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vol.20『僕たちの未来は悲観的か?楽観的か?』

角田陽一郎のメルマガDIVERSE vol.20 2019年4月5日New Moon
『僕たちの未来は悲観的か?楽観的か?』

「未来=いまだこず」
「人生の大事なことは、だいたい明石家さんまに教わった」
「未来を生み出す」

ユニバースUNIVERSE(単一の世界)からダイバースDIVERSE(多元的な世界)へ
多視点(バラエティ)でみると、世界はもっと楽しくなる。
それが角田陽一郎の考えるバラエティ的思考です。まさにいろいろなことをバラエティに多元的に多視点で紐解くメールマガジンです。

■CM■「未来=いまだこず」inspired by【「好きなことだけやって生きていく」という提案】

今日は牡羊座の新月。はじまりの日。
はじまってないことを、はじめよう。
はじめられないことも、はじめてみよう。
はじまりは、何回はじめたっていいのだ。

4月になりました。そして元号も令和に決まりました。平成最後といろんなところで言われ続けたこの1年でしたが、その平成もまもなく終わるのだなと実感します。
これ、僕はこういうなにかトピック的な事案があると、「すぐいろんな憶測で物議を醸しますが、実際そうならないことって多いよなあ」って実感します。
それは何かというと、元号の決定にあたって、首相の名前の一文字の“安”が入っているのではないか否か?的な意見が飛び交いましたよね。でも蓋を開けてみたら、そんなこともなく。これなんでそんなことが起こるのだろう?っていつも考えます。

例えばオリンピックとかあっても、「競技施設の建設は間に合うのか?」的な恒例の報道。どの都市でやっても、毎回言われてます。実際僕は2004年のアテネオリンピックって現地に行きましたが、はっきり言えばぜんぜん間に合ってました。で、今回の東京オリンピックでも、確か2年まえくらいまでは、新国立競技場の建設は間に合うのか?って結構ニュースで言われてましたよね。でも最近千駄ヶ谷駅前とか通過すると、もうなんかほとんどできてますもんね!つまりそんな2年前くらいの喧騒はやっぱりくだらなかったと思うわけです。
あと昨年とかよく騒がれていた(今も騒がれてるかな?)オリンピックのボランティア問題。人が足らないから公立学校の学生たちに参加を強制(?)させていて、まるで戦時中の学徒動員ではないか?的な意見。でも僕が聞いた話だと、東京都が募集してたボランティアの応募には何でも想定以上の応募が集まりすぎて、むしろセレクションするらしいですよ。それ聞くとなんだかなーって思います。
こういう事態ってなんで起こるんでしょうか?
まあ、未来とは“いまだこず”と書いて未来なわけで、未来っていうとなんか明るいイメージを持ちますが、そもそも否定的な文字面なわけではあります。つまり僕たちは、未来のことを考えると、その未来の中の否定的な要素が頭をもたげて、そんな否定的な憶測をしてしまうのかもしれません。
それって、例えば僕が子供の頃には石油はあと30年で枯渇するって言われていました。でもそれから20年、30年以上たっても、全然枯渇してません。いや正確に言えば、小学1年生の7歳の頃に「石油が枯渇するまで30年」って聞いたのに5年経って小学6年生の12歳になっても、「石油が枯渇まで30年」のままでした。え、少なくとも「あと25年」って減ってないと辻褄合わないんじゃないの?って思った記憶があります。
確か以前この事象=『石油がいつまでたっても枯渇しない問題』に専門家が回答しているテレビ番組を見たことがあります。それによると、どんどん新しい油田が開発されたり、新しい技術(例えばシェールオイル)が開発されて、今や生産過剰にもなっているのだと。かつて「あと30年」って言ってた頃は、その年の年間生産量と予測される埋蔵量と予測される未来の使用量を勘案すると出てきた年数だと言うのです。まあ、言ってしまえばそうでしょうけど、それってなんか幼稚な推測だったんだなあって聞いてて拍子抜けした記憶もあります。

一方で未来を悲観的な予測していた予測通りに、実際に未来がやってきて悲惨な現状になっていることも、やっぱりあります。例えば社会保険問題。僕が子供のころ、僕らが大人になると高齢化で、少ない労働者数で、たくさんの年金暮らしの高齢者を養わなければならなくなります、って予想記事とかがよく目にしていました。で、どうするんだろう?って子供時代の僕は、そんな未来を気にかけていましたが、それって実際大人になると、かなり実態がその予測に近づいてきて、さらにどんどんひどくなって、財政破綻が叫ばれ続けてはいますね。僕が高齢者になるころにはどんな世界になっているんでしょうか?

この少子高齢化問題で言うと、これここ数年で実際の生活や仕事の中でも現実的な実感を感じますよね。労働者の人手不足でコンビニの過剰労働問題とか、今年の3月の年度末は引越し料金がものすごく金額が上がっていましたよね。こんな風に人力を使って僕たちが今まで快適なサービスを受け取ってきたものが、今後は人力不足により、圧倒的に質量ともに劣化していくことは否めません。これなんかは今はまだいい方で、今後どんどん劣悪になっていくのかもしれないわけです。
そんな未来に僕たちはどう生きればいいのでしょうか?


■DM■「人生の大事なことは、だいたい明石家さんまに教わった」inspired by【成功の神はネガティブな狩人に降臨するーバラエティ的企画術】

そんな“未だ来ず”の未来のことを想うと、僕は20年前くらいのある人の言葉を想い出します。
それは、明石家さんま。
僕がテレビ番組『さんまのスーパーからくりTV』の仕事でご一緒させていただいていた当時、まだ20世紀だった1990年代後半だったと思いますが、当時温暖化が頻繁に叫ばれていました(というか、これも近年の異常気象の常態化で、全然悲観的な未来が現実味を持っていますが)。
そんな地球の温暖化の話題に明石家さんまさんと番組収録の合間でたまたま楽屋でなったことがあります。
そしたら、さんま師匠がおっしゃっていたのは、
「そんな悲惨な未来は来えへん!」と。
なぜかというと、
「そんな時は、その道のプロが土壇場でなんとかするからや!」と。
「土壇場になったら、人類は今までなんとかしてきたやろ!」と。
・・・それを聞いて「確かにそんなこともあるよなあ」とは若い自分は幾分納得はしつつ、でも「そんなんじゃ成立しないこともあるんじゃないかなあ」と同時に思ったことを記憶しています。

でもそれから20年くらいたって、あの時のさんま師匠と同じ年くらいになって想うのは、結局僕らができるのは「そう考えるしかない!」ってこと。
つまりさんまさんだってそんな悲観的な未来も楽観的な未来も混交した未来予想を(多分)抱いてはいるけど、
「こればっかりはその道のプロに任せるしかないんじゃないか!」
ってそう言い聞かせて吹っ切っていたんだなと想うわけです。
「自分は喋りのプロや!」だから、
「自分ができる自分の職分をただ真剣に一途に毎日やるだけなんや!」
って思っているという決意表明だったんだと、今の僕にはわかります。
だってそれしかできないから。
僕はこんな風に自分の人生の瞬間瞬間によく思うのです。
「人生の大事なことは、だいたい明石家さんまに教わった」と。

・・・そう実感していることを僕も決意表明した上で、冒頭に書いたことに戻ると、僕はこれから来る、“いまだこずの未来”に対して、ある意見、それも悪意のある否定的な意見を言うことはなるべく避けようと思っています。
だって多分僕の予想は間違ってるかもしれないですし、それが悲惨なことにならないようにその道のプロフェッショナルたちが日々頑張ってくれてるわけですから。
中には手を抜いているプロもいるかもですし、解決策が見えなくて途方にくれているプロもいるかもしれません。でもそれは僕からは見えないわけです。なので、それはもうさんま師匠が言っていたように、
「土壇場になったら、人類は今までなんとかしてきたやろ!」と。
と腹をくくるしかないんだと思って、自分の、自分がやれる、自分がやるべき、プロに職分を果たしていこうと思い誓うのです。

でも同時に、自分がプロフェッショナルである職分=エンタメのプロデュースでは、やはりプロな分、多分否定的な未来がやって来るだろうと事前予測したことが、やっぱり予測通りに悲惨な状態を招いたってことも、何度も何度も痛いくらい経験しています。なので、僕は自分の職分では、やはりそれが悲観的過ぎても、それを言うことで崩壊を防げるのであれば、それが苦言であっても、僕は言い続けるしかないのです。

そして、自分の職分以外の、よくわからないことへの未来予測に関しては、
ただの素人の愚痴か、外野からの野次か。
それともプロの警告か、内部からの警鐘か。
そこを、僕らは日々見極めるしかないのです。その見極めだって難しいですが、でもそうしなければ、変な言説に惑わされることになります。そこは見極めるための能力を養うしかないのです。
そして、その見極め力というものを、僕は“知性”と呼ぶのだと想うのです。
そして、その“知性”というのは、いろんな情報をさまざまな事象や人間や書物等を通して、それらを自分の体内(脳内)に通過させて、自分の体内(脳内)でその情報を咀嚼し、吟味し、自分の職分や日常のアウトプット(行動)に活かすことなんだと思うのです。

僕たちの未来は悲観的か?楽観的か?
・・・それを決めるのは、自分の“知性”だけなのです。

■EM■「未来を生み出す」inspired by【運の技術】

オリンピックのことを書いていて思い出したのですが、2016年のリオオリンピックの閉会式をテレビで見ていて、4年後の東京オリンピックのプレゼンテーションを見た時の感想を、ブログに書いていました。それを再掲します。

『リオオリンピックが終わって想うこと』
2016.08.23 02:26
リオオリンピックが終わった。月並みな感想だけど、とてもワクワクしたし、感動したし、素晴らしかったと思う。
それは、スポーツだけでなく、なんでもそうだけど、何かに頑張っている人を見ると、人はワクワクするし、感動するからなのだ、と思う。

翻って、オリンピックの時、毎回僕が想うことを書こうと思う。
①始まる前は、競技場の建設間に合うのか?治安はどうなのか?財政破綻は?
みたいなネガ報道ばっかり。でも結局間に合ってるじゃん。2年前のブラジルW杯でもそうだった。
結局、何かことを起こそうとする時、ネガティブな情報を踊らせたい人たちがいる。でもそれって、もうよくないか?

②オリンピック開催に反対の人がいる。これはみんなそれぞれの意見があるわけだから一向に問題ない。ただ僕は想うのだけど、その人が特に、何かを生み出したりコトを起こそうとしている、エンタテインメント系職業の人ならば、
他者が何かを生み出したりコトを起こそうとすることを、反対するのはなぜなのだろう?
僕はそこがピュアに分からない。
だって、もしその人がそれに反対するならば、翻ってその人自身の何かを出すエンタメ行為だって、反対されるかもしれないのだよ。「そんなくだらないこと止めろ」って言われるかもなんだよ。
例えばある映画監督が、オリンピック反対だとする。だとしてその映画監督が「あなたが映画を撮るのは反対です。」と言われたならばどうだろう?嫌じゃないかな?中身でとやかく言われるのはともかく、それ以前に「お前が映画撮るのは反対!」ってそんなひどい話はないと思う。
前の東京オリンピック無かったら、市川崑監督のドキュメンタリー映画だって産まれなかったわけですよ。
当然スポーツ競技自体に人生をかけている人がいる。彼らのためのオリンピックであるのは間違いない。でもそれと同等にオリンピックってエンタテインメントな行為なわけだ。

だから少なくとも他人のエンタメ行為を否定するいわれはないと思う。その出来に否定的な感想を述べることがあるのは当然だし、多額の費用がかかるわけだからいろいろ議論が起こるのは当然だ。むしろいろいろ議論すべきだと思う。でも開催反対って言っちゃったら、それは結局ナニモノも産み出せなくなってしまう。僕はそれがすごく嫌なのだ。
無駄なエンタメなんてないと思う、なぜなら多かれ少なかれエンタメは無駄だからだ。でもその無駄こそが一番の人類の宝だと想う。

③リオオリンピックの開会式素晴らしかった。でもそれはリオだけじゃなく、開会式はいつもすばらしい、この前のロンドンだって、北京だって、アテネだって、開会式は本当最高のエンターテインメントだ。(僕は開会式マニアでDVD買ってるくらい)

そして次の東京オリンピックの開会式は一体だれが演出するのか?心配だ!みたいなコメントをよく見た。はっきりいって僕も実は不安があった。
でも今日の閉会式の、日本紹介パートを見て、その不安は全然消えちゃった。むしろ感動して、すごいエンタメだと思った。知り合いの方も参加して作っていてあんな素晴らしいパフォーマンスを企てていたなんて、脱帽です。

というか、オリンピックに限らず、僕の知らないところで、いろんな人ががんばって、いろ
いろ考えて、おもしろいエンタメを日夜いっぱい生み出し続けているわけだ。そこをいちいち心配している暇などないのだ。

僕はシンプルに思った。
「そんなことより、お前も生み出せばいいんだよ!」
僕もひたすらがんばって、自分が生み出したいものを生み出すしかないのだ。
そこに気づかせてくれた、リオ・オリンピックだった。

■FM■【Q&Aナテハ】

ナテハとは、ハテナの逆さ言葉です(笑)。
角田陽一郎のメルマガDIVERSEへのご意見、ご要望、質問などを募集します。
いただいた質問は、毎回できるだけ回答したいと思っております。
答えてほしいことがある方は、
kakuta.diverse@gmail.com まで、どしどしご連絡ください。
あと、僕のツイッターアカウントへの質問でも構いません。
https://twitter.com/kakuichi41

みなさんひとりひとりがそれぞれの宇宙を持っていて、その意図が糸となってつながって、多元的な宇宙DIVERSEを構築するのだと想っています。一元的な宇宙【UNIVERSE】ではなく、多元的な宇宙【DIVERSE】へ。
みなさんとインタラクティブに、メルマガDIVERSEを徒然なるままに楽しんでいきたいと思っております。
次回は4月19日満月に配信です。
どうぞ、よろしくお願いいたします。


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