AD50「バラエティプロデューサーの告白」

[水道橋博士のメルマ旬報 vol.237 2020年8月発行「テレビの果てはこの目の前に」より]

【諦める】とは「希望が叶わず断念する」意だけど、語源的にはもともと【明らめる】であって、「事情や理由を明らかにする、はっきりさせる」意であって、それは「心を明るく楽しくする、気持ちを晴れやかにする」意でもあるのだ。
つまりいろんなことを【あきらめる】ことも、悪くないのだ。

『半沢直樹』やっぱおもしろいな!ジャイさん(福沢克雄監督、ジャイアンに似てるからジャイさんで、福沢諭吉の玄孫)の演出、久世さんや鴨下さんの往年のTBSのドラマのDNAがちゃんと息巻いてる。
子どもの頃からずっと観てたドラマの息吹を感じてしまう。1シーン1カットにちゃんと意味がある演出。
『半沢直樹』いろいろ凄いけど、いろいろ考察するに、やっぱ堺雅人さんがすごすぎるんだろうな。
TBSのあの人は、『半沢直樹』を見て、自分を誰に投影してるのかな?
諸田?伊佐山?大和田?三笠?三木?渡真利?…半沢直樹はいない気がする。
あの辞令を持ってくる目つきの悪い人事の人みたいなのは、いるな。

その場所やその組織じゃないと体得できないモノってやっぱあるんだよね。
一緒に過ごす時間と空間と人間が生み出すうねりというか息吹というか意気というか。
でもそれは時にうざくて厄介で面倒くさくて、嫌になることもごまんとある。
僕はそれに負けてTBS辞めちゃったけどそのDNAだけは今も信じてる。
まじでまじで想うんだけど、ドラマの現場は今ほんと大変だろうし、ほんとコロナに負けず、そんなのすっ飛ばして頑張って欲しい。
なんかコロナとかそんなの一切描かないで『半沢直樹』びゅんびゅんガンガンやり切って欲しいな。

最近はコロナ禍と論文執筆のため過去の小説や学術書を読んでいるけど、これが抜群に物凄く圧倒的におもしろいのだ。
今に書かれたものには無い、今まで残ってきただけの深淵の価値があるのだ。
そしてそれらを読む方がむしろ今が圧倒的に見えてくるのだ。やっとそれに気付けた今に物凄く感謝している。
今を生きるために未知の過去を知る、未知の未来を想うために今を生きる。
なので今の小人の僕が限られた時間でやれることは、過去の巨人たちの未知の知と想を知ることだと思う。
ここ数年なんとなくそう思っていたのだけれど、それがこのコロナ禍で確信に変わった。巨人の肩に乗ってみることにする。

さて新月。はじまりの日だ。
はじまってないことを、はじめよう。
はじめられないことも、はじめてみよう。
はじまりは、何回はじめたっていいのだ。
新月だからか、今日は皆の気持ちがざわざわするのか、何が変なオーダーや突っかかってくるのがいちいち多いな。。。人心と人身はやっぱり月の満ち欠けに左右されてるんだなってそんな時は実感する。

人生には人生が変わる特異日ってのがある。
明けて2020年7月22日から生まれ変わることに決めた。
今から8年前の2012年7月22日も確かそんな日だったのだ。
その日のノートを見るとテレビプロデューサーから今のバラエティプロデューサーになる構想が書いてある。
確か突如閃いてメモしたのだった。 https://twitter.com/kakuichi41/status/1285608839002435584/photo/1

有名人と知り合いと知り合いの有名人には違いがある。
有名人のテレビやYouTubeは見るけど、知り合いのは見ないことにしている。
というかそんなに見たくない、なぜなら知り合いとは自分で話したいのと、自分のも知り合いから見られたくないから。
なので知り合いが有名人のときはどうするか迷う。

『鴎外 闘う家長』山崎正和著。
高校時代に通っていた市進予備校の国語の先生が絶賛してて購入。
そこから読まず仕舞いなので33年かけて読了。
むしろ今の時代に今の年齢の僕が読むべきものだったのかもしれない。
生きる意味(無意味)、家族の意味、文章を書く意味、そんな多くの意味に気付かされた。

人道にもとる行為をした人が仮にいたとして、その人を糾弾する言葉使いが仮に人道にもとるような汚い言葉使いだったりしたら、それは結局同じ行為をしてることと大差無いのではないだろうか?
その無限連鎖にそろそろ各個人が気付かないと人道にもとる行為はいつまでも無くならないんじゃないだろうか?

自分のかなしさやわびしさやさびしさを、せつなさやねたみややるせなさを、いかりやきしみやいきどおりを、他人のせいにするなよ。それは原因が外にあるとしても、自分自身の内で起こり、自分自身の中ではぐくんだ想いなのだから。
だから自分自身の中で、自分自身が始末をつけるしかないのだよ。

今日はある書籍の締め切りを伸ばしてもらった。
理由は2つ。
昨年から学問を再び始めてだいぶ自分の中で思考がアップデートされたから。
それをこの書籍に投影したい。
きっと遥かに良くなる。
そしてコロナ禍で世界もアップデートされるだろうから。それをこの書籍で反映したい。
きっと独自な本になる。

今日7月24日は開会式だったかもだから、朝に散歩で来てみた。
#今の東京を撮っとこうと思う 場所: 国立霞ヶ丘陸上競技場 https://www.instagram.com/p/CDAT8lzD1iV/?igshid=v8yi2u3iz2xz

そして朝散歩がてら朝ホープ軒。
20数年前のディレクター時代は徹夜続きの編集明けに行ったものだ。
胸焼けしながら胸焼けを増すために食べてたようなものだ。
それ以来の朝のラーメン。
あの頃朝にラーメン食べてた僕は、今の日常を想像してたであろうか。 https://www.instagram.com/p/CDAWUrEj50K/?igshid=fuzjv8mm34ks

コロナ篭り中に色々買っちゃったりしてるけど、iPad Proが一番買ってよかったものかな。
Macで資料観ながらメモりながら、iPadでzoomとか。iPadで資料表示しながら、Macで執筆とか。逆にいらなかったのはiPadのMagic Keyboard。Macと併用してると、その都度使用感覚が違うのでいちいち打ちにくい。

コロナ篭りで一番変化したのは紙の辞書を引くようになったこと。
以前は移動重視だったからweb検索を多用していた。
しかし移動しないならば紙の辞書の方が圧倒的に使いやすし理解も深まる。調べた言葉に赤線を引くのがとても楽しい。 https://www.instagram.com/p/CDA9xRlDzN8/?igshid=11kw62zn4miuu

うーん、やらなきゃいけないこと、書かなきゃいけないこと、読まなきゃいけないものがたくさんあるのだけど、それをよそに今急激に落語と、サンスクリット語と、アウグスティヌスに興味が出てきている。
そしてそれにも増してとてつもなく眠い。。。

おっ、1時間くらい昼寝したら、復活!体力もだけど、気力も復活!!
昼寝はほんと大事だ。
歳食ってきて痛感する。歳食ったオトナこそ、仕事のためにも生きてくためにも自分のためにも他人のためにも必要なものは昼寝なのではないだろうか。

先程、自由大学の『発展途上人学』本科第2回目オンラインにて終了。
テーマは「伝える」。
前回の「企画」の立て方に続いて受講してる皆さんのプレゼンを聴きディスカッションと伝え方のアドバイス。
皆とてもおもしろいこと考えていてとてもワクワクする企画ばかり。カタチになって実現するといいな!

ワタナベアニ @watanabeani
https://twitter.com/watanabeani/status/1286683497441067009
『ブルースブラザーズ2000』を観る。昨日前作を観たので、その流れで。ノスタルジックな良さはかなわない。主人公のひとりがいないんだからしょうがないか。

・・・と思うだろうな、と思ってブルースブラザーズ2000の方はだいぶ見てなかったのですが、10年前くらいに意を決して見たら、そのひとりがいないさびしさが溢れていて、その欠けた映画という事実ですごく感動したのを覚えています。
時間が映画を作るのかも知れません。。。

何か他者と嫌なことが起こって、そのことであなたが傷付いたとしても、あなたが他者をさらにわざわざ傷付けなくても、その他者もすでに十分傷付いているよ、ということが本当かどうかはわからないけど、そう想うしか結局傷つけ合いの連鎖は無くならないのだと思う。

仮に頭がいい人がいるとして能力が高い人がいるとして、その人が今までの自分の経験に閉じ籠って何事ももう分かったように見切ったように、知を広げようとしない想像力を拡げられないのに会うにつけ見るにつけ、それは心の底から残念だし、それって人類への大きな損失なのになってひどくがっかりする。
そしてそういう人が、著名人や文化人、学者や政治家など影響力のある人だったりすると、個人的にがっかりする以上に、この世界に対しての罪があるように思う。その個人に影響力があるということは、その個人のあくまで個人的な思考だとしても他者に多大な影響を与えるということと同義なのだ。

中村隆之『エドゥアール・グリッサン〈全-世界〉のヴィジョン』読了。
読んだ感想は上手く言えないけれど、とても羨ましかった、グリッサンに、そして1998年に彼の作品に出会ってしまった中村隆之先生に。
「本当のことなど何もない、すべては生きている」

伊藤賀一先生のこの意見、自分も今回教育学部の授業取ってみて感じたことと近い。
その授業がさっぱりおもしろくなかったというか魅力が無かった。
この方たちは学問のおもしろさに気づいてないで教育行政を目指しているのか?
そりゃつまらない教育システムになっていくわけだ…とつい思ってしまったほど。 https://twitter.com/itougaichi/status/1286979652796289025

浪人時代によく聴いてたプリンスを今聴いている。
するとふと感じた、プリンスはもうこの世にいないんだって。
つまりその作品を楽しむこととそのアーティストの生涯は本来は切り離すものかも知れないけれど、そのアーティストがこの世にいることといないことは圧倒的に聴いてるときの印象が違うのだ。

プロデューサーって人間関係(コネ)と予算(カネ)で回ってるから、コネとカネが有ればなんとかなると思われることが多いんだけど、コネとカネじゃないところでほとんどの仕事は実は回っていて、それって人生のどんなことでもそうだと思う。
そしてそれに気付いてない人がコネとカネの話ばかりをする。
自分がうまくいかないのはコネが無いからだカネが無いからだ、と嘆いてる人は、実はそれ以外に無いものがあるんだと思う。
そしてそれに気付いてないからコネとカネを必要以上に求めるのだ。
コネとカネだけじゃ番組は作れないし本も出版されない(でもコネとカネだけで世に出てるものもあるから厄介)
てなことを想いながら、今日の『半沢直樹』を楽しみにしてよう。

今夜はICUC知的好奇心向上委員会の7月zoom会。限られたメンバーとなので、普段の動画やnoteでは公開できないような奇論異論貴論を縦横無尽に話す。
楽しかった!
教育基本法の話
明治時代のコレラパンデミックと現在のコロナパンデミックの共通点
中動態の話
国家神道の話
ジャニーズの話
等々。

自分もそう思いつつも、あれ?見限られちゃったかな?とか、この人にはせっつくと逆効果だと思われちゃったかな?とか、もうこの仕事無くなっちゃったのかな?とかとか、逆に色々心配になって、結果原稿が手につかない時もあります。
https://twitter.com/hironobutnk/status/1287580804227375106

今日は朝から10月発売予定の新刊の装丁をリモートミーティング。
大好きなイラストレーターの方が描いてくださるのでとてもとても楽しみ!
自分の中の脳内構想&妄想を色々語ってしまった!
早く原稿を仕上げなくては…というかよい原稿にするために自分を鼓舞するために大好きな方に絵をお願いしたのだ!

今日ある方と話していて、自分が訪れてみて大好きなイタリアと、いつか訪れてみたいアルゼンチンが、自分の専門分野で繋がった!
ということはこれからその繋がりからイタリアとアルゼンチンを自分の人生に手繰り寄せられるかもしれない。
今日のきっかけは自分の人生にとって画期的な接続記念日なのだ。

今日は、人生の想いをかけた人生に一度の経験をした日だ。
とてもとても疲れた。
人生は疲れるのだ。
自分の出来ることを出来るだけやったつもり。
沢山の後悔と齟齬もある。
でもそういうことしか結局できないのが自分の人生なのだ。
自分のちっぽけさを思い知るし、たいした人生じゃないともふっきれる。

「最後まで読んだけど答えが書いてなかった」って本の感想書かれても、答えなどあるわけない。
その本を読んで何を読者が感じたかが答えだ。
でそれが合ってるか合ってないかなんて誰にもわからないし、そもそも正解不正解などない。
強いて言えばそれでも答えが知りたければ、それは自分で探すんだよ。

エンジンは高熱と振動で人間と同居できない、今までの車はそれに対応して設計されている。
しかしモーターは冷蔵庫やクーラーと同居しているように人間と同居できる。
なので電気車のデザインは全く新しい概念に変えられる、とあるエンジニアの方がおっしゃってました。 https://twitter.com/hironobutnk/status/1287962737503424513

嫌なら見なきゃいいんだよ、嫌なら読まなきゃいいんだよ、嫌なら聴かなきゃいいんだよ。
自分の嫌なヒトモノコトが存在するということが、この世界の自由を意味するのだ。
この世界が自分の好きなヒトモノコトばかりになってしまったのなら、それは世界が自由でなくなってしまったってことだ。

山下達郎が初ライブ映像配信、素晴らしかった!!
ライブ会場でもそうだけど、「希望という名の光」でまた号泣してしまった。

うちらの仕事は、こんなにキツくて、こんなに変で、こんなに束縛されていて、儲けも少ない、ってどの時代のどの職場でも言われ続けてる。
自分の仕事のネガティブなところはネガティブにどんどん思い込みたがるのだ。
一方でどの時代のどの職場でも真逆の人も少なからずいる。
これは不変の真理か。

久々TBSで会議。会議室に入ったらとても悲しいことになっていた。。。 https://www.instagram.com/p/CDTcz62j6mP/?igshid=60oel2mp9nse

8月になってしまった。
毎年いろんな想いが過ぎる8月。
今年はいろんなことが区切りの8月。
8月になって欲しくなかったなあ、とつくづく思う。

このコロナ禍は消耗戦だ。
何かことを興そうと思っても先が見えないので、中止?延期?禁止?停止?
その判断の不透明さがどんどん心を蝕んでいくように感じる。

何かの業界の中の人が、その専門性で中の構造を専門的に批判してるのを目にすると、それはそうかもしれないけど、その人がその内側の問題に固執しすぎていて、もっと全体の問題を見ていなくてor外との連関を見られてなくて、結果そんなことどーでもいいんじゃない?って話に外側からは見えてしまう。
多分、「木を見て森を見ず」ではダメで、「木も見て森も観る」なんなら「木も見て気も看る」必要があるのだと思う。

第5回全国高校生SBP交流フェア - 一般社団法人未来の大人応援プロジェクト https://mirai-otona.jp/sbpfare2020/
今年も角田陽一郎、審査員やります。
毎年伊勢で開催でしたが、今年はリモート開催。
でも頑張ってる高校生がステキなので毎回楽しみです!

なかなか文章が書けないので(書く気がしないので)、「書けない理由」って文章を書いて送った。
そしたら、わかっていただけた。
つまり書けないときに書けるようになるには、やっぱそれでも書くしかないのだ。
何事もやる気がしないときに、やる気を出すためには、やっぱやりはじめるしかないのだ。

昔はよかったなってときどき想う。
それは昔が今より本当に良かったからなのか?
自分が老いたからなのか?
思い出を美化してしまうからなのか?
世界は幼稚になったなってときどき想う。
それは世界が本当に幼稚になったからなのか?
自分が老いたからなのか?
過去を忘れてしまうからなのか?

自暴自棄ほど周りが迷惑なことはない。
そういう人に限って「ほっといてくれ」とか言う。
そしてほっとかれると、より自暴自棄が激しくなる。
それが周りを疲弊させる。
その迷惑と疲弊で、今度はこちらが自暴自棄になる。
つまり自暴自棄はどんどん連鎖する。
迷惑と疲弊が連鎖する。
どうすりゃいいのだ?

自分は長年人にとって“強さ”よりも弱さ”こそ大切なモノなのだと信じて生きてきた。
でも今夜ふと
「弱さとは強さを求めること」であり、
「強さとは弱さから逃げないこと」だとわかった。
だとすると、これからの自分は、その“強さ”こそを大切にしなくては生きていけないのだ。
葉月満月に誓う。

わたくし角田陽一郎はこの8月よりマーケティングプラットフォームOWNLY等を展開するスマートシェア株式会社の社外取締役に就任いたしました。
いろいろまさにバラエティに思考の指向を試行してプロデュース=現実化していこうと思っております。よろしくお願いいたします。
https://www.smartshare.jp/

夏の宿題。
本の執筆A
本の執筆B
課題レポートA(金曜締め切り)
課題レポートB(日曜締め切り)
修士論文
本の執筆C
収録
取材
授業
配信
リモート会議多々
キャスティング他プロデュース作業
その合間に連載原稿何個か
…やれるのか。やるのか。
でも、やらなければいけない気がようやくしてきた。
まずは今日は本の執筆Aをやり遂げる。あとは、あとから考える。

相手から電話がかかってきても自分が気付かない。
折り返しに自分から電話かけても相手も取れない。
また相手がかけてきても今度は自分が取れない。
これを延々と繰り返す。
もう時間を決めないで電話をかけ合うって習慣、ほんとにいらないんだけどな。
皆でせーので、一斉にやめるのは如何でしょう。

一度だけならまだがまんもするが
こう何度もウソをつかれちゃかなわねぇ
海辺に連れてってよ ねぇ兄貴
気分を変えたいんだ
そして馬鹿でマヌケなこのボンクラ頭 波に洗おう
悲しい知らせがあるよ
今日 ボクが死んだ
【ムーンライダーズ/悲しい知らせ】より
今日はこんな気分だ。寝よう。

他者の言動をいちいち気にすることと、自分の言動が他者にどう見られているかをいちいち気にすることは、実は表裏一体の感情なのだ。
この世界を生きるためにはそんな他者の目線を気にしなければ人は生きていけないのだろう。
でも気にしすぎると病む。
生きるためには気にすることを止むしかない。

「いつやってくるかわからない死を了解しようとして、人間は苦しんでいるんです。ですから、そういった死ぬという自分の存在を自分で引き受けて生きていく、その実存と言う存在のしかたですね。それが現存在です。」
筒井康隆『文学部唯野教授・最終講義 誰にもわかるハイデガー』

今日は久々テレビ局員と新番立ち上げのスキーム話を交渉する。
なんか立板に水のようにスラスラ説明する自分。
番組のプロデューサー仕事的な会話の応酬。
なんか昔取った杵柄というか、三つ子の魂百までというか、なかなか捨てたもんじゃないと思いつつ、それが嫌だから退社したことも同時に憶いだす。
続けて、社外取締役を拝命したスマートシェアにて新しい“しくみ”の会議。ライフとビジネスとコミュニケーションが大きく変化してることに合わせての未来を見据えたシステムコンセプトから創り始める。
これはつまり脳内と身体と世界の接続探索作業わけで、この作業はホントおもしろい!毎度興奮する!
さらにメールには、新刊の装丁をお願いした大好きなイラストレーターさんから、完成した絵が届いていた!もう最高だ!
プリントアウトしてデスク前に貼る!
しばし眺めてると元気が出る!
執筆完成を急がねば!!

ピーター・ドイグ展。素晴らしかった!
英国、カナダ、トリニダードへの絵の変遷、画風の変化、彼の思考の移行にとても感じ入る。それを今観られてよかった。 場所: ピーター・ドイグ展 東京国立近代美術館 https://www.instagram.com/p/CDxmpBDD56k/?igshid=qgseq0sh4tc7

他人の目を気にしない、他人の芽を摘まない。
他人に気持を押し付けない、他人の気持を曲解しない。
他人の人生を矯正しない、他人の人生に強制されない。
他人の判断を尊重する、他人に判断を委ねない。
他人の幸せを望む、他人に幸せを任せない。
つまりコミュニケーションとは他人は他人だと知ること。

同じ組織内の人や知り合いを身内と表現する(される)のがとても嫌だ。
その知り合いは身内でもなんでも無いし、仮に身内だとしてもむしろ忖度もしないし、別に特別扱いもされたくもない。
知り合いの作品だろうと身内の思いつきだろうと、おもしろければおもしろいし、つまらないのはつまらない。

サンボマスター山口隆さんと映画談義!楽しかったー!
西遊記から北野武作品、話題に上がったタイトル数は最多!
この模様は週プレ連載Moving Moviesにて!#サンボマスター https://www.instagram.com/p/CD3cZY1DDVv/?igshid=1ry0az0krx3li

考えることが多いと執筆は進まない。
執筆とは考えを書くことor書きながら考えることだからだ。
では考えないで書くことができるのだろうか。
もしかしたら執筆が生業の人はそれができる人なのかもしれない。
考えないで書くことをやってみようと思う。
そしたらまた何かが見えてくるかもしれないから。

ふーう。なんとか第一稿書き上げたぞ。11万字超。
明日で終わる40代のうちになんとか書き上げられた。
まだまだ色々修正箇所や加筆減筆はあるけれども、今の自分の精神身体体力知性悟性感性環境現況高温多湿状態だと、ここまででもうキャパオーバー。
もう許してください。

「30歳の誕生日の1日をどう過ごしたか?はその人の人生の縮図である」ということをどこかで知って、周辺の人に試すとだいたいその人の人生のスタンスを言い当ててて興味深い。
これ誰の言葉だったんだっけ?と長年忘れていたんだけど、糸井重里さんが『海馬』でおっしゃっていたと教えられる。 https://twitter.com/kakuichi41/status/1295137016166805505/photo/1

誕生日の朝は、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの『ワールド ワールド ワールド』を爆音で聴く。人生は夏フェスだ。
“新しい世界”の始まりだ。

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