特発性血小板減少性紫斑病という長い名前の病気
こんにちは。今回は私の持病のこと、私が医療従事者を目指したきっかけについて簡単に書かせていただこう。
私が2歳を過ぎた時に体調を崩した。姉も体調を崩したらしく、一緒に近くの病院に行ったのだが、私だけは様子がおかしく、県立病院へ紹介された。
検査を行い、医師から告げられた病名は…
特発性血小板減少性紫斑病。
字に起こすと、超長ぇなぁと思うし、字のままの通りの病気である。
簡単に説明すると、血小板が破壊され、数が少なくなり、血が止まりにくくなる病気である。また体に紫斑→つまり内出血のようなものが体に出るといった病気である。
原因は分からず、国が指定している難病の一つでもある。今は何もないが、いつ起きるか分からないのも怖いところだ。
※最近の研究で、ピロリ菌が関与しているのではないか?などと言われてきているらしい。
診断後入院して治療が始まった。
主にステロイド製剤という薬を点滴で投与していくのだが、安静にしていなきゃいけないのが子どもながらに辛かったのを覚えている。
しかもほぼ毎日のように採血つまり注射をされ、号泣しながら闘っていた。
ストレスからか点滴の管を噛みちぎったり、母の付き添いベッドじゃないと寝ないというダダをこね、看護師さん、母、祖母を困らせていた。
母が看護師さんに「ベッド逆ですよね?」と言われ、「すいません。こっちじゃないと寝ないってだだこねるもので…」と夜中に注意されているのを今でも鮮明に覚えている。
また、生意気にも注射を失敗した看護師さんに「修行が足りんわ!!出直してこい!」と言っていた。これも覚えており、まさか今度は自分が言われる立場になろうとは思っていなかった。
そのことを祖母に帰省する度に言われ、ちょっと懐かしさもあり、また処置を失敗する度に自分で言ったことを思い出している。
今は私の方が修行が足りません。日々精進致します。因果応報というやつを体感しております。その時の看護師さん申し訳ありませんでした。
話を戻すが、医者にも点滴の管を噛みちぎったり、看護師さんに文句を言う子は初めてだ!と言われた。子どもながらにワイルドだろぉ〜。なんちゃって。
今だから思うけど、カンファレンスされてたんだろうな…
治療はつらかったけど、看護師さんが来てくれた時に、聴診器とか使って遊んでくれたり、ナースコールを自分で押して、「点滴終わりました!」って言って針を抜いてもらったあと、プラスチックなんだよこれ!って遊んでもらった。
入院中には看護師さんにとってもお世話になった。主治医には9年2ヶ月診てもらった。この経験があって「医療に進もう」と憧れを持ちながらふらふらと生きてきた。
色々な人に助けられてきたし、支えられてきた。だから難病を克服できた。今度は自分が返していきたい。少しでもいいから闘病してる人の力になりたい、と小学生位から思っていた。
進路を決めるときに勉強しとけばよかったなって思ったし、現実は甘くないんだということを知った。ショックだったけど高校時代の部活の恩師の言葉があって看護師になった。だけどまだ目標の途中なので、その目標についてはまた書こうと思う。
今回は病気のこと、医療従事者になったことについて簡単に書いた。後日物心ついた時の気持ち、再発時の気持ち、どんなことがつらかったのかを書いていけたらと思っている。
最後に、稚拙で文章構成、表現で読みにくかったと思いますが、読んでいただきありがとうございました。
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