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ベートーヴェンの裏声 そのジョージ・ハリスン的な側面

私は以前、ベートーヴェンのピアノソナタ9番はひどい駄作であり、とてもベートーヴェンのものとは思えない、9番は9番でもアッチの9番とはえらい違いだ、きっと8番(悲愴)で精力使い果たし、魂の抜けた状態で書いたのだろう、みたいなことを書いた。


そんなことを書いたのを、いまでは大変に後悔している。ベートーヴェンの霊に謝りたい。


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私は、自分で作成したベートーヴェンのピアノソナタ・ランキングに従い、駄作から初めて、だんだんよくなる、どんどんよく鳴る法華の太鼓、的に少しずつ名曲になり、最後に最高の名曲「月光」に至る「ベートーヴェン・ピアノソナタ全曲演奏」のプログラムを考え、それに沿って練習を始めていた。


そのプログラムの第1曲である9番を、「サイテーだなあ」と思いながら練習していた。

そんなある日、私はふと気が向いて、「ベスト・オブ・ジョージ・ハリスン」のCDを聴きはじめた。

そして、聴いているうちに、あの気の抜けた「2人はアイ・ラブ・ユー」という曲のあたりで、突然、わかったのである。

「ピアノソナタ9番は、ジョージ・ハリスンだ!」

と。


ビートルズの中で、「力強い声」を担当したのは、ジョン・レノンとポール・マッカートニーだった。

そして、ジョンがロックな部分を、ポールがメロディを担っていた。その両者は、ベートーヴェンの音楽の中にもあって、ベートーヴェンの主たる魅力を形作っている。

しかし、ベートーヴェンには、「ジョージ・ハリスン」的な部分もあったのだ、と気づいたときから、あの力の抜けた「ピアノソナタ9番」の魅力がわかってきた。


ベートーヴェンは、音楽史に稀なほどストロングスタイルの作曲家で、プロレス史でいえばアントニオ猪木だと思う。

そのアントニオ猪木が、いつもの闘魂タオルではなく、生ギターを抱えてリングに上がり、四畳半フォークを歌い始めたら人は驚くだろう(たとえが古すぎて若い人にはまったく伝わらなくてざまあ見ろと思う)。

しかし、ベートーヴェンには、たまにそういう真似をする面がある。


ポールとジョンは、とりわけ頑丈で太い「のど」を持っていた。

しかし、ジョージの「のど」は弱く、そのうえヘビースモーカーだった(たぶんそれが最終的に彼の命を奪った)ので、その歌声は弱々しかった。しかし、それが後年には、繊細な「味」になっていく。

ジョージ・ハリスンはソロになり、ポールとジョンの引力圏から逃れたことで、フォークロック的な、リラックスした曲を書くようになった。私は、昔はそういう音楽志向が嫌いだったが、どこか惹かれるところがあり、だから彼のCDを、ちょっと疲れたときなんかに聴くことが多い。

そして、その頃のジョージの音楽は、ポールやジョンの同時期の音楽より、長生きしていると思う。いま聞いても、古い感じがしない。


ベートーヴェンは「1人ビートルズ」のようなもので、音楽の中でさまざまな側面を見せた。「ジョージ・ハリスン」の要素もそこにあり、それがピアノソナタ9番だと分かって、私はこの曲が好きになってしまったのだ。

他にも、ピアノソナタ24番とか、交響曲8番とか、ハリスン的な曲をベートーヴェンは後年まで度々書くが、それが「ストロングスタイル」の曲ほど人気が出ないことを、本人は不満に思っていたようだ。

「なんだ、いまごろその良さに気づいたのか」

とベトちゃんに言われそうだ。

たぶんリンゴ・スター的な曲も書いていると思うが、まだ発見していない。

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