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漢字の歴史 その3 篆書

甲骨文、金文の次は篆書(てんしょ)が誕生します。
(甲骨文については漢字の歴史 その1、金文については漢字の歴史 その2をご覧ください。)

甲骨文は「天帝(神)との対話」(=占卜)のための文字でしたが、金文は「政治のため」の文字となりました。甲骨文字は獣骨に刻まれ、金文は青銅器に鋳込まれたり、刻されました。
この後に誕生した篆書は、「政治国家のため」の文字で、それは石に刻まれました。

石に刻まれた文字を石刻文(せっこくぶん)と言います。現存する最古の石刻文は「石鼓文」(せっこぶん)と呼ばれるもので、文字どおり太鼓の形をした石に文字が刻されています。「石鼓文」は戦国時代の秦の中期(紀元前5~4世紀)のもので、中国統一以前の秦の文字であるとされています。内容は王の狩猟に関する四言詩が刻まれています。王の狩猟の盛大さを見せつけてその偉大さを伝えるために作ったものと思われます。
「石鼓文」の文字は、篆書の書体のうち「大篆」(だいてん)と呼ばれているものです。

その後、秦の始皇帝は紀元前221年に中国統一を果たし、その証として東西南北広い範囲の政治や人々の暮らしを視察しました。その際に自分の功績を記した碑を各地に建てました。しかし、残るのは「泰山刻石」(たいざんこくせき)「琅邪台刻石」(ほうやだいこくせき)の一部しかありません。
殷の甲骨文字や西周の金文は、一部の支配者のみが使用できるものでしたが、戦国時代には漢字は地域ごとに独自の発展をして、地方色が強くなっていきました。秦の始皇帝は地域によって文字の形が異なることは統一政策推進の妨げになるとし、文字の統一を重要な政策として取り上げ、文字の統一を行いました。(その他にも、度量衡や貨幣の統一も行いました。)
この時代の篆書は、篆書の書体のうち「小篆」(しょうてん)と呼ばれているものです。

このように、篆書となった漢字は秦の始皇帝の時代には「政治国家のため」の文字となりました。

篆書の特徴
「大篆」石鼓文 
 甲骨文・金文の象徴的、絵画的な表現が、均一な太さの線の構成(字画化)をとり始めています。
 字間、行間がそろえられています。
文字の大きさをそろえ始めています(字界化)。
 金文に比べると文字のサイズは縦横約2倍、面積約4倍になりました。

「大篆」石鼓文

「小篆」泰山刻石
 均一な太さの線をあつめて文字が構成(字画化)されています。
 字間、行間がそろえられています。
 文字の大きさが均一化(字界化)されています。
 横画は水平に、縦画は垂直です。
 字の形は縦長、左右対称です。
 文字の大きさは、石鼓文よりも縦が約2倍、横が約1.5倍です。

「小篆」泰山刻石

次は隷書について書きたいと思います。

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