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君子の交わり


ママ友


子どもの小学校のママ友で、すごく気が合って仲良しになり

学校やPTAの不満などを共有していた友がいた。

40代になってもこんなに親しくなれるんだ

びっくりしながら、少女時代のように楽しいおしゃべりを重ねた

子どもが高校に行き、大学生になってからも

マックや、ミスドや、時には公園で、ずっとそれは続いていた。



時間のないときはちょっとだけ公園で


けんかをしたとは思っていない

だけど、ちょっと私が傷付いたことがあった

それは、ある話題が原因だと分かっている。


今で言うならば、Twitterでよく目にする

反マスクや反ワクチン、と言えばいいか……


親子が、ワクチンをするか、しないかで断絶してしまったり

大切な人だからこそ言うのに分かってもらえない、とか

近しい人との真逆な意見の対立で関係が壊れ

疲弊していく人をよく目にするが

そういうことと同じなのだ。


放射能の話はしないでね


10年も前の話なので、話題は放射性物質だった

福島原発事故の後、人の健康に及ぼす害について

風評被害だといって過小評価をする人と

チェルノブイリ事故を教訓に警鐘を鳴らす派に二分していた。


私はもちろん後者だった

食べ物や飲み水に気を付けることにしたが

そういう話をするのは、ほとんどが家族の範囲だけだった

最初はね……。


ちょうど姪が自立するときで

マンションも決まり、一緒に不動産屋に会おうという日のこと

事前に一言だけくぎを刺された

「ねえ、放射能の話はしないでね……」


そんな話を初対面の他人にするわけがないじゃない

いや、そう思われるからには

内々ではすさまじい勢いで話題にしていたということなのだ

多分。


ちょうど今ぐらいの時期だった気がする


これが別れなの?



思えば彼女の夫というのは、そんな私とは真逆の人だったのだと思う

だから、時々は私に話を合わせながらも

内心、彼女には葛藤があったのかもしれない。


親しいから、彼女にだけはと話しはじめていたけれど

だんだん、明るくそらすようになった態度が、妙にかんに障った

それなら、真っ向から言ってほしかった


いやいや、そうでないのが彼女の良さなのに

当時はそれに気付けなかったのだ。


ちょっと、苦言を呈するようなメールを送ったが返信はなかった

でも、お正月には毎年のように年賀状が来て

私が返事を書くという、いつものパターンになると思っていた。


そうして、少し間を置いて

また別の話題で再会できると思っていたが


その年賀状が来なかったときに初めて

あれが別れだったんだと気か付いた。


同時に、年賀状の返信がちょっと負担だった自分にも気が付いた

もしかしたら、彼女が怒って出さなかったというよりも

(そのときはそうとしか思わなかったが)

働きづめの私を配慮したのかも


今なら、そう考えられなくもないのだが……。


思わず手を振る


お正月の前だったと思うが

道の向こうから、彼女が歩いてきて

見つけた私はうれしくて、すぐに大きく手を振った

だが、5メートルぐらいのところに来て

変な目で一瞥して通り過ぎていったのは、全くの別人だった

相手がマスクをしていたから間違えてしまったのだ。


そのぐらい、私は以前と全く変わらないのに……


手を振った相手が彼女だったら……


心の中では今も、彼女を見つけたら手を振る私がいる

でも、メールをしたり、誘ったりすることはもうできない気がする


「私とあなたを遠ざけてしまったものは何なのだろう」


今朝も、あの道を歩いていて、ふと、彼女を思い出していた。



でも、それは放射性物質のせいではなかったと

今ならはっきり言える

人を分断する新たな原因物質が現れて

人との関わりというものが問われている。


「君子の交わりは淡きこと水の如し」というが


片方だけが君子でも、友情は成り立たないのだろう。

                   2022.12.09

創作の芽に水をやり、光を注ぐ、花を咲かせ、実を育てるまでの日々は楽しいことばかりではありません。読者がたった1人であっても書き続ける強さを学びながら、たった一つの言葉に勇気づけられ、また前を向いて歩き出すのが私たち物書きびとです。