見出し画像

森の自然循環に向き合う『株式会社パカーン』の事業構想を発表したい


山派なのか。海派なのか。

これは移住文脈でも重要な要素になると思っているし、最終的にどの土地で死にたいのか?という死生観にまで行き着く問いじゃないだろうか。

私は圧倒的「山」派。言いたいことはマウンテンマウンテンだけど、母方が熊本県山鹿市、父方が大阪府能勢町とそれぞれの土地で過ごした経験もあって、自然原体験貯金が山エリートなことに尽きる。

そして現在は長野県信濃町在住。C.Wニコルも谷川雁もこの土地に惚れ込んで移り住み、たくさんの本を書いて、人々に影響を与える思想を残して死んでいった。言葉は種となり、土地に根付いて、風に吹かれて、死後もなお芽吹いていくことに儚さを感じてしまう。そこが、いい。山は、いい。

ここならなにか遺せる気がする。風の会社として経済活動をしてきたHuuuuとは違った、「土」ならぬ「森」のアクションに移るステージなんじゃないか。時は来た。山は動かず、そこで待っている。

会社もひとつのメディア表現である

ある日、重い腰をあげて薪割りをすることにした。冬の訪れが近づいていて、雪が降り積もる前にやらなければ翌年以降まで乾燥できない。裏山の整備をして、佐久のヨガきこりにお願いした丸太がゴロゴロ置いてあったからだ。

自分の力量に合ったコンパクトな斧を買っていた。両手でぎゅっと握り持ったときのフィット感は、「自分の道具だな」と身体で思えるものだった。

丸太の木目を見ながら、ショートケーキの8分割視点で焦点を合わせる。一度では割れない。斧を振り上げて、木目の中心に向かって膝を使いながら縦に落とす。少しヒビが入った程度だろうか。

立ち位置を少しずらしながら、集中するために深呼吸する。スーハー。そして息をピタッと止める。鼻から少し空気が漏れる程度の力加減で、ヒビの入った丸太に何度も斧を振り下ろす。

パカーン!

爆誕
音がいい
解放がいい
考えるのにいい

思い起こせば自然回帰へのきっかけは、12年前に訪れた長野県の朝日村での薪割りだった。過去何度もインタビューで答えているが、都市生活で闇雲に自分探しをしていた時期だからこそ、自然との接続がダイレクトに生まれたんだと思える。

たかが薪割り、されど薪割り。

あの日の体験がジモコロ立ち上げに繋がり、独立を促してHuuuuを起業し、いま信濃町の山奥に居を構えている。これは偶然ではなく、一歩ずつの目的意識の決断をかきあつめた結果なのである。

人生初の薪割り体験

あらゆる起業家が自身の原体験を事業にしている。喜びや苦しみの種が心に埋め込まれて、好奇心の水を注ぎ続けたら、実行のエネルギーが芽吹く。一度咲いたら立ち止まれないぐらいの情熱は、山のルーツから全国行脚の価値収集にまでつながっている気がしてならない。

つまり、今回の思いつきである”株式会社パカーンの立ち上げ構想”は、41歳で訪れた主体的な起業になる可能性が高い!

やりたいことをやり尽くしてきた実感の反面、まだまだやれることがあるんじゃないか?とここ一年ぐらい遊びと休養を重ねながら試行錯誤していた。

自分も社会も自然循環の入口に導いていって、もっと人間性を取り戻すことに時間を使ったほうがいいんじゃないか? 

もっとも低いハードルで、身体性を伴った自然循環の入口は「薪割り」にあるはず。木を割ったときのパカーンと思い込みを取っ払うような脳のパカーンは、都市生活に疲弊している人たちにとっての福音になるんじゃないだろうか。

宮崎駿もドキュメンタリーで作業が煮詰まったら、散歩をして薪割りに集中していた。身体性と願掛け。リフレッシュの意味合いもあるのだろうが、昨年ASDグレーゾーン判定を受けた自分にとっても、あちこち散らかった思考が一本の束にまとまる薪割りは、クリエイティブにも良い影響を与えるはずだ。

まさに12年前の実体験が説得力を生む。実態が見えづらい編集の会社であるHuuuu(風)では辿り着けない、より具体的なアクションとメッセージを社会にぶん投げるため。株式会社パカーンはひとつのメディアとして捉えて、社長になる気持ちよりも、編集長として取り組むことが自然な流れなんじゃないかと思い至った。

よくよく考えれば8年務めたジモコロ編集長とHuuuu編集長は同軸でリンクしながら動いていて、すべての表現がメディア的だったと言っても過言ではない。シンカイも、MADOも、夜風も、その他のあらゆる思いつきがHuuuuの特集といってもいい。やばいぐらいにしっくりくる。

あえて長野県初の森林領域スタートアップとして捉えて、上場を目指すぐらいの気持ちでやってみたい。

閃きの5つの事業イメージを発表

①森林のWEBメディア「パカーン」


Yahoo Japan!さんと一緒に3年ほどやっていた海のメディア「Gyoppy!」。はせたくさんがフィッシャーマンジャパンで培ってきた関係性と解像度に預かりながら、大いなる海の課題感に触れる体験はとてもよかった。

メディアが提示する大喜利のお題に対しての回答はわかりやすいし、アーカイブとしてもタメになる。さらに取材対象者にとても感謝されたのも素直に嬉しい。人間は相互関係における信頼が貯まる仕事をやったほうがいい。それ以外のブルシットジョブからは距離を取るのがおすすめ。

これの!山…森林版をテーマにしてやったほうがいい!と常々考えていたので、社名そのままの「パカーン」をメディア名にすればええやんと。

専門領域はマニアックで、興味を抱いて本を手にとってもとんでもない分厚さが待ち受けていたりする。読めばおもしろい。

その手前段階で好奇心をむくむくと育てる役割は、ウェブメディアだからこそ担える。まだまだ現場の課題は解釈できる余地があるし、次世代に豊かな森を残すための時間軸は、近代的な経済合理性では耐えにくいことなのだとは思う。

だが、それでも。山に暮らす当事者意識を活用して、パカーンが法人としてもメディアとしても四輪駆動で走り続けるのは端的にいって強い。

自社でやってもいいし、山や森林の事業をしている会社と一緒にやるのも仕事的には最高。Huuuuで培った編集力を活かしたい企業があればぜひお声がけください。

②企業向け「薪割りメディテーション」


長野県の膨大な自然リソースと東京からの距離感こそが、パカーンしやすい環境だと思っていて。都市生活で疲弊した感性を呼び戻すような森の身体性研修ツアー、あえて名前をつけるなら『薪割りメディテーション』的な体験はめっちゃ需要があるはず!

薪割りを概念的に捉えたワークショップ、焚き火、茶室的な体験。パソコンから離れた身体性と長期時間軸を持つ。身体とは、道具とは、人間とは…哲学的な視点を取り入れた時間を共に過ごしながら、参加者のカチカチに固まった思い込みをときほぐしていく。文字にすると怪しくなってきてたまらんなこれ。

ほかにも、クラウド会計サービス「freee」さんと一緒に、”確定申告サウナ”のイベント企画・運営を二年連続やっていて、フリーランス18名+freeeの社員数名が長野県信濃町にある『LAMP / The Sauna』で充実した体験を提供した例も。

午前中に集まってサービス認知とユーザーフィードバックを兼ねた「その場で確定申告作業」をして、みんなで雪だらけの中でフィンランド式サウナを楽しむ。さらにテーマに沿ったトークイベントを盛り込みつつ、夜は熱燗DJをゲストに迎えての火鍋コースでうまい酒とメシを食らう。

現地のプレイヤーとの関係性や自分自身が何度も通って遊んでいるからこそ、自然の中で何をすべきなのか?をディレクションすることができる。今まで友達と遊びでやってきたことを研修化すればいいだけというか。

セミナー環境のある施設と連携すれば、座学的なトークもつくれるし、社員のチームビルディングや経営層マネジメント層の会議も可能。なんだって、できる。

個人的にはとにかく身体を動かして、大きな声を出して、身心を解放するような楽しい時間が業務時間に置き換われば、おのずとポジティブな影響が組織にフィードバックされるんじゃないかなと。LAMPの山菜狩りやきのこ狩りなんて、遊びを超えた自然教育のエッセンスが凝縮されていて、一度は体験してほしい。

事業として自信を持ってプラン考えられるし、適材適所すぎる美味しいライスワークになる!バスも出せるし、面白いゲストも呼べるし、そのレポート記事もつくれるし、本もつくれる。写真もデザインもクリエイティブ全般でやれちゃうもんな。

③森林領域の経営者向け、編集の伴走

基本、自然の営みに向き合う事業体の経営者は、想像力の時間軸が長くなって思想が強くなるもの。思考と身体リソースの消費も激しく、情報発信や社内向け広報としての動きが後回しになりがちじゃないかなと。

信濃町にあるC.W.ニコルさんが作った「アファンの森財団」では、ニコルさんが作家として数多の文章を書き残しているからこそ、そのイズムを継承できたらしく、同じような動きはどんな経営者にも求められるはずで。私自身の勉強も兼ねて、森林領域の企業に伴走するような形での「編集」は、もっとも相性が良い仕事なんじゃないか?

そんなたくさんできる役割でもないし、一社に絞って事業面にまでグイグイ入り込めるような関係性が望ましい。壁打ちをしつつ、同じ経営者として意見も伝えつつ、実際に手を動かしていく。むしろこれだけでリソース尽きそうな予感もあるけれど、いまnoteを書きながら真っ先にやったほうがいいことだと思えてきた。

これも領域を絞ったからこそ湧き出てくる発想だな。興味のある方がいたら気軽に連絡ください!

④薪のデザインと薪の販売


ホームセンターで売っている薪は、大体ざっくりしている。キャンプや焚き火需要に合わせて一束600円ぐらいで売っているイメージ。針葉樹なのか、広葉樹なのか。木の種類はなんなのか。

目的に応じた薪のレシピがあるはずで、薪ストーブ、サウナ、焚き火、薪火料理などなど、火の管理や木の特性によって燃焼時間は大きく変わる。だったら、薪の特徴を伝えるためのパッケージがあってもいいんじゃないか?

たとえば、薪を巻くための紙をデザインする。薪のレシピが書かれている。針葉樹は燃焼が早いとか、広葉樹の方が長持ちだけど高いとか。ナラはこういう木でどんぐりがなるよとか。

薪のバリエーションを理解するために、多様な木を集める。自分たちで割った薪をデザインするのは一番楽しいと思う。欲をいえばホームセンターとコラボして、薪のパッケージを売りたい。全国のカインズに並んだら最高。生産者の顔が見えたっていいし、木の特徴から森林管理の現状を伝えて、サーキュラー的な視点でも付加価値はつけられる。

森の循環マップを作って、薪→木の伐採→山の資源管理→木こり→山の多様性→鹿の獣害→狩猟人口の減少→山近くで暮らす集落の必要性→カーボンニュートラルみたいな自然サイクルを伝えるのもやってみたい。ゼンブツナガッテルズなのよ、これは。

⑤背負子の再編集

重い荷物を運ぶための道具「背負子」が、めちゃめちゃかっこいいのをご存知だろうか?

オール自然素材。シンプルな機構ながら、道具として完成度が高すぎる。もちろん現代は素材が変わって、アウトドアブランドから背負子を継ぎしプロダクトが売られているものの、古民具としての風合いと佇まいにいきなり惚れてしまった。

きっかけは全国各地で自著『おまえの俺をおしえてくれ』を手売りで販売しているときの気付き。15冊ぐらい持ち歩くのは正直重い。発送したくなる。それでも「利益の低い本の販売に送料を乗せたくないな…」という思いから、意地で続けている。

ある日、トークイベント後にキャリーから本を取り出してもインパクトがないことに気づいた。さらに社内のスタッフは誰も地方出張に自社の本を持ち歩かない。ふざけんなよと思いつつ、「逆に俺は自社で出版した本の背負って売りまくってやる!もっと背負うぞ!」と火がついたと同時に、「ダイレクトの本を背負って全国売った方がかっこいいのでは?」と閃いたのである。

イメージ写真

実際に背負子を買って、背負ってみた。つまりこういうことだ。責任を背負って売りたい。取次に任せず、本屋に甘えすぎず、ドサ回りスタイルで直接本を売り届けたい。こんな話を岐阜県・郡上でトランスナビゲーターの異名で活動している井上博斗さんにしたら、会心の一撃が返ってきた。

「現代人は要らぬものまで両手で抱えて手が塞がってるよね」

つまり、意識的に背負えば両手が空くってわけだ。

そもそも社会が責任を背負わない方向に向かっている。政治だってそうだ。戦後からズルズルと続いた制度システムはとっくに疲弊していて、誰もが目先の判断で暮らしてしまっている気がしてならない。背負うことで生まれる足腰の強さをもっと信じた方がいいんじゃないか?

この思想哲学を背負子に込めて再編集していきたいのだ。なんなら薪も背負える。段ボールに本を詰めたら50冊以上は背負えそうだし、長野から東京までこの姿でイベント会場に入っていって、観客の前で背負って来た重みが伝われば、きっとこれまでの倍は買ってくれると思う。

というわけでパカーンオリジナルの背負子プロダクトをつくりたい。実際にその背負子で全国ツアーに出ていく気概もある。5年後にはきっとSupremeコラボが出ているだろう。キャッチコピーは「よいしょ、背負子」。

以上。

これが、まだ法人登記もしていない段階で思いついている株式会社パカーンの構想である。7月に始動予定。このnoteがきっかけとなって、パカーン的な相談や依頼が届くことを待ち望んでいるし、各地で誰かと酒を飲むたびにこの話をしていると思う。

事前にやりたいことを放り投げたことで生まれる波紋こそが、パカーンの需要だと信じています。いまのところメンバーは徳谷柿次郎のみ。編集リソースはHuuuuと連携。売上見込みゼロ。長野発のスタートアップ目指して、支援制度や出資の仕組みも勉強していきたい。目指せ、上場。

デジタルとリアル。脳と手。都市と地方。ぜんぶごちゃまぜにかきまぜていこう。まずは薪割りを自然循環の入口に位置づけて、本来の人間性を取り戻すことがミッション。実態なき経済に斧を振り下ろして、身体性を伴った現実的で泥臭い仕事で脳をパカーンとさせたいクライアントと仲間、求む!! 

1982年生まれ。全国47都道府県のローカル領域を編集している株式会社Huuuuの代表取締役。「ジモコロ」編集長、「Gyoppy!」監修、「Dooo」司会とかやってます。わからないことに編集で立ち向かうぞ!