルには見覚えがなかった。クラスメートでもデファイアント・プロダクションに在籍していた頃の同輩でもない。その見知らぬ少女達の胸元にはリアンゼルと同じ、オーディションの参加資格を証明する小さなプレートが首から吊られている。
 興奮してはしゃいでいたが、リアンゼルは彼女達が軽薄な輩ではないとすぐに察した。
 騒いでいても、どこか気品のようなものが見え隠れしている。それは、自らを厳しく鍛えた者だけしか身に着けられないものだった。何より、この権威あるオーディションを受ける資格を与えられている。ただの少女達ではないのだ。
 ステージはいよいよ最初のオーディションが始まったらしく、トップバッターで出場する少女が名前を呼ばれた。決意を漲らせた顔で彼女は袖幕の向こうへ消えてゆく。
 それを横目でチラリと見やると、自分をぐるりと取り囲んだ三人へリアンゼルは尋ねかけた。

「見ての通りリアンゼル・コールフィールドは私だけど……あなたたち誰? 私に何か御用かしら」

 敵対するなら容赦しないと言外に凄んだが、三人はそんなつもりなど毛頭なかった。二人をたしなめた少女が代表して話しかける。

「出番が間近なのに、騒がせてごめんなさい」

 彼女は三人のまとめ役らしく、落ち着いた声で挨拶した。

「はじめまして、私はアンジェラ・スタンリット。この二人は友達でベルデファとジニーと云います」

 彼女が言い終わらないうちに、その二人が交互にリアンゼルへ話しかけた。

「私たち三人、今日このオーディションに参加するんです」
「あなたのおかげです。だからどうしても一言お礼とご挨拶を言いたくて来ました」
「うるさくてゴメンなさい。でも、あなたにここで会うのがずっと私たちの目標だったんです。もう嬉しくて嬉しくて」

 自分は名前も知らないこの少女達と、一体どこで出会っていたのだろう。
 首を傾げるリアンゼルへ、ベルデファと紹介された少女が目をキラキラさせながら「あ、憶えてなんかいませんよね」と笑いかけた。

「私たち、去年あなたがトゥラー先生のところでオーディションを受けた時、スタジオにいたんです」
「トゥラー先生?」

 今までたくさんのオーディションを受けて落ちてきた。たくさんの人と交差し、すれ違ってきたのだ。もう一人ひとりまで覚えていない。
 「忘れちゃった、ごめんなさいね」とリアンゼルが謝ると、ジニーが二人に目配せした。
 三人は頷き合う。そして、すぅ、と息を吸うと声を合わせて……

「Alice danced in the air. The red ruby broke like blood... Alice sang in the air. The blue sapphire broke like tears...」
(アリスは空に踊る、真っ赤なルビーを血のように散らし撒きながら……アリスは空に歌う、青いサファイアを涙のように散りばめながら……)

「あぁ! あのオーディションの時の!」

 三人のハーモニーを聴き、リアンゼルは眼を見開いて手を打ち合わせた。

「思い出したわ! クリスマス前の雨の日の……」

 思わず声が上ずったが、そこまで言ったとき、リアンゼルの笑顔が陰った。
 あの日オーディションを受けた後で何が待ち受けていたか、それも思い出したのだ。

「たかだか二ヶ月くらい前なのにね。懐かしいわ、あの時採用はしてもらえなかったけど……」

 あれから自分はどれほど落ちぶれたのだろう。リアンゼルの顔に自嘲じみたものが浮かんだ。
 だが、彼女を見つめる三人の眼に、今のリアンゼルはそんな風に映ってなどいなかった。

「でも凄かった。あなたにあそこで遇えなかったら私達、きっと今ここにいません」

 三人の瞳は明らかに憧れの人を見る色をしている。リアンゼルは困惑してしまった。
 第一、たまたまその場に居合わせただけの彼女達に自分が一体どんな影響を与えたというのだろう。

「あのときあなたの歌が上手で、迫力も凄すぎて、傍で聞いてた私達大ショックでした」
「もう、凄く落ち込んだんです。声もかけられなかった」
「そ、そう……」
「あなたが帰った後、私達とても敵わないってしょんぼりして……そしたらトゥラー先生に叱られました」
「叱られた?」
「 “あの娘は凄い情熱と努力でああなった。君たちだって努力すればあんな風になれるんだ”って」
「……」

 あっけにとられたリアンゼルに、少女たちはなおも熱っぽく話し掛ける。

「知らなかったでしょうけど、あなたは私たちの目標になったんです」
「このオーディションに、きっとあなたは出場すると思ってました。だから三人で誓い合ったんです。必ずここに出場しようって」
「ここで、憧れのリアンゼル・コールフィールドに三人揃って会おうって……」
「一生懸命練習しました。あなたみたいになりたいって、あなたならきっとこうするって今までの何倍もやりました」
「見て下さい。ベルデファの血豆の痕、私は二度も喉を傷めて医者から注意を受けました。アンジェラは足首の痣がまだ治っていないけど、みんなあなたを追いかけてきた私達の勲章です」

 黙って聞いていたリアンゼルの顔に驚きと、そして共感の微笑みが浮かぶ。
 それは、かつて自分がひとりで通った苦難の道だった。厳しい叱責に涙をこらえ、ギターの早弾きで爪を折り、激しい歌唱を重ねて喉を傷め、それでもあのデブオタの侮辱に負けるものかと歯を食いしばって……
 自分は憎悪をバネにここまでやり遂げたが、彼女たちは自分への憧れを力にしてやってのけたのだ。

「ええ、私も同じようにやってきたわ」

 頷いたリアンゼルに三人は「やっぱり!」と顔を輝かせた。

「三人とも頑張ったのね。だからここに揃って出られた。偉いわ、立派よ」
「……!」

 リアンゼルの言葉に三人は思わず互いの手を取り合い、瞳を潤ませた。
 憧れの人に自分たちの努力を認められ、褒められたのだ。その嬉しさは、彼女達にとって何よりも優る喜びだった。
 二番目にオーディションを受ける少女が名前を呼ばれ、彼女達の横をステージへと上がっていった。次はいよいよリアンゼルが歌う番となる。

(私、知らない間にこの娘達の目標になってた……)

 リアンゼルはようやく悟った。
 憎むという杖をなくしてもなお凛として自分を貫き、歌わせてくれたもの。憎悪から始めた努力、意地で続けた努力。
 それは、気づかぬ間に見知らぬ少女達が憧れるほど自分を磨き上げていたのだ。身も、そして心も。

 ――自分は、落ちぶれてなんかいなかった
 ――それどころか、憧れの眼で見られるほどになっていた……

 昔のように人を見下し蔑むような言葉など、瞳を輝かせているこの少女達の前でどうして言えよう。
 もう、そんな下劣なことの出来ない歌手に自分がなってしまったことを彼女は知った。
 快い胸の痛みにリアンゼルは目を伏せたが、その俯いた姿は少女たちが思わずため息をつくほど美しかった。

「私たち、あなたにはとてもかなわないだろうけど、精一杯戦います」
「今日はあなたの前で恥ずかしくないだけの歌を歌ってみせます」
「どうか、これからも私たちの目標になって下さい」

 リアンゼルは何も言わず、三人の手を取った。
 はっとなった三人の手を自分の手のひらの上に重ね、口を開く。

「私を目標にするとはね。いい度胸をしているわ」

 刺すような眼差しと凄んだ声。三人は思わず戦慄し、震え上がった。かつてのエメルのように。
 だが、そこでリアンゼルはぷっと吹き出し「目が高いわね、あなた達」と、いたずらっぽく笑うと、そのまま哄笑した。三人の少女達もホッとして一緒に笑いだした。
 ステージ裏に楽しい笑い声がこだまする。周囲の歌姫達はこんなに皆が緊張している中で何ごとかと驚いて四人を見た。
 リアンゼル達にとっては、もうそれだけで周囲に大きく差をつけたような気持ちだった。
 彼女達の後ろで、ヴィヴィアンが目元にハンカチをあてて微笑んでいる。
 こんなリアンゼルの姿を彼女は願い続けていたのだ。ずっと、言葉にしないまま。

「あなた達、私に引き離されないようについてらっしゃい」
「はい!」

 リアンゼルの呼びかけに、声を合わせて三人が明るく応える。

「かなわないけど、なんて最初から決めつけちゃ駄目よ。私を倒すつもりで、私を越えるつもりで今日は歌ってね」
「は、はい」
「ふふふ。でもそう簡単に勝たせないわよ。私、手強いんだから。今でも天才だって自惚れてるもの」

 そういうと、傍らに置いていた愛用のソリッドギターを手に取った。
 袖幕の向こう側から「では続いて三番、リアンゼル・コールフィールド」と、呼ぶ声が聞こえたのだ。
 緊張はしていたが、こんな爽やかな気持ちで歌うのはもしかしたら生まれて初めてかも知れない、と彼女は思った。
 去年は最初のこのステージで敗れ去った。
 だが、今なら胸を張って言える。
自分はもう、あの時の「自称天才歌手」なんかではないと……

「じゃあ、見ててね」

 見守るヴィヴィアンと三人の後輩に微笑むと、リアンゼルはステージへ顔を向けた。
 転瞬、怒りにも似た情熱を漲らせた表情でステージへと走り出す。疾走する彼女に合わせたように、序奏が流れ出した。

「You know it. This town is dead long ago. You see it, the guys who come and go on a street」
(お前は知っている。この町はとっくに死んでいることを。見ろよ、通りを行き交う奴等のあの姿)
「Their eyes are the same as a dead fish. You run away from this town now」
(奴等は死んだ魚と同じ眼をしてやがる。もうこんな町にいられるものか。新天地を目指してお前は走り出した)

 世界的な歌手の一人、ボビー・ジョーンズのデビュー曲として知られる「夜明けの逃亡者」。
 荒々しく掻き鳴らすギターと激しい怒りを迸らせたような猛々しい歌声に会場がどよめく。彼女の前にステージに立った二人とは、明らかに気迫も声量も桁違いだった。
 審査員達は感心したように頷き、、ボビー・ジョーンズと張り合おうとするかのようなこの少女へ視線を向けた。

「Everybody laughs. The thing which you believed was a lie. Everybody laughs. There is not your destination」
(誰もが言う。お前の思い通りになどなるものかと、誰もが笑う。お前の行く先に希望などありはしないと)
「But you lend the ears to nobody's appeal anymore. Because it is only a certain thing in one's chest to believe」
(だけどお前はもう誰の嘲笑にも耳など貸さない。信じるのは己の胸の中にあるものだけなのだから)

 焔立つような歌声は観客を圧倒し、ステージ裏の三人もぼう然となった。

「凄い、会場の空気があっという間に変わっちゃった……」

 つぶやいたアンジェラの声は震えている。

「私達の目指す人、あんな人なんだ……あんなに凄いんだ……」
「簡単に勝てないどころじゃ……とても敵わないわ」

 下を向きかけたベルデファを二人は懸命に励ました。

「さっき言われたことを忘れたの? 私達だって負けないくらい歌えるってところを見せなきゃ」
「アンジェラの言うとおりよ。あの気迫を私達も真似して歌おう。今までしてきたみたいに。きっと出来る」

 驚きと畏怖と憧れの眼で見守る三人の視線の先で、リアンゼルはスポットライトを浴び、金色の髪をなびかせ、ギラついた瞳で歌っていた。
 手にしたギターを掻き鳴らし、歓声の中で情熱を迸らせた歌声を一段と高める。
 まるで観客の興奮を更に煽るように……

「Ooh, the fugitive who runs in the town of the daybreak. You will not know your destination」
(夜明けの街を走る逃亡者。お前のたどり着く先はきっとお前自身も知らないだろう)
「Still please run. As far as the breath continues. Continue having the flame of the heart. It dawns soon」
(だけど走れ、その息の続く限り。立ち止まるな、心の炎を燃やし続けろ。夜明けは来る。お前の胸にきっと来る……)


次回 第7話「衝撃と栄光と別離 ③」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?