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舳倉島へ行った時の事

2015年に五島列島へ一人旅をした事を期に、離島の旅に目覚めつつあった私は、地元である北陸にも上陸できる有人離島はないかと探した。
ないよな……聞いた事もないしな……と思いながらネットで検索すると、あった。
日本海にぽつりと浮かぶ島、その名も舳倉島。
海の幸に恵まれ、海女の島として知られ、350種類以上の渡り鳥が羽を休めに来る島。
島内は歩いて2時間ほどで一周ができる広さ。民宿が2つ、売店などはない。
100人程の人々が定住しており、海女の方達が漁をする春や夏には本土から来る人で何倍にもなるらしい。

確かに地図をよく見ると石川県の上に点があったが、想像力の乏しい私は、そこに人が住んでいる事を想像できなかった。ちなみに舳倉島の下にある点は七ツ島と呼ばれ、かつて漁の時期は住む人もいたらしいが、現在は無人島である。
後から聞いた話だと、そこには、自分の船を持つ釣好きの方等がその付近で釣りを楽しんだりする事もあるらしい。楽しそうだな。

物知りな祖父に舳倉島について尋ねると、「タコ島の事やな」と呟いたが、どうしてそう呼ぶのか教えてくれなかった。珠洲市にある蛸島町にちなんでかも知れないし、蛸がよく取れるからかも知れない。祖父以外の年配の方もそう呼ぶのだろうか。

舳倉島へのルートは、輪島港からへぐら航路さんの船、「ニューへぐら」に乗って行く。1日1往復の航路で、片道1時間半程だ。
私はすぐ、次の休日に車を2時間ほど走らせて輪島港へ向かったが、あいにくシケに見舞われており、船は休航していた。悲しかったので、友達2人を誘って再度チャレンジする事にした。

別日、早朝に友達と待ち合わせ、輪島港で料金を支払い、船に乗る。
船の中には釣人と思しき釣り道具を持った人、バードウオッチングに来たのであろう、立派なカメラを構えた人々がわんさかいた。皆しっかりした装備をしており、本気で趣味に挑んでいるという感じだった。改めて凄いところに行くのだな、と思った。完全に観光目的で来ていたのは私達3人くらいのようだ。

船が出発すると、荒れる日本海のため船内はおおいに揺れる。後から知ったのだが、舳倉島への航路は揺れが大きい事が多く、欠航も多いらしい。友人の1人が早々にグロッキーになってしまう。彼女の様子を見ながら、もう1人と甲板に上がる。カメラを構えた人々が鳥達をバシャバシャ激写しているのを尻目に、あたりに広がる一面の海は荒々しくも綺麗だった。
すると1人の外国人の男性が、私達に虫除けクリームを貸してくださった。長い金髪を無造作にゴムで束ね、メモやスマホ、ペットボトルなどの持ち物を全てジーンズのポケットに仕舞っている身軽な出立ちの彼は、大きなカメラを手にしていた。この方もバードウォッチだろう。
「舳倉島は蚊がすごいですから、塗っておいた方が良いですよ」
流暢な日本語のアドバイスだった。その情報は知らず、本当にありがたかった。今は10月だが、そんなに酷いのだろうかと思いながら、お言葉に甘えて使わせて頂く。お返しすると彼は再び撮影に戻って行き、撮影してはものすごい勢いでメモに何かを書きこんでいた。私達は日焼け防止も兼ねて始めから長袖だったが、彼は半袖だったのでやや心配になった。
そして舳倉島の蚊の凄まじさを、私達は後に身をもって知る事になる。

途中、七ツ島も越えながら、1時間ほどすると、島らしきものが見えてきた。


舳倉島だ!本当に石川県に有人離島があったのだと改めて実感する。
島が見え始めると、そこから先はあっという間だ。みるみる近づき、港に到着する。
すると釣り人達が我先にと荷物を持って一斉に走りだし、すぐに誰一人見えなくなる。さながらマラソンレースのようだった。船を迎えに来たのだろう、リードをされていない小さな小型犬が、尻尾を振りながら慣れた様子で人の間を縫って走っている。沢山の日用品を運び出す人、早速カメラを構える人。船が到着した港は賑やかだった。
ただ友人はまだグロッキーだった。
親切な女性に、診療所への道を教えて頂く。小さな島な事もあり、歩いて2、3分の距離にある。とにかくまずはそこに連れて行く事からだった。
綺麗な建物の中に、若い男性がいた。事情を説明すると、快く受け入れてくださり、友達を預けて行く。さあいよいよ出発だ!と診療所から出発した。

今日が風の強い日のせいもあっただろうが、海の真っ只中にあり、遮るもののない島内はどこに行っても強い風が吹いている。特に港の反対側は強く、そこには民家などは一軒もなかった。

決して広くはない島だが、その歴史や文化は深い。弥生時代の形跡が発見されていたり、神社が7つもある。


真ん中の画像の池は竜神池と言い、悲しい竜神伝説が語られている。


何だろうこれは……
舳倉島には、海沿いに、沢山の石積みが並んでいる。
ケルンと呼ばれるこれらは、何か謎のメッセージだろうかとSFめいた事を言われた事もあったらしいが、実際は海に潜り漁をする海女の方々への目印として置かれた優しい積石らしかった。その他、竜神への供養とも言われている。

鳥居から海が覗く。

1つの神社の手水舎に、熊手のようなアイテムが入っていた。何か意味があるのか分からないけれど、神聖なようにも思えて、撮るのが躊躇われた。

美しい海だが、ここにも人間の捨てた漂流物が浮いていた。ハングル語が書かれたペットボトル、中国語の空缶、ロシア語らしきものもある。


ニノキン!
小中学校が一体となった建物がある。現在は閉じているけれど、建物自体は綺麗に残っていた。夏季だけ開かれる事もあるらしい。昨今の歩きスマホの弊害により、撤去されつつある二宮金次郎の像もある。この島まで歩きスマホのクレームが届く事はあるだろうか。
草ぼうぼうになったグラウンドにはカメラを構えた人達が沢山いて、鳥を見つけては写真を撮り続けていた。
島を一周するくらいになっても、不思議な事に、一緒の船に乗った筈の釣人達と全くすれ違わなかった。別の船にでも乗って海に漕ぎ出しているのだろうか。

海女の方が漁をされるのは春や夏にかけてらしく、10月の今、港は静かだったが、船に沢山の美しい貝殻が積まれていた。

船酔いから回復した友達と合流する。診療所に行くと、外で女性と先生がポカリスエットを飲みながら談笑していた。自由だ……。
島に住んでおられるのだという、ポカリを飲んでいた女性に話しかけられた。ニコニコと笑っておられ、背筋のしっかりした、溌剌とした方だった。海女の女性に会った事はないが、恐らくこういった方達なのかも知れない。
「大丈夫やった?災難だったね。何しに来たの?え、観光?」
「はい、そうなんです」
その後に続く女性の言葉に、返答に困った。
「どこから来たの?昨日全国のN○Kで舳倉島紹介されとったよね。それを見て来たんでしょ、関東の方?大阪?」
自分達の住む地域が全国で取り上げられたら、殆どの人は喜ぶだろう。それが僻地であれば尚更。私達は無言で顔を見合わせ、昨日その番組を見ていない事を伝え合う。
どうしよう……石川県と、隣の富山県から来ましたと言ったらがっかりされやしないだろうか…
しかし嘘を言ってもしょうがない。素直に伝えると、女性から笑顔が消え、思い切り落胆させてしまったのが分かった。
「ああ、そう……じゃあ、気をつけてね」
素っ気なく告げられ、私達は別れた。
嘘でも東京から来ましたと言えばよかったな…と後悔したが、時は戻せない。私達はとぼとぼと島内を歩き出した。

駐在所があるが、現在は使われていないのか、強風から守る為か、扉や窓に板が打ち付けられていた。

島に一つある灯台へ向かう。昔は灯台守の方がいたらしいけれど、現在は無人。その横には、海水を浄水する施設ある、へぐら愛らんどタワー。灯台へは入れなかったが、タワーには入れた。特に注意書きはなかったが、OKか分からなかったので内部の撮影はしなかった。

島の歴史や生息する生物の解説、舳倉島と七ツ島の土地についての調査の記録があった。舳倉島や七ツ島は、海に囲まれ、自然豊かではあるが、大陸側からの汚染の影響を強く受けてしまっているという。信じがたかったけれど、海岸に流れ着いている外国語の漂流物や、島の位置を考えれば納得ではある。

海中に手を付けたり、灯台の下で、船出前にコンビニで買ってきたパンを食べたりしていたが、その間も、観光している最中も、とにかく蚊がすごい。特に草むらや海沿いにいる。長袖長ズボンを履いて来たのだが、靴下とズボンの間や、ズボンと上着のわずかな隙間のみならず、服の上からも刺されまくっていた。人生でこんなに蚊に刺された事なんてないんじゃないんだろうか。普段相手にしている彼らより、余程生命力が強い。


海に囲まれた、小さな島。海が荒れた時には、定期便も停まってしまう。そんな場所では人々は互いに助け合い、働き合って、生活をしているのだろう。人の血を貪り吸う蚊だって必死なのだ。こちらが痒いのは辛いけれど……
多分、この島に私が住んだと想像すると、生きていく上で、今の仕事であるデスクワークはまるで役にたたないだろう。それよりも漁をしたり、その為の整備を行ったり、野菜を育てたりする方が、遥かに有意義な筈だ。

出発の時間が近づいて来ると、バードウォッチングの方々も、どこかに消えていた釣人の方々も戻って来た。賑やかになった船内の甲板から、待ち時間の間、恐らく船員の方が懸垂をしているのが見えた。なるほどこれが海の男というものか…と眺めていた。

船が出発する。行きで船酔いした1人の友人は、出発前から酔い止めを飲み、酔い防止の為に既に寝転んでいた。
船の中で、1人の男性とお話しする機会があった。彼は舳倉島に2週間滞在し、バードウォッチを終えて帰るところなのだという。とても熱意をもって取り組んでおられるが、果たして個人の趣味なのだろうか、仕事なのだろうか。趣味だとしたら、それ程まで夢中になって取り組めるものがあるのは、とても眩しく思えた。


絶海の孤島が遠ざかっていく。同時に太陽も島側に降りつつあった。舳倉島の夜は筆舌に尽くし難いほど綺麗な星空なのだという。
今度また来た時は、夜の舳倉島も見てみたいと思った。

輪島港に着くと、チケット売り場で預かって頂いていた車のキーが、ずらりと並べられていた。誰かが盗んでいきやしないだろうかとも一瞬思ったが、島に来てまでそんな事をする人もいないだろう。虫除けクリームを貸してくださった外国の方は東京のナンバーの車に乗りこみ、颯爽と帰って行き、私達はまだ揺れる船の感覚が抜けないまま、輪島港を後にした。

その日風呂に入ると、蚊に刺された沢山の箇所が赤く腫れていて、猛烈に痒く、その痕は2ヶ月くらい消えなかった。

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