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どっちの「良いね」が欲しい?

コピーは、誰のために書くものでしょう?

と聞かれると、本当は「それはもちろんターゲットのためでしょう」と言わねばなりません。

しかし100%ターゲットのためにコピーを書いているかと聞かれると、皆さんどうでしょう、違うかも、本音では。


クライアントの担当者

ターゲットに商品を売りたいはずのクライアント、なのですが、なぜか担当者がマーケティングから大きく外れた個性を発揮する場合があります。ありますよね?経験的にいうと約半分の人間は発注する側になると、どうも俺は何でも許される特別な地位にいるんだと勘違いするようです。そして個人的な嗜好を広告に織り込みたくなるようです。

オリエン資料にも無い、マーケティングにも現れない、この担当者の好みをコピーに反映すると、表現のクオリティは別として、採用される率が上がります。競合であれば、実際、勝つ可能性が上がる。

クリエイティブにあまり興味のない営業であれば、コピーライターが変に自己主張するより、目の前にある答え(担当者の好み)を拾ってさっさと売上にしたいと思うでしょう。

また、クリエイティブにあまり興味のないコピーライター(が、世の中にはいるんです)であれば、まぁ、それでOKならコピーについて深く考えなくて済むからいいや、と好みに合わせたコピーを書くでしょう。

ターゲットのためではなく、クライアントの担当者の「良いね」を拾うことも、コピーライターとして生き残っていく道のひとつではあります。

広告賞の審査員

でも、新人の頃は、クライアントに言われたことに逆らえなくて(逆らい方を知らなくて)、クライアントのためにコピーを書いたりもするでしょう。そして実力が付いてきて、ふと気付くと「あれ、コピーライターってこんな仕事だっけ」と思い至る、かもしれません。

こんな(クレイジーな)担当に媚びるコピーじゃなくて、プロから認められるコピーを書きたい!

ということで、広告賞を狙うようになります。カンヌは無理でも、TCCは狙いたい。自主制作だと宣伝会議賞、朝広、毎広、新聞広告コンテスト、ピンクリボンなどなど。すると、各賞とも審査員がいるので傾向と対策を考えるようになる。「過去の受賞作にとらわれず広告の可能性を広げる表現を期待します」と言って、選ばれる作品は、、、なんか似てる。というか傾向がある気がする。

ある赤い色の本で、「審査員の数人をうなずかせるなんて簡単だ。傾向に合わせてこしらえ、少しひねってあげれば良い」と読みました。相手の背景を調べ、書いてきた(選んできた)コピーを知り、今見ている方向を知れば、審査でイイ線行くのではないか、みたいなことを考え、コピーを書きだします。

広告賞の審査員の「良いね」は、クライアント担当者の「良いね」と一致するでしょうか。例えばTCC年鑑と世の中に出回っている多くの広告を比べれば、明らかです。(具体例に出してすみませんが、「YES!高須クリニック」とかは顕著な例だと思います)

また、ターゲットの「良いね」とは、一致するでしょうか。ターゲットの「良いね」は、イコール「買いました」「選びました」です。どうでしょう。

・・・うむむ。

誰に向かってコピーを書くのか、という問に唯一の正解はないので、私の思うところを最後に書いて終わりにします。

「ターゲットのため」は大前提として突き詰めます。その上で、「これはどう頑張っても賞をとれるレベルに達しない」という仕事では「クライアントのため」にコピーを書きます。「これは賞を狙える」と思えば、賞をとるために「審査員の良いねのため」にコピーを書きます。

コピーは目的を持った言葉ですが、その目的には書いている人の思惑も含まれているのです。ふふふ


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