vol.45 『ポスト・コロナの世界を予想する』

角田陽一郎のメルマガDIVERSE vol.45 2020年4月8日Full Moon
『ポスト・コロナの世界を予想する』

ユニバースUNIVERSE(単一の世界)からダイバースDIVERSE(多元的な世界)へ
多視点(バラエティ)でみると、世界はもっと楽しくなる。
それが角田陽一郎の考えるバラエティ的思考です。まさにいろいろなことをバラエティに多元的に多視点で紐解くメールマガジンです。

おはようございます。今日は天秤座の満月です。さらに一番大きいスーパームーンです。そんな日から緊急事態宣言が発令されるなんてある意味象徴的です。なぜなら満月は満る日で転換点だからです。篭ってる方も多いでしょう。一方で医療関係の方やライフラインに従事している方には本当に頭がさがる想いです。本当に本当に皆が健康で、この病禍を乗り越えることを切に願います。


■Cm■「コロナ禍の日常」inspired by【「好きなことだけやって生きていく」という提案】

そんな状態の中で、僕なんかが何ができるか?むしろ何もしないで篭ってるのが一番いいわけで、連日買い物や散歩以外は対面のミーティングもキャンセルして篭っております。篭って本を読んで、勉強して、ときどき仕事をして、なんとかやっております。今日はそんな今の僕の篭ってる思いをそれこそつれづれなるままに書いてみようと思っています。
私設のメルマガですから、このコロナに思う状況を、専門家でも無い自分が根拠なく書きなぐってみようと思います。ご了承ください。
まず、どっから書こう。自分の日常でいうと、篭ってることでツイッターをはじめネットをすごく見る時間が増えました。
もともとネットを見てる回数も時間も多かったですが、それこそ篭ってからは、世界のコロナの状況も気になるし結構頻繁に何時間も見ている気がします。で、これは本当に精神を蝕んでいくと思います。本当は見なきゃいいんだけど、いつの間にか気になってる自分がいるのです。
夜寝る前の直前まで見てるし、朝起きたら、まず最初にニュースをチェックするのもスマホのSNSです。それで一喜一憂していたりします。まあ憂の方が圧倒的に多いですが。そしてこの憂の情報を圧倒的な量で常に浴びているってのが、全くもって良くないことなんだって(我ながら)そのやばさを危惧します。いつもなら、そのやばさに自分で気づいて少し量が減ったりするのですが、今回のコロナ禍ではそれもできません。というか、むしろどんな情報が世界であったかを知らなければいけないという強迫観念もあるから、つい見過ぎていることを自分に課しているのかもしれません。これは本当にコロナにまつわる精神的害悪でもあります。
そしてさらにダメだと思うのは、そのSNS上で皆の言動がコロナによってさらに汚く激しくなっていること。それも今までもクソリプとか炎上とかいろいろ毒ある言葉が多かったSNSですが、コロナになって、人の行動への非難、政府への非難、他人へのイライラがいつもにまして増しているんだと思うのです。
特に、僕が感じるのは、今まで温和だったいわゆる有名人、芸能人、アーティストとかも今回のコロナではかなりピリピリしリアクションをしているところ。例えば震災や災害だとがんばろう!と救いのメッセージをしていたような有名人も、今回はかなりキリキリした返答をいわゆる一般人にも返していたりします。
それには多分2つの理由があります。
そんな有名人や芸能人やアーティストにも、今回のコロナは他人事では無いということ。
自分の業界にもコンサート中止やイベント中止など、ダイレクトに災難が襲ってきてるので、そんなイライラと不安がついSNS上に表出してしまうんだと思うのです。
つまりこのウイルスの攻撃というのは、あらゆる人類に“分け隔てなく”襲ってくるということの顕現なんだと言えるかもしれません。
さらにもう一つの理由は、そんな有名人や芸能人やアーティストが有名人や芸能人やアーティストになって成功しているのは、自分たちの繊細な感性が世界のあらゆる現象を切り取って表現として出現させている特技の持ち主だからなのです。
つまり一般のひとよりもともと感性が高くて、この感性の高さが、コロナの猛威に過剰に敏感になってしまうからなんだと思うのです。
それは、今までの人類への戦争、天災、疫病、などのあらゆる災禍で、あらゆる芸術作品ができてきたこととも共通しています。悲しいかな悲しいことがアートの原動力になっていることもまた事実なんだと思うのです。


■Dm■「多様性と民主主義の敗北」inspired by【「本音で話す」は武器になる】

そんなことを思いながら、僕がこのコロナ禍で感じたことでいうと、なんていうか神様がこのコロナ禍を使って僕らに要求している未来の姿が、なんとなく見えてきたように思うのです。
これからさらに角田の手前味噌な考え(妄想?)に進むのですが、まあおつきあいください。

まず最初にそう思えたきっかけは、3月11日の東日本大震災の日でした。あれから9年経ちました。あの日に僕は、note にこう書いています。

“危機が有って「みんなで一緒に助けあおう手伝おう」ではなくて、危機が有って「みんなと一緒にくっつかないで離れよう」ってのは中々難しい感覚です。
前者は他者への義侠心が生まれるかもだけど、後者は他者への疑心暗鬼が生まれやすいから。”

・・・そうなんです。このコロナというのは、人々の連帯を阻むものなのです。震災の時は、みなが被災地にボランティアで行ったり、援助物資を届けたりと、肉体的にも精神的にも寄りそう=距離を縮めることが、危機を乗り越えるための方法でした。でもこのコロナ禍は違うのです。
相手のことを想うなら、離れなければならないのです。

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