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江戸京子さん死去 オノヨーコ、草間彌生との関係

ピアニストの江戸京子さんが1月23日亡くなっていた。

父は三井不動産会長を務めた江戸英雄さん(97年死去)で、指揮者の小沢征爾さん(88)は元夫。

老衰、86歳。お悔やみを申し上げます。


以前、わたしは、草間彌生、オノヨーコ、小澤征爾、江戸京子が、1960年ごろ、同時にニューヨークにいた、という話を書いたことがある。

とくに気になっていたのは、江戸京子とオノヨーコの関係だ。



長年、私の心にひっかかるのは、草間と、小沢、そしてオノの関係である。たしかにこの3人は、同世代で、同時期にニューヨークにいた。

草間彌生(1929年生まれ) 1957年に渡米し、ニューヨークを拠点に前衛芸術家として活動。

オノ・ヨーコ(1933年生まれ) 1956年に作曲家の一柳慧と結婚して、1959年に渡米。ニューヨークを拠点に前衛芸術活動を始める。

小沢征爾(1935年生まれ) 1959年にブザンソン指揮コンクールで優勝し、1961年からレナード・バーンスタインの下でニューヨーク・フィルの副指揮者になる。

草間は、ニューヨークのアートシーンで、オノの先輩にあたる。草間の目に、オノはどう映ったのか。2人はどのように出会ったのか(または、出会わなかったのか)。

小野洋子(オノ・ヨーコ)はそのあとジョン・レノンと結びつくので、クラシック楽壇の小沢とは畑がちがう印象があるかもしれないが、当時は一柳慧を通じて東京の武満徹などともつながる、芸術音楽寄りの人だった(そのころの一柳周辺のことは立花隆が武満伝でちょっと書いている)。

そして、ピアニストの江戸京子の存在もある。1960年前後に渡米し、1962年に小沢と結婚する。同じころ、オノ・ヨーコは一柳慧と破局を迎える。三井財閥の令嬢である江戸と、安田財閥の令嬢であるオノとのあいだに、何か交渉はなかっただろうか。一柳と別れたあと、オノは米人映像作家とのあいだに一女をもうけるが、彼女はその子を「キョーコ」と名付けた。


そのあたりをふくめ、1960年代前後にニューヨークいたこれらの人たちのノンフィクションを、だれか書かないかと呼びかけていた。

江戸京子が亡くなり、ほかの人たちも高齢だ。

60年前のニューヨークの日本人群像は、ちゃんとした記録に残らずに終わるのだろうか。

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