vol.77 『オリンピック夢想』

角田陽一郎のメルマガDIVERSE vol.77 2021年7月24日Full Moon
『オリンピック夢想』

ユニバースUNIVERSE(単一の世界)からダイバースDIVERSE(多元的な世界)へ
多視点(バラエティ)でみると、世界はもっと楽しくなる。
それが角田陽一郎の考えるバラエティ的思考です。まさにいろいろなことをバラエティに多元的に多視点で紐解くメールマガジンです。


■Cm■「過去への憧憬”は“過去との同型”ではない」

今日は水瓶座の満月です。満月はいろんなことが充ちる時。昨日、7月23日に東京オリンピックが開幕して、それこそいろんなあらゆる困難が襲ってきた今回の東京五輪で、それがいやが上にも、否が応でも、開幕した翌日に、満月が充ちるなんて、この満月のタイミングは、皆の、日本の世界の、そしてひとりひとりの何らかの充ちるタイミングなんだってボクには、思えてならないわけです。
それにしても、コロナ禍という人類に対する大きな代償を除いても、今回のオリンピックには、さまざまな問題が生じました。そもそもの誘致合戦から、国立競技場のデザイン、エンブレム、組織委員会の人選、セクハラ、過去の闇行為、人権への希薄さ、お金、広告、利権、政治・・・そんなあらゆる膿が出まくっているオリンピックです。このことは、先日の小山田圭吾氏の辞任と、小林賢太郎氏の解任の時につぶやいたのですが・・・

「多分、誰も、何も、配慮して決めてないんだよ。こういうこと、会社でもよくあった。多分、みんな無自覚に、ずるいんだよ。で、それがたまたまうまくいってると、たまたまいい感じなんだけど、歯車が狂うと、どんどん狂っていく。このオリンピックは、そんな日本という社会の閉塞感の顕現なんだ。。。」(7/19)

「東京オリンピック、、、むしろ否が応でも、いやが上にも、今までの日本の問題点のさまざまな膿を炙り出すために、設定されたものなのじゃないだろうか、という気がしてきた。
僕らの変わるタイミングがどどーんとやってきてるのじゃないだろうか。」(7/22)

つまり、この現代日本のあらゆる閉塞感が、もう詰まって詰まって煮詰まって、もうどうしようもないところまで満ちてきて、そんな膿が一斉に吹き出してきてるのが、このオリンピックなんだと思えて仕方がないのです。
でも、そう言ってしまえば、この膿の吹き出しは、やはり日本という身体が健全に変わるために必要な現象なのかもしれないともまた思えるのです。過去の問題点が炙り出される、それは“過去への憧憬”ではなく、未来がもはや“過去との同型”ではないことを意味しているんだと思うのです。


■Dm■「アテネで、リオで、」

ボクはオリンピックの開会式が大好きです。そのきっかけは、2004年のアテネオリンピックの時に、実際アテネで開会式を見て以来なのでした。その当時『金スマ』のチーフディレクターだったボクは、MCの中居正広さんがオリンピックのTBSのキャスターをやることになって、その縁で大竹しのぶさん、飯島愛さん、篠原涼子さんと、その中居くんに会いにいくという企画を金スマでやることになったからでした。始めて会場で生で見るオリンピックの開会式は、その演出があまりに素晴らしくて、まさにギリシャ哲学から現代に続く歴史を描いたパフォーマンスから、ビョークのライブも有り、強烈にボクのクリエイティブライフに影響を残したのでした。つまり、いつかこういうエンターテインメントの演出をやってみたい!それは今までやってきたテレビ番組の演出を通り越して、もっと実地な、もっとリアルなプロジェクトをやってみたい!と思ったきっかけになったのでした。ちなみにそれまでの五輪はNHKの中継を見ることくらい。そしてその中継って、「今、花火が上がりました(見てればわかるちゅーねん!)」的なある意味いらない実況が挟み込まれますよね。これはつまりあくまでスポーツイベントの中継って容態でしかなかったわけです。だからボクもむしろ選手の入場と、聖火の点灯くらいしか興味がなかったのでした。でも実際にその会場で式典を見ることで、むしろ開会式の演出こそ、その開催国の文化とアートへの理解と興味の深層が垣間見られると知ったのでした。まさにエンタメの質は、その国の文化の質をもっとも顕現させるものなのです。
それから、開会式マニアになり、2006年のトリノオリンピックのF1カーがくるくる回って五輪のエンブレムを描く演出や、2008年の北京オリンピックのマスゲームと儒教の融合の演出や、現代美術家の蔡 國強氏の花火の演出、2012年のロンドンオリンピックの産業革命を描いたパフォーマンスやジェームズ・ボンドの映像、そしてポール・マッカートニーのライブなど、ボクには、もう目眩くエンタメ性にノックアウトされ続けて、開会式のブルーレイディスクを購入して集めているくらいなのです。

そして2013年、2020年の東京オリンピックへの誘致が決まりました。このメルマガで何度か書いていますが、ボクは2011年の東日本大震災を契機に、2012年の夏から、今までのテレビの枠(フレーム)に縛られない、もっといろいろ、まさにバラエティにあらゆることをやって行こうと進むのですが(それが2016年末のTBS退社につながるのですが)、そんな折に沸き起こった2020年の東京オリンピックの開催。当時43歳になるボクは、7年後の自分を考えて、ちょうど2020年に50歳になる自分が、なんかオリンピックの開会式の演出に関われたらいいなーとか、当時周りの人には言っていたのでした。
そして2016年のリオオリンピック。7月に会社に辞表を出して有給休暇消化中のボクは。閉会式で次回開催の東京を紹介する演出をテレビで見た時、当時思ったことをブログに書いている。

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