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BC24「『やらせ』と『演出』の違い」

ワクワクする企画とは何なのでしょうか?
真面目に作った企画が通らない、インパクトに欠けていると言われることはありませんか。無論企画作りは難しい作業です。
今回はワクワクを生み出す企画の話です。これからご紹介するお話はテレビのバラエティ番組の出来事ですが、多分みなさんが企画を産み出す時も、その大事なエッセンスは重なると思います。

以前僕は、街頭でインタビューした方々の夢を叶える番組『さんま・玉緒のお年玉 あんたの夢をかなえたろかスペシャル』というお正月の恒例特番で10年以上ディレクターをしていました。日本全国で「あなたの夢はなんですか?」と街頭インタビューし、その中から選んだ様々なおもしろい夢を叶える人を追うドキュメントバラエティです。「妻夫木聡さんに会いたい」から「オーロラが見たい!」「巨大プリンのお風呂につかりたい!」「高所恐怖症を治したい」まで、まさにいろんな夢を叶えるのですが、この『夢SP』に出ていただく一般の方は、本当にキャラクターが豊かでユニークな方が多く登場しています。よく他番組のスタッフからは、どうやってあんなキャラクター豊かな人を探し出すのですか?と質問されました。


答えは、簡単です。スタッフ総出で日本全国で街頭インタビューを本当に実施して、その中からユニークな方を選んでいるだけなのです。年によって違いますが、夏から秋にかけて大体2000人〜3000人の方に聞き回りました。僕も20代の頃は毎年日本全国“夢を尋ねるインタビュー”の旅に出まくりました。でもそれは時間もお金もスタッフも大量にかかるし、『夢SP』開始の頃は、もっと効率よくできないかと考え、例えば学校や会社などにアンケート用紙を配り、希望者に答えていただくというアンケート解答式で聞いていたこともあったのですが、アンケートに書かれた夢が仮にユニークでおもしろかったりして、実際に会いに行ってご本人に会うと、そんなにキャラクターが立たず平凡な方で、このバラエティ番組『夢SP』にはNGということも多々ありました。

この“アンケート用紙の失敗”から、僕らは学んだのです。
「ちゃんとアンケートが書ける人は、ちゃんとしすぎていて、おもしろくない」
ちゃんとした方は、ちゃんとしているだけあって、すごく優秀で、丁寧でいい方も多いのですが、テレビ的に言うとインパクトに欠けます。僕らは、夢を叶える人の、夢を叶える行程と、夢をかなえた瞬間の驚愕と感動をぜひテレビで放送したいわけで、その分表現がドラスティックな人を求めているのです。粗野な人を求めているというのとも違います。“ちゃんとしている”だけではダメで、それだとインパクトがありません。いっそのこと“ちゃんとしすぎている”ことが求められるのです。この“しすぎている”というドラステックさが、その人を実際に撮影し始めるとワクワクを産み出すのです。

そしてこの“アンケート用紙の失敗”に、“ワクワク”の本質の一端が垣間見えます。それは、
「効率化ではじかれるヒト・コト・モノにこそ、ワクワクは潜んでいる」
仮に夢の内容がよくても、夢を叶える人の熱量がドラスティックに表れないと、仮にその夢が叶うところをVTR取材しても、ワクワク感や感動やおもしろさがテレビ映像では伝わりづらい。それはなおのこと効率重視のアンケートの文章を見ただけでは伝わりません。なので僕らは効率悪く愚直にワクワクの種を探し求めて日本全国をインタビュー巡りするのです。

そしてドラスティックなキャラクターの人が、おもしろいワクワクする夢を語ってくれたならば、僕らはその人の夢を叶えたくなるのですが、どうやってワクワクする夢をひきだすのでしょうか?その夢を僕らはどうやって演出するのでしょうか?

テレビ番組には頻繁に“やらせ”という話がよく出てきます。僕らはバラエティ番組の中で少しでもヒト・コト・モノをワクワクするように見せるために、“演出”をするわけです。でもその演出が作為的だったりすると“やらせ”になってしまいます。作り手側からすると「いや、“やらせ”じゃありません、“演出”です!」って思っていても、見ている方には“やらせ”と感じてしまうってことも時としてあります。

“やらせ”と“演出”の違いは、テレビ番組でも報道かエンターテインメントかで、程度の差が明確にあると思いますし、意見が分かれるところではあります。僕は自分が専門でやっているのはエンターテインメントのジャンルですし、エンタメにもドキュメンタリーだったり実話に基づいたドラマだったり基準がバラバラなので本当に難しい話なのですが、僕のやっているいわゆるバラエティ番組に話を絞ると、僕のテレビ演出の行動指針は3つあります。

1つ目は、『その演出でいろんな人がハッピーになるか?』です。
テレビ演出が、演出される側がハッピーじゃなかったり、それを見ているテレビの前の人が不快だったりしたら、そもそも“演出”をする意味がありません。当然、このハッピーという基準は極めて恣意的ですし、仮に演出する僕にとってはハッピーに思えたものでも、演出される側の人や、見た人には、ハッピーに感じられないかもしれません。
「そのさじ加減はどうするんだ?」
はい、料理のレシピと同じで、まさに“さじ加減”としか書けません。でも、何かを作り出す、産み出すことというのは、結局はその“さじ加減”を知る旅だと思うのです。僕もずーっと旅してますし、その旅中に痛い思いをしたり後悔しながら、“さじ加減”を学んできました。

演出の行動指針の2つ目は、『演出されている人が、やらされていないで、自分の意思でやっているか?』
“やらせ”とはその人にやらせているから“やらせ”なのです。その人が自分の意思でやっていれば、それは“演出”です。

そして3つ目は、『そこに1があるか?』です。
もし僕らがテレビで何かヒト・モノ・コトを扱うとして、何もない0から話を作るなら全部“やらせ”ですし、というかウソでありフィクションです。それはもう“ドラマ”です。でも話のもとの1があれば、演出で2倍にも3倍にも10倍にもワクワクするようにおもしろくする。これが“演出”の力だと思っています。

『皆がハッピー』になり、『演出される方が自分の意思でやっていて』、そして『1の話を2倍に3倍に10倍におもしろくなる』演出。具体的にはどういうことでしょうか。

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