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「論語と算盤」渋沢栄一〜公益と道徳の調和〜より良い世界へ〜

明治初期、お金儲けは卑しいものだと言われていた時代。

今は副業やiDeCoやNISA、不労所得など、普通の主婦さえも、このコロナの時代だからなのかもしれないけれど、どうやったら資産が増えるのかなんて、考える時代になった。

「お金が好きな人にはお金が集まる」「お金が嫌いな人には集まらない」、だからお金を好きになろう、とYouTubeのマネー講座で語るYouTuberもいる。

お金儲けといっても、その言葉にそんなに抵抗がない人も多いのかもしれない。

お金って、一体何なんだろう。あればあるだけいいでしょ?と思う人もいるだろう。

「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一は、今のみずほ銀行、東京海上日動火災保険、日本郵船、東京ガス、帝国ホテル、アサヒビールやサッポロビール、他名だたる企業、多種多様な会社、経済団体の設立・経営に携わった。合計で約1,000もの銀行、会社を設立している。


今度は違う友人から「良かったら読んでみて」と貸してくれたのが、「論語と算盤」の漫画版(原作:渋沢栄一 漫画:近藤たかし)だ。

正直、私は経済に疎く、経済に詳しい方なら知っている方なのかもしれないけれど、渋沢栄一と言えば、NHKの大河ドラマでやっていて…?2024年に一万円札の顔になる…?くらいの認識しかなかった。



渋沢がそろそろ寝ようと寝室に入ったところ、中で待っていたのが元帥陸軍大将の山縣有朋の幽霊だった。

天保9年(1838年)に長州藩の蔵元附中間(足軽よりも低い身分)・山縣三郎有棯の二男として生まれる。
日本陸軍の実質的な建設者が山縣有朋である。
明治2年に第9代内閣総理大臣に就任。
参謀総長、枢密院議長なども務める。
伊藤博文亡き後元老として、軍や政界に重きをなし、首相選定の主導権を握る。
晩年は陸軍のみならず、政界の「黒幕」として「日本軍閥の祖」の異名をとった。


「ワシは死んでも死にきれん、国葬だというのに、参列者はまばらで腰掛けはガラ空き、一般参列者は数百人しかいない」

「なぜこんなにお国のために生涯を捧げたのにお前は家族からも愛され、仲間たちからも若い者たちからも慕われ、毎日来訪者がひっきりなしなのは、なぜなのだ?」

と、どやされるシーンから始まる。

なぜ同じ明治の功労人なのにこうも違うのか?と。

山縣有朋は陸軍と官僚を支配下において山縣閥を作り、デモクラシーに反対し、「閥族・官僚・軍国主義の権化」と言われ、当時の国民や政治家、皇室から不人気だったそうだ。
北海道開拓使官有物払下事件では政治資金を取引として使い、国家歳入の1%の横領という山城屋事件など、疑わしいとされていた人物だったが、罪は問われていない。

渋沢栄一は7歳の時から「論語」を始めとする四書六経を学んでいた。
この漫画は孔子・論語の教えを元に山縣有朋の問いにどんどん答えていく、というストーリーになっている。

世は幕末、当時渋沢は攘夷討幕を目指していたが、仕えていた徳川慶喜が突如将軍に任命し、その使命が挫かれ、やる気を見失っていた。

突然慶喜の弟、徳川昭武のパリ万博へ同行することになり、そこで西洋の発展した経済を目の当たりにし、圧倒される。
そこから彼は日本資本主義の父と謳われるように、日本経済の発展への道を進み始める。

けれども、渋沢は今のアメリカ的な資本主義とは違う、「合本主義」というものを説いていたのをご存知だろうか。

合本主義とは・・・公益を追求するという使命や目的を達成するのに最も適した人材と資本を集め事業を推進させるという考え方。
広く資本を糾合するという事から、狭義には株式会社制度の意に使われるが、栄一は私益のための資本の集中ではなく、公益の追求、より良い社会の実現のために、資本や人材を合わせる事の重要性を説いたものと解される。

実際、戦後にGHQから財閥指定とされた後も、その後の調査では殆どの企業の株を所持しておらず、財閥指定を解除される検討もされていたそうだ。

もし渋沢栄一が利益だけに追求していたならば、企業の株を大量に持っていただろう。

今日本でも株は資産運用として人気があるが、言葉は乱暴だけれども、確かにお金を儲けるなら働いて稼ぐよりも、多少リスクはありつつも、お金を増やすなら、利益が出た時は圧倒的に儲けは多い。
けれども、渋沢はその道は選ばなかった。

渋沢が民部省で官吏となり、新規草案のため奮闘している時に、山縣から、

「この政府はワシら長州藩が命を懸けて同胞の屍の上に打ち立てたものだ。
お前は攘夷討伐であったのに、方針を曲げてまで幕臣となり、そんなに侍になりたかったのか。
貴様には恥はないのか?所詮田舎侍だから仕方ないか」と、揶揄される場面があった。

その時渋沢は、これは天命であったと言う。

「草木には草木の天命があり、鳥獣には鳥獣の天命がある。天命にはいかなる聖人賢者とても必ず服従を余儀なくせられるもので、人力のいかんせんともすべからざる所なり。」

無理な真似をしたり不自然な行動をすれば必ず悪い結果を受ける事になる(天は人を罰せず)、と答えた。

当時は官尊民卑で、まだ士農工商の差別の名残りがあったが、渋沢は官吏を辞め、商人への道、つまり民間へ活躍の場を移していった。

大正5年(1916年)にはこの「論語と算盤」を著し、「道徳経済合一説」という理念を打ち出した。

「論語」を拠り所に、倫理と利益の両立を掲げ、経済を発展させ、利益を独占するのではなく、国全体を豊かにする為に、富は全体で共有するものとして社会に還元することを説くと共に自身にも心がけた。

富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。
正しい道理の富でなければその富は完全に永続することができぬ。
事柄に対し如何にせば道理にかなうかをまず考え、しかしその道理にかなったやり方をすれば国家社会の利益となるかを考え、さらにかくすれば自己のためになるかと考える。
そう考えてみたとき、もしそれが自己のためにはならぬが、道理にもかない、国家社会をも利益するということなら、余は断然自己を捨てて、道理のあるところに従うつもりである。

会社経営には寿命がある、といわれているけれど、渋沢の起こした会社は第二次世界大戦を超えても今でも6割残っている。

自分の利益、目先だけの利益を追求し、お金によって権力を保持し、財を築いた山縣有朋と、社会全体が富む事を望み、そして人としての倫理観を持ちながら全体の発展を望んだ渋沢栄一の生き方。

漫画だからキャラクターを誇張してはいるだろうけれど、激動の、明治維新の時代を生きた山縣有朋は優秀な人だっただろう。しかし2人を並べた時にはどちらの生き方を選ぶのか?

今の世界情勢ではコロナの時代でインフレの傾向にあり、経済的にも不安で、つい目先の利益に走りがちになりそうだけれども、けれどもその中で成功してきた人は、それよりもこの世に貢献できるような商品だったりサービスを提供できるところが強くなってきているように思う。

社会をより良くしていこう、とブレずに、私心を入れない一途な思い、それが自然と社会貢献へと繋がり、その結果、利益が出る、と渋沢は生き方を通して言っているのではないかと、ちょっと今回は難しいことも考えてみた。

つづく

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