AD56「教養としてのバラエティプロデューサー」

[水道橋博士のメルマ旬報 vol.255 2021年2月19日発行「テレビの果てはこの目の前に」より]

教養って、名詞というより、本来は“教養する”って動詞だったらしいです。つまり教養があるというのは完成形があるような“状態”ではなく、その日々の“過程”だそうです。

自由とは何なのかをいつも考えてる。この世界において、個人が自由を獲得することとは、他者を慮るということなのではないだろうか。他者を攻撃している限り、他者を排斥している限り、他者を認めない限り、その人には自由はあり得ない。なぜならそんな人の自由を他者が慮ることは決して無いから。

他人に嫌われるというのはとても哀しいことだ。こちらが意図してなくても他人に嫌われることがある。むしろ一生懸命だったりすると、それが他人にうざがられるってことがある。そう思うと自分は他人を嫌いになりたくないなって心底思うよ。世界に哀しいことが増えるのは、もうそれだけで嫌なのだよ。

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