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読書感想文 「上馬キリスト教会の世界一ゆるい聖書入門」

私はクリスチャンである。
洗礼を受けて3年経つ。
洗礼に至る過程には様々なエピソードがあるのだが、まず、看護師であること、その当時勤めていた病院敷地内に教会があったこと、魅力的なチャプレンとの出会い、クリスチャンである医師との交流などキリスト教が身近な存在であったことから自然な流れであったとも言える。

私の場合は洗礼を受けると決めてから準備まで聖書を読んで勉強する時間もなく、洗礼は受けたものの、礼拝に顔を出すのは年に数回、奉仕もままならず、申し訳なく思っている。
しかし、たまに顔を出しても、「久しぶり!元気だった?」とウェルカム全開で出迎えてくださり、「一生懸命お仕事をするのがご奉仕なんだから、気にしなくていいのよ。」とありがたい言葉をいただき、救われている。
奉仕は「教会のための仕事」ではあるが、「看護師として病院で一生懸命働くこともご奉仕なのだ」と拡大解釈して日々の仕事に励んでいる。

さて、永遠のベストセラーと言われる、聖書。
辞書並みの厚み、細かい文字、登場人物の多さ、難解な表現に圧倒され、自身の理解が追いつかず、挫折。いきなりのチャレンジにはハードルが高すぎた。ならば超入門、と思い、手にしたのが本書である。

まず冒頭から引き込まれる。

私たちの言いたいことは「信じなさい」でも
「聖書に従いなさい」でもありません。
「まずは聖書を楽しんでみて!」です。
聖書は楽しく読んでいいんです。
この本も適当に「お!おもしろそうだな!」と
思ったところから読んで楽しんでください。

本当かな?と思いつつページをめくり、あっという間に読んでしまった。
「ゆるく、ざっくりとキリスト教に親しんでもらう」ことをコンセプトにした本であり、キリスト教を「理解する」ためには他のまじめな本を読んでください、との注意書きがあるのだが、「理解」以前に「親しむ」こと、つまり導入部分はけっこう大事であると感じた。
学生時代の授業を思い出してみても、授業とは関係ない時々脱線した話をする先生の授業は興味を惹かれた。ただし、授業の本題よりも脱線話の方が記憶に残っているということもあるのだが…
いきなり理解しろ、と言われても難しいが、
はじめは構えず、気楽に、親しめるような伝え方だと、気負わず、とっつきやすい。

例えば聖書のよくある誤解、カン違い

「キリスト」は名字ではない。

「キリスト」は「救世主」という意味である。
つまり「イエス・キリスト」は
「イエス・ザ・救世主」という意味になる。
なんとなくちょっとプロレスっぽい呼び方になる。

クリスマスはイエス様の誕生日ではない!?

なんと実はクリスマスはイエス様の誕生日ではない。
聖書にはイエス様の生れた日については一言も書かれていない。諸説あるが、イエス様の生れた日は冬ではなかった、という説が有力である。(真冬の馬小屋で出産したら凍死してしまう…)
ではなぜ12月25日が祝われるようになったか?
元々この日は一年で最も大きな冬至のお祭りがローマで行われていた日であり、キリスト教がローマの国教になった時に「イエス様の誕生日、どうせ分からないんだからこの日にお祝いすることにしない?」ということでこの日に生誕を祝うようになった。

等々、某番組の永遠の5歳児キャラが「そんなことも知らないで」と叱りながらも教えてくれるような感覚でスイスイ読めてしまうのである。
作者のお二人はもちろんクリスチャンであるが、キリスト教や聖書の世界をおもしろおかしく伝える「伝道活動」をTwitterで行っており、人気が高じて本書が誕生したとのこと。

一言で言うならば、表現方法がポップであり、伝え方として秀逸。という感じであろうか。
一見ふざけている(いや、実際にふざけた表現もある)が、このゆるさ加減が自分には合っていた。

しかし、ここまでゆるく、ざっくり書けるのも聖書理解がしっかりしているゆえであろう。
きちんとした理解があるからこそ、飛躍した表現やとっつきやすく言い換えた表現が可能になるのであろう。

ふと、「世界一」とはいえないが、
「ゆるい看護入門」なんて本があってもいいかもしれないと思った。

基本はまじめに、時にゆるく、視点や切り口を変えながら表現していく方法を身につけていけたら、この先の人生も細く長く続けていけそうな気がした。


「上馬キリスト教会の世界一ゆるい聖書入門」
 上馬キリスト教会 著

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