vol.25 『さみしさとは何か?』

角田陽一郎のメルマガDIVERSE vol.25 2019年6月17日Full Moon
『さみしさとは何か?』

ユニバースUNIVERSE(単一の世界)からダイバースDIVERSE(多元的な世界)へ
多視点(バラエティ)でみると、世界はもっと楽しくなる。
それが角田陽一郎の考えるバラエティ的思考です。まさにいろいろなことをバラエティに多元的に多視点で紐解くメールマガジンです。


■Cm■「人と別れること」 inspired by【成功の神はネガティブな狩人に降臨する】

先日、僕はこんなつぶやきをしました。

「人と別れるというのはさみしいものだ。それはその人との関係や愛情の濃淡というより、むしろその人と過ごした時間の再現性が今後無くなるという自分の中の空虚さなのかもしれない。例えば卒業式のさみしさは今後誰々と会えなくなるからというより、もうその時間空間は二度と人生で再現されないから。」

「自分の人生で言うと学校を卒業したり番組が終了したり映画の撮影がクランクアップしたりプロジェクトか終わったり、その都度さみしい。好きな漫画が最終回を迎えた時のような。好きなバンドの解散のような。その終わりがというより、自分の過ぎ去った時間と記憶の堆積がさみしいのかもしれない。」

これ、読んだ人がもしいらっしゃったら、すごい別れを経験したのではないか?と勘ぐるとは思うのですが、実はそんなことでは全くないのです。
実際、これから秋口にある男性の方が僕の周りから去られることになり、まあ、こんなさみしい気持ちになったわけです。
でも、我ながらおもしろいなと思うのは、この方と出会ったのは、実は4月です。ということはまだ2ヶ月あまりの知り合い。で、そんなに深い関係かというと、実はそうでもない。
でさらに言えばまだ秋口まではお会いできるわけです。別に今から会えなくなるわけでもないし、さらに言えば、そんなにすごい会いたいってわけでもない。
でも、このつぶやきをした日は、その方が去られるって話を聞いて、なんだか無性に無性にさみしくなったのでした。

このさみしいって思いは何なのだろう?
みなさんは、どんな時にさみしいと思いますか?
僕の場合、例えば2013年に僕が監督で富山県魚津市で撮影した映画『げんげ』。3ヶ月くらい、助監督やカメラさん照明さん美術さんメイクさんたちと一緒にいて、結構バタバタで大変で、寝る暇も無く、なんとか撮影し終わって、いざクランクアップって時にものすごくさみしかったことを思い出します。あんなに大変な想いをしたのに、やってる間は早く終わってくれって何度も想ったのに、いざ終わりが近くとものすごく無性にさみしかったのです。終わらなければいいのに、って想った記憶があります。
・・・それでふと思い出したのですが、以下のようなことを10年も以上も前にもブログで人知れず書いてました。(今は更新もしていない無記名のブログです。)
文章もかなり拙いのですが、せっかくなんで載せてみます。

「悲しいしらせ」

僕のチームの後輩女性が急遽他部所に異動することになった。
悲しい。素直に悲しい。
でも、これは彼女に恋してるからという悲しさとはちょっと違う気がする。
だって本当に好きなら、他部所だろうが、今後も付き合えばよいわけだし、未来永劫会えないわけではない。
しかし無性にさびしい。この気持ちは何なのだろうか?
きっと、今までその瞬間その瞬間、彼女と酸いも甘いも一緒の時間を共有してきて、そしてその時間が今後共有出来なくなることが、さびしいんだろうな。
この気持ちの質が悪いのは、実は『根本的に解決できないさびしさ』だからだと思う。
だって恋人同士なら、それはそれ、なんていうかもっと相手の気持ち的にも自分の気持ち的にも「ただ君が好きだ、君と一緒にいたい」的に、ある意味身勝手に解決することができるし、その解決が結果、破局であり、さらにこのさびしさ以上につらいことになったとしても、少なくとももやもやを解決することができる。
しかし彼女との関係は、恋愛関係のない上司と部下、苦しい時を一緒に戦ってきた、まさに戦友であって、「ただ一緒にいたい」って気持ちではなく、仮にその後プライベートで一緒いたいってわけではない。
なんかまだまだ君と一緒に戦いたかった、って気持ちなのかな?
「いろいろ口論したし、気まずくもなった。けど、それ以上に君と仕事できて楽しかった」って気持ちかな?
ね、これ解決策がないでしょ?
こんな気持ちは高校の卒業式の時も感じたことがある。誰彼と会えなくなるのが、かなしいんじゃないんだな。
「卒業しても、またみんな会おうぜ!」っていうのでも、解決なんかしない。
『今、その時、その瞬間のみんなと一緒にいたい』って気持ち。
お気に入りの連続ドラマが最終回に近づくと、「終わらないで」って思う気持ち。
『銀河鉄道999』で終着駅が近づいて、鉄郎がメーテルとの別れを、この旅の終わりを、悲しんだ気持ち。
いっしょなのかな?
これが『無常』ってことか。
『そして、少年は大人になる』(『さよなら銀河鉄道999』のエンディング)ってことか。
かなしいけど、大人にならなきゃ。
もう大人だけど(笑)。
さよならTさん、そして頑張ろう、おたがい。
で、いつかまた一緒に楽しい番組作れたらよいね(^-^)
(2008/3/10)

・・・なんか、恥ずかしいですが。これ読んだ人はこのTさんにきっと角田は惚れていたと思うでしょうね!・・・でも実際、そうじゃないんですよ。
何なのだろう?
今回の男性とのお別れの件といい、自分でもよくわからないのです。
つまり、僕は終わりというのが、無性にさみしいのかもしれません。


■Dm■「サウダージ」inspired by【運の技術】

で、このブログを久々見てたら、数日後に以下のような文章を書いていました。また拙い文章ですが、載せてみたいと思います。


「サウダージ」 2008/3/15

音楽シーンとかで、よく聞く『サウダージ』ってどんな意味なんだろ?
JWAVEにサウジサウダージって番組あるし、ポルノグラフィティにもあるし、多分ブラジルとかの言葉ってのは想像つくけど、気になってたわりにはずーっと放置してました。で、昨日酔っ払って、酔い覚ましに三茶から中目まで歩きながら、クリス・リーのベスト集聞いてたら、アイルトン・セナに捧げる『サウダージ』って曲があったので、ふと思い立って検索してみたらウィキに、

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