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BC41「"おもしろいことを言う人"と"おもしろいことを考えている人"の明確な違い」

[水道橋博士のメルマ旬報 vol.48 2014年10月25日発行より一部改定]

この前、映画監督の紀里谷和明監督と、キングコングの西野亮廣さんと一緒に食事をしました。いつも『オトナの!』を見てくれてる西野さんが紀里谷さんと蜷川実花さんの回を絶賛されてて、ならば紀里谷監督と西野さんをお会いさせちゃうと、なんかおもしろいこと起こるかなと思ったからです。なにせ二人ともものすごく熱いですから!
そもそも『オトナの!』をプロデュースしていて一番の醍醐味もまさにこれなんです。今まで出会ったことのない天才たちを番組のゲストというのを理由に一同に会わせちゃうと、そこから新しい化学反応が起きるんじゃないかと思ってワクワクします。例えば、“ホリエモン堀江貴文”さんと“神聖かまってちゃんの子”さん。最初の子さんとお会いして、どなたと出たいか相談していて、それこそミュージシャンの方の名前が挙がっていたんですが、なんとなくそれだと予定調和だと思いました。の子さんはぶっ飛んでいます、それもネットの世界で。だとすると他にネットでぶっ飛んでいる人いないかな、とか考えていて、あっホリエモンだ!と思ったわけです。ぶっ飛んでる種類は違いますが(笑)。それで、そのことを堀江さんにも伝えると「おもしろい!」と快諾してくれ、初共演が叶ったのでした。その後、二人は意気投合されて、なんかイベントがあるとちょこちょこご一緒されているようです。さらにMCのユースケさんもの子さんとその時の収録が初対面で、それがご縁でその後プライベートでも飲みに行っているようです。そんな風に番組がご縁をつなげることができるんだなあと思うとすごく感慨深いわけです。

さらに変わったご縁を作ったといえば、岡村靖幸さんと会田誠さん。実はこの二人は共演したわけではないのです。『オトナの!』は毎回2組収録するので、その日の収録の1本目が会田誠さんと作家の島田雅彦さんで、2本目が岡村靖幸さんと我らが水道橋博士の回だったのです。ですので、岡村さん会田さんの控え室がちょうどお隣どうしで、そこで自然とご挨拶することになり、そこがご縁で、岡村さんのその後発売したシングル“ビバナミダ”のジャケットを会田さんが描くことになったみたいなのです。僕が大ファンの岡村さんの“ビバナミダ”のジャケットを見ると、会田さんが描いた岡村さんの顔!!もしその日たまたま収録が同じじゃなかったら、このジャケットも産まれてなかったわけですから、もうその“きっかけ”の“きっかけ”の“よすが”くらいを作ったのが自分だと思うとめちゃくちゃ感慨深いわけです。

 紀里谷和明監督と最初にお会いしたのは実は4年前の2010年。当時僕がプロデュースしていた『カタリダス』という、アーティストが自分の考え方をパワポでプレゼンするという異色深夜番組への出演をオファーしたのがきっかけです。オフィスにお邪魔して1時間以上熱く説得を試みるも、答えは出演NG。テレビ番組では結局自分の考えが伝わらない。それができるなら出ますが、と言われたのを覚えています。

でもその返答は僕にとっては彼からの挑戦に聞こえたのでした。確かに、OA時間や意図的に編集されちゃうみたいな不安など、テレビでは自分の考えが伝わらないと思っている方々が多いです。特に普段テレビにあまり出ない文化人の方に多いです。そしてそれはあながち間違っていないのも事実みたいです。そういうトラブルちょくちょく耳にしますから。ただ自分の番組は少なくともそんな編集をしたことはありません。出演者の方が言いたかったことを曲解して編集するなど言語同断です。でもなんで編集するかというと、やはりOA時間にはめ込まないといけないってことが一番の理由ですが、編集することで、その方の言いたかったことが際立って逆にわかりやすくなることがあるからです。僕は普段それを目指して編集しています。例えばある方があるトピックを10分喋ったとして、それを5分に編集する。時間は半分になっているのに、逆にその方の伝えたかったことが明確になる。そんなことが可能なわけです。でもそのためにはその出演者の方の言いたかったことをちゃんと理解している必要があります。その方の伝えたかったメッセージを一本の“幹”として、そこにつながる言葉同士をまさに“枝葉”のように付け足して編集していく。すると全体でその方のメッセージという“木”になるのです。しかし問題はそういう風に全てのテレビ制作者が編集するとは限らないことです。制作者によっては、一つ一つの言葉言葉の強さ(おもしろさ)だけを見て、そこを切り貼りして編集する人も多いです。そうして出来上がった番組は、その方のおもしろい言葉でいっぱいに見えますが、結局何を言いたかったのかの“幹”が全く見えない番組になっていることが多いのです。
多分今のテレビはそう編集されてることが多くて、あえてそんな制作者を擁護すれば、出演した方のメッセージを曲解しているわけではなく、おもしろいとこだけ切り抜く“おもしろ編集”してるだけなんじゃないかと思います。なのでそんな風に作られた番組を見ると、視聴者は「なんかおもしろいこと言う変わりモンだなあ!」とは感じることはあるでしょうが、当の本人は「自分の言葉尻だけ切り取られて、自分の言いたかったこと1ミリも伝わっていない」と感じてしまうのです。特に紀里谷監督の場合、言葉言葉自体が“激しい”ですから、ぱっと見その激しい言葉だけを編集でつなぐと、“奇人”紀里谷和明って編集が可能なわけです。で多分過去に出演された時そんな編集をされて嫌な思いをしたことがあったのでしょう。そんな風に編集されるならばテレビに出ない!とおっしゃられるのも当然です。

“いや、そんなことはありません!”と言っても、自分を信じてもらえるだけの信用はまだ紀里谷監督には持ってもらえません。確かには『カタリダス』は番組の性質上、放送1回1ゲストに決まっているのでOA時間は制限されます。どんなに説明しても監督のその疑念を払拭できませんでした。そしてその時は泣く泣く断念したのです。そしていつか絶対、監督が言いたいことが伝わるような番組を作って、いつか絶対出てもらう。その時そう誓ったのでした

それから4年たって、独立採算番組『オトナの!』を携えて、再度紀里谷監督の元を訪ねました。そこでも紀里谷監督が提示した条件はひとつ、「自分の好きなように話させてくれ、そしてそれをそのまま放送してくれ。」僕は答えました、「そんなの当たり前じゃないですか!好きなテーマを好きな人と自由にお話していただいて、それをノーカットで何週に渡っても放送しますよ!それを言いに今日は来たのです。」オトナの!には1ゲスト1回OAって決まりはありません。1週の場合も2週の場合も、3週の場合も、なんなら1ヶ月まるまるやっていただいても何の制約もないから可能なのです。
出演はそれで決まりました。ものの5分です。そして紀里谷監督から出たトークテーマはなんと1つ、“オトナの奴隷解放運動” 。「このテーマなら蜷川実花ちゃんと一緒がいいな。彼女といつもその話しながら飲んでるし。」僕はドキドキしました。今のテレビで“奴隷解放運動”なんてテーマで話す番組なんてあるのだろうか?それも蜷川実花さんと!きっとすごいことになる。その時は当日何の話をするかの事前打ち合わせも一切なく、そして数日後六本木のバーで収録されたのです。結局3週に渡ってほぼノーカットで放送されました。ものすごい反響でした。

 そして、実際その紀里谷和明監督と蜷川実花さんの回を見ていたく感動した男がいました。それがキングコングの西野亮廣さんです。僕はバラエティ番組20年作っていますが、実はキンコンとご一緒したことは今まで無かったのでした。彼が『オトナの!』に出演した経緯もこれまた変なご縁です。なんとイラストレーターの中村佑介さんがきっかけでした。この中村佑介さんと西野亮廣さんとのお話もものすごくおもしろいので、また機会がありましたらお話ししようと思います。

 こうしてその日、紀里谷和明監督とキンコン西野さんと食事したのでありました。まあものすごくいろいろ熱量のある“熱い”話をしましたが、特に紀里谷監督が言っていた話が印象的でした。
紀里谷監督は来年公開のハリウッド映画“The Last Knights”をただいまスタンバイ中ですが、でも監督がハリウッドで映画を作れるようになったのは、実はあの『セブン』や『ファイトクラブ』のデヴィッド・フィンチャー監督が紀里谷監督の『CASSHERN』や『GOEMON』を観て、いろんなハリウッドの方面に紀里谷監督を推薦してくれたからだそうなのです。フィンチャー監督がいい方なのは勿論、紀里谷監督が力説していたのは、もうものすごくフィンチャー監督は勉強熱心なのだそうです。なんでも知ってるし、日本を始めあらゆる世界中の有名無名の監督の映画作品を観て知って研究しているらしいのです。

さらに紀里谷監督の言うには、監督が今まで出会った数々の天才は、全員がほんと全員が、ものすごく努力してるし、ものすごく勉強していて、むしろまだ努力が足りないと始終悩んでいる、と。それはデヴィッド・フィンチャーもそうだし元妻だってそうだったと。結局、自分の気持ちも勿論、そんな環境を確保するという能力も含めて、貪欲にやり続けられることの能力が天才の天才たる所以なんだと。その言葉は、このメルマ旬報の僕の第1回連載に書いた、『オトナの!』をやっている理由、すなわち憧れの天才、お会いしたい天才をゲストに呼んで話を聞きたいっていう、天才好きな僕の心にとてつもない衝撃を与えました。そうか、天才も努力しているんだ、いや努力できるから天才なんだ。ならば、天才でない僕(ら)は、もしかしたら努力できないから天才じゃないんじゃないだろうか?。ならばならば、それで天才になれるかどうかはともかく、もっともっと僕(ら)も努力しなければならないのだと。

 この話に感動しながら、一方のキンコン西野さんも負けずに熱く語っていました。「僕は紀里谷監督のように、オーバーラン気味の人間が大好きなんです」と。僕の大好きな西野さんの話があって、“友人の両親が交通違反で警察ともめた話”というエピソードがあるのですが、これはまさにそんなオバーラン気味なものすごく熱い人の爆笑話なのですが、西野さんがライブでよく語るネタなのでここで書くのは遠慮しときます(笑)。おもしろい話なのでぜひキンコンや西野さんのライブで直にお聞きください。でもまあ、そんな熱い人の熱いまっすぐな言動がおもしろいと西野さんは力説するのです。その西野さんの言葉自体がものすごくまっすぐで熱いですが。紀里谷さんや西野さんをはじめそんな熱い人たちの話には共通点があります。それはおもしろいことを言おうとしているという、変な欲や邪念が1ミリもないこと。ただ自分の感じたことをただひたすらまっすぐに熱い思いで語っているだけなのです。そしてその話は、結果としてものすごくおもしろい。それにものすごく惹きつけられるのです。なぜならその人の熱量がこっちまで伝わってくるからなのです。

そんな風に感じながら2人の熱い会話を聞いていて僕はあることに気付きました。“おもしろい人”には2種類あって、“おもしろいことを言う人”と“おもしろいことを考えてる人”がいるのです。それは似ているようで実は全然違います。両者とも僕らには欠かせない“おもしろい人たち”ですが、でも今のテレビには“おもしろいことを言う人”ばっかりが出る傾向があるのです。なので『オトナの!』をはじめ自分の番組には“おもしろいことを考えてる人”に出てもらいたい。それも本気の"熱"を持って“おもしろいことを考えてる人”。そしてその“おもしろい考えごと”を思う存分テレビで発表してもらいたい。なので紀里谷監督にもキンコン西野さんにも『オトナの!』に出演していただいたのだなとその時気付いたわけです。
特に“おもしろいことを言うだけの人”は、なんていうかもう全然おもしろくもなんともないのです。人が作った作品を、さも自分がそこに気づいたことの優秀性を語りたくて、自慢げに揚げ足取るようなtweetしている人とかもその部類だと思います。ただ会社や社会って、“おもしろいことを言う人”のほうを重宝しがちで、“おもしろいことを考えてる人”、それも“熱く”真剣に考えてる人のことほど、時にバカにするし、蔑むし、シカトし、そして奇人扱いする。でもそれこそもう全然おもしろくない!!

そうなんです。僕はもはや、“おもしろいことを言う人”には全然興味がなくて、“おもしろいことを考えてる人”がおもしろいと思うのです。当然“おもしろいことを言う人”でも、それはおもしろい話芸を備えた、話芸の天才ってのはいます。でもそういう人ってやっぱりおもしろいことを考えてるからおもしろいのです。ところがなんていうかテレビだったり世間だったりは、なんか技巧的に“話のおもしろさ”ってのを捉えすぎる傾向があると思えてなりません。話の“間”だとか“空気”を読むだとか、会社でいうと会議とか上司への報告だとか、その話のおもしろさ(重要さ)よりも、どういう風に上手にその場を切り抜けるか?をメインに話しているように思えて、僕にはつまらなくてしょうがないわけです。本質で話してない気がするのです。

けれど“おもしろいことを考えてる人”ってのは、それこそその熱量がハンパないですし、常人の想像を超えてることが多いので、社会では浮きまくってます。だからもしかしたら紀里谷監督は奇人だと思われがちですし、西野さんは好感度が低いのかもしれません(笑)。でもそれでいいんだと思います。その“おもしろい考え”が未来を作るからです。
僕はそんな考えを紀里谷監督とキンコン西野さんに負けずに熱弁しました。「君が相当熱いね!」と紀里谷監督に言われ、「角田さんが十分オーバーランですよ!」と西野さんには言われました。でも僕もそれで突き進もうと、これでいいのだ!と、なんの根拠もなく思っとります。
最後にキンコン西野さんがちょっろと付け足しました。「でもやっぱ芸人なので、“おもしろいことを言う人”としても僕は認められたいな。そして好感度あげたい・・・」
[水道橋博士のメルマ旬報 vol.48 2014年10月25日発行「オトナの!キャスティング日誌」より一部改定]


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