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声をなくしても

窓辺に置かれたラジオからはこの時間にお馴染みのパーソナリティの声が流れてくる。その声を聞きながら、「もう、夕方か…一日は早いな。今日は何時に帰れるのかなぁ…」と心の中でつぶやく自分がいた。

彼は眠っているのか、起きているのかわからない。

明いた目は天井を見つめていて視線が合う事はない。その感情を伺い知ることはできない。

声をかけてから口と鼻にチューブを入れ、最後にのどに開いた穴にチューブを入れる。

けたたましいアラーム音が鳴るが、消音ボタンを押す。

歯ぎしりの音、こわばる身体、
ひとすじの涙を見るときもあった。
無言のメッセージを送る彼にごめんね、と声をかけながらモニターの値が安定するのを待つ。

ベッドをやや挙上させて、パジャマをめくり、お腹のチューブから夕ご飯を入れる。

白はごはん、茶色はお肉系のおかず、緑色はほうれん草の何か、オレンジはミカンか黄桃の缶詰か…
すべてはミキサーにかけられ、ペースト状になっている。元の原型は失われている。
おかずとごはんをすべて混ぜてから専用のシリンジに吸い上げ、お腹に注入する人もいた。
どうせお腹の中で混じってしまうのだからと。
確かにそうであるが、見た目があまりにも悪すぎて気分が悪かった。
だから一品ずつ吸い上げて入れるようにしていた。
水ならばすっと入るが、ドロドロのペースト状のものはそうはいかない。けっこうな圧をかけないと入っていかないので、時間もかかる。
つい手元が緩んでヨーグルトをぶちまけてしまったこともあった。
タイミングよく部屋に入ってきた看護助手さんに
「やっちゃたよ、○○君、怒っているかな…」と言うと、苦笑しながら、
「シーツ、持ってくるよ」と。

パジャマとシーツをふたりで交換しながら、
「ごめんね、今度は気をつけるよ」と声をかける。
何も言わぬ彼の代わりに助手さんが答える。

「気をつけてよね、今日パジャマ着替えたばっかりなんだからさ」

「洗濯物増やしてお母さんにも叱られちゃうね…」

「ま、しょうがないよ。じゃあ代わりに何かしてもらおうかな」

「何がいい?」

「考えておくよ」

そんなやりとりを懐かしく思い出した。
彼は何を思っていただろうか。


彼の部屋でラジオを聞きながら夕ご飯を注入する時間は今日一日を振り返る時間でもあり、束の間の休息でもあった。

ただ、ゆっくりしている暇はなく、ふとやり忘れたことを思い出したり、これが終わったら、申し送りだからもう一度あの人のところへ様子を見に行って…なんて考えている間に注入は終わっている。


彼は20代だった。
ほんの数年前までは歩いてしゃべっていたなんて想像がつかない。
私がその病棟に配属されたときはすでに彼は寝たきりだった。
元々神経疾患があったが、リハビリ入院を繰り返しながら、普通に歩いてしゃべる若者だったのだ。
病気が進行し、気管切開が必要となったが、話すことはできていた。
その日、気管切開のチューブ交換をするまでは…
チューブ交換の手技に時間がかかり、その影響で低酸素脳症となり、彼は声を失い、二度と起き上がることはなくなってしまった。
医療事故、である。
それから何年も彼はその個室にいた。
急性期の病院に何年も入院し続けることは本来はないのであるが、事情が事情だけに、そうせざるを得なかったのだろう。

その後、私は病院を移り変わり、もう彼に会うことはないが、
まだ、あの部屋に彼は変わらずにいるのだろうか…


声を無くしたら僕じゃなくなる 
それでも好きだと言ってくれますか
ただ一言だけ誉めてください 
それだけで全てを信じる


久々にBUMP  OF CHICKEN のアルバムを聴いていた。
「66号線」という曲の歌詞の一節が頭から離れず、ふと彼のことを思い出したのだ。


彼はまだ元気だろうか。




僕が見付けるまで生きてくれて 
見付けてくれて ありがとう
あなたが選んだ世界に こんな唄ができたよ


彼の生きる世界にはどんなメロディーが流れているのだろうか。
彼はどんな唄が好きだったのだろうか。
聞いたことがない彼の声を想像する。
声をなくしても
彼は彼であることに変わりなく、
感情をなくしてしまったわけではないのだと思う出来事があった。
一度だけ、彼の笑った表情を見たことがある。
それはめったにないことなのだと、長年、彼を看てきたベテランスタッフが教えてくれた。
実際には笑っているのではなく、
笑っているように見える、のである。
声を出して笑っているわけではなく、こわばった筋肉の緊張が緩んだ状態がそう見えるだけ、なのであるが、本当に笑っているように見えた。

「見て見て、〇〇くん、笑っているよ!」

そう言ってスタッフが部屋に集まり、笑顔があふれた部屋の光景が忘れられない。

彼の笑顔を思い出したら、
前を向いて顔を上げていこうと思った。

彼に関わるすべての人、両親や兄弟、友人、スタッフ、それぞれが色々な思いを抱きながらも彼と向き合い、自分と向き合い、日々を生きている。



彼の生きる意味を考えながら
自分の生きる意味を考え、
考え続けることが生きることなのだろうと思い、
今日も生きている。


私が歩くこの道は果たして何号線なのだろうか?


起点はどこで
終点はどこなのだろうか



66号線の途中、かもしれない。


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