最速で身につく勉強法タイトル02

Vol.02 人生の見立て力!

最速で身につく勉強法って何なのか?
勉強ができる・できないとか、頭がいい・悪いってよく話に出て来ますが、はたしてその差はなんなのでしょうか?
僕は、頭がいい・悪いというのは、『見立て力』だと思うのです。そしてその『見立て力』というものを持てば、勉強することもおのずと苦にならなくなるのです。勉強することが苦ではない=むしろ勉強することが楽しくなる、それがどんな受験テクニックを覚えることよりも、他人の勉強法を真似することよりも、一番最速じゃないでしょうか!
当然、受験テクニックを覚えることも、他人の勉強法を真似することも、否定しているわけではありません。
むしろ僕が言いたいのは、最初の勉強のスタートが、そこでは無いということです。
つまり、まず好きになる。そしてあることをもっと知りたいと思う。その根源的な知的好奇心を持つことが大切です。そしてその根源的な知的好奇心を持った上で、勉強を身につける様々な技法、例えば受験テクニックを覚えたり、他人の勉強法を真似したりする、それらを駆使することが一番の『最速で身につく勉強法』です。
というか、自分の中でそんな根源的な知的好奇心が無い人は、そもそもどんな勉強テクニックを身につけたって、たかが知れています。さらに言えば、その勉強テクニックで受験に成功したり、資格試験を通過したって、そこで身につけた知識が自分の人生で有効に機能することはまず無いのです。それでは“生きた知識”にならない。
知識というのは、そのものが持つ本来の意味だけでなく、それを自分の人生にどう活用するか、までを含めて知識なのです。つまり覚えただけではその知識は死んでいるだけなのです。
では、知識をどう自分の中で活かすか?それが、先ほど述べた『見立て力』です。
今回からは必殺の最速で身につく勉強法、そんな『人生の見立て力』について書きたいと思います。
見立て力とは、つまり日常で見聞きする情報を、その情報そのものとして理解する以上に、あらゆるヒトモノコトとの連関を自分の頭の中で想像して、膨らませることです。
うん?よくわからない?
そうでしょう。ですので、具体例をこれから挙げてみたいと思います。

人生の見立て力①【淀対江戸】

数年前の初冬にたまたま関西に出張の折、京都から大阪へ向かう際に京阪電車に乗っていたら、自然溢れる景色の中に右手に大きな河原とそこを流れる渓流が目に入って来た。
グーグルマップで位置情報を確認すると淀川だという。
少々意外な気がした。淀川は関東住まいの僕にとっては、大阪駅から新大阪駅へ向かう際に地下鉄御堂筋線の鉄橋やタクシーで通る大きな高架道路で渡る際に見られる都市の中のゆったり流れている大きな河川のイメージなので印象がかなり違ったからだ。
さらに淀川の上流は琵琶湖というのは記憶しているから、つまり琵琶湖と大阪湾を結ぶ大河というイメージだし、多分かつては京都と大坂を結ぶ物流的な要素もあったのだろうし、なんていうか東京を流れている江戸川のような大きなゆったりとした運河みたいな川のイメージだったからだ。
それで興味が出て来て、淀川をグーグルマップでいろいろ見ていると、ちょうどその辺りで、桂川、宇治川、木津川が合流していたのだ。
木津川といえば流れが激しい川で洪水が起こりやすいというのは聞いたことがあったし、桂川と宇治川は京都の観光でよく耳にする名前だ。
僕はその三川がちょうど合流するあたりをさらにグーグルマップで見ていると、なんとあるスポットを発見したのだ。
それは淀城の跡。淀城ってあの豊臣秀吉が作った淀殿がいた城ではないか。
ちょうどこの京阪電車に乗っていた時はNHK大河ドラマで真田丸を放送している時で、ちょうどクライマックスの大坂の陣へ向かう直前であった。自分の思考もどこかその頃の時代に踏み込んでいたのだろう、だからグーグルマップで淀城跡というのを発見したのかもしれない。ちょっと興奮してしまった。
でもなんで淀城って名前なのだろうか?
気になった僕は続けてスマホでネット検索を続けてみると、なんのことはない、その辺りが実は淀という地名で、その地名の由来はなんとそのあたりで三川が合流するので、水が淀むから淀と呼ぶようになり、そこから淀川という呼称が生まれ、さらにその場所に城が作られ、その城を作った殿様の側室だから、その茶々という名の女性が淀殿と呼ばれたのであったのだ。ちなみに淀川は琵琶湖からこの地点で三川が合流するまでは宇治川と呼ばれているらしい。まさに三川が合流地点で合体して川が淀んでからが、淀川らしいのだ。

こんなことはその地方に住んでいる人には当たり前な地名かもしれないけれど、淀って名称は、ほとんどの日本人はまず先に織田信長や豊臣秀吉、徳川家康の戦国時代の逸話を歴史ドラマや小説等で知り、その中で信長の孫で秀吉の側室でさらに大坂の陣で徳川方の実質的な大将であった淀君(淀殿)の存在を知り、だいたいそこくらいまでで情報がストップしてしまう人が多くて、さらに歴史が好きだと淀城というものがあったりとかいうのを事後的に追いかけて知ったりする。
つまり僕らが知っていることは原因と結果でいうと、先に結果を知っていることが多いのだ。ちなみに淀殿は淀君とも呼ばれるがどっちが正しいのだろうか?君とは通常男性につけることが多いから淀殿が正式であるらしく、つまり淀君というのは、のちに江戸時代に敵方のトップという印象を強めるため、あるいは創作物で事後的に使われたかもしれないらしく、その淀殿や淀君という呼称だって事後の結果でしかないわけだ。その結果だけを僕らは知識として後付けで知るだけだ。
つまりモノゴトがなぜそうなったという“結果”に比して、もともとそうであったという“原因”はそんなに表に出ない、一方で結果は表に出る。そして地理で出てくる名称というのはその結果であったりする。このように実は僕らは周りの環境をまさに結果だけで見て、情報としてだけ認識していることが多いのじゃないだろうか。

でも全てのことには結果がそうなった原因がそもそも存在するわけで、その結果を生み出したプロセスを知ると、モノゴトの流れが理解できるようになる。そのモノゴトの流れとは自然現象という環境の中で、その環境に名前をつけた人間の思考と行動のプロセスな訳だから、そのモノゴトの流れを把握することは、つまり人間が環境という外部から影響を受けるとどうリアクションする(してきた)かの集合体であるのだ。つまり地理を学ぶということは、人間たちがその都度その瞬間にどういう思考と行動を起こして来たかというプロセスを学ぶツールでもあるということなのだ。
それをただ試験で使う地理的知識としてや会話で使うトリビアネタとして理解しているだけではもったいない(と僕は思う)。その思考と行動のプロセスを理解することは、今後の自分の人生で外部環境に影響を受けた時に取るであろう、思考と行動の動きがまさに予想できるかもしれないのだ。僕が『人生の見立て力』というは、そんな地理から学ぶことができる人生のための思考法でもあるのだ。

そんなことを考えながら京阪電車に揺られて、スマホでネット検索をし続けていると、さらにある項目を見つけたのだ。
淀yodoと江戸edoは、語源が一緒であると。
つまり川が合流して水がよどむのが淀であり、遠浅の海岸付近で海の水がよどむと江戸になる。確かに音が似ている。でもネット情報だからどこまで正しいかはまゆつば物かもしれない。
でも仮にその真偽は不明瞭であったとしても、と僕は思考をさらに続けた。
このあと真田丸で放送される大坂城を取り巻く冬の陣、夏の陣は、西の豊臣方と東の徳川方という東西対決だ。つまりその豊臣方のトップは淀であり、徳川方のトップは江戸なのだ。
その後の江戸時代以降を形成する、日本の政治の中心を決定する戦いは、大坂vs江戸という東西対決であったのであり、さらにその対決の本質とは淀vs江戸であったのだ。つまりそれは淀んだところの都市同士の対決だったのである。
僕が言いたいのは、その対決とは淀(よど)vs清(きよ)ではなかったということだ。
僕らは戦いって、正義vs悪という構造で行われると思いがちだ。自分が当事者だった場合、だいたいにおいて自分側が正義であり、相手側を悪と認識する(ことが多い)。西の豊臣方は真田幸村の奮戦虚しく大坂夏の陣で敗れ、その後徳川時代が盤石となって江戸時代が続くわけだが、その江戸側=正義という見方でそれ以降の江戸時代は豊臣方を捉えられがちだったので、淀君は悪の女帝的な認識が取られるようになった(それが淀殿を淀君と呼称した遠縁?)、その戦いの本質は、よどみ都市vsよどみ都市同士の、これからの日本のヘゲモニー(主導権)を奪いあう東西対決だったのだ。
ということは淀(大坂)と江戸とはよどむ場所にできた都市だから、つまり清(きよ)くは無い。つまりヘゲモニーを争うほどの大都市は、淀んだ場所にできるということだ。つまりヘゲモニーを争うような首謀者たちはそんなよどむ場所を押さえたいのだ。
なぜなら、そのよどんだ場所は、よどむくらい水が集まって来ている場所だから、交通アクセスが頻繁に行われるジャンクションであり、つまりそれは物流が集まる場所であり、そんな場所に人は集まり、市場が開かれ経済活動が活発に行われる。なのでそこに街ができる。つまり清い場所には、都市はできにくいのだ。
淀んだ場所だから、街ができる。すごく淀んだ場所だから、街が大都市になる。大都市には多くの人が住んでいるから密集する=淀む、つまり巨大な都市=よどむことは、地理の必然的プロセスでもあるのだ。
そして日本で2大“よどむであろう都市”がまさに西の大坂(大阪)と東の江戸(東京)になるのであって、そのどちらか対決が大坂の陣であったのだ。

僕は大阪に着き大阪駅を訪れると北口にはヨドバシカメラの巨大な建物があった。これもまさに名称が“よど”だ。
ヨドバシカメラは、そもそも西新宿で開業したカメラ店だ。その西新宿はもともと淀橋浄水場があった場所だ。なのでそこから付けられた名称がヨドバシカメラだ。
巨大な浄水場があるのは大都市としては必須であり、その大都市の住民に供給する水道水を清くするための施設の名称が淀橋であるのもおもしろい。淀んだ大都市に清い浄水を供給する施設が浄水場であって、その浄水場の名称が淀んでいるのだから。なんというアイロニーだ
そして大阪の陣で勝ち取った、その後ヘゲモニーを握る東の京である東京の、まさにヘゲモニーが現在あるのが東京都庁がある西新宿で、そこは本来“淀”という名がついた地名であり、そこで発展した電気量販店ヨドバシカメラが、今や大阪駅前にどーんと構えているということも、これまたいろんな見立てができておもしろい。

日常のあらゆるものを、自分が知っているヒトモノコトで、どう見立てるか?
それが『人生の見立て力』です。
そしてそんな見立てること=思考をたゆたうことができれば、普段の日常が何倍も面白くなりますし、勉強することが楽しくなりますし、それが生きた知識になります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?