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夢十夜創作②「第二八〇夜」

 こんな夢を見た。
 四辺(あたり)一面、暗闇が広がっている。時々、どこからともなく微かな声が聞こえてくるばかりで、それも何を言っているのかが判然としない。まるでトンネルの中で叫んだ時に聞こえるような声である。ただ、なんとなく賑やかな声だということ、それだけは分かっていた。
 自分は心細くなって、その声のする方へ叫んでみた。しかし、何も返ってこない。そもそも自分から声が出ていたのかすら不確かであった。ただ不定期に微かだが、賑やかなあの声が聞こえてくるだけである。
 今度はひたすらに耳を澄ましてみた。賑やかな声の他にも、非常に微かだが、音が聞こえてくる。夜風の音のような、水に潜った時に聞こえる音のような、そんな音が聞こえてきた。何故かは分からないが、とても落ち着く音であった。そして、どこか懐かしい気持ちも同時に起こってきた。自分を優しく包み込んでくれる、温もりに充ち満ちた、そんな音である。この音をずっと聞いている内に、段々と考える余裕も無くなる程に眠くなってきた。
 そこで、自分は眠ることにした。しかし、四隣(あたり)が真闇(まっくら)な為に自分が目を閉じているのか、開いているのかがはっきり分からない。しかも、とてつもなく眠いというのに寝ることがなかなかできない。段々と腹が立ってきた。そのため逆に目が覚めて眠れなくなってしまった。
 腹の虫がなかなか治まらないので、自分はなんとなく駆けてみることにした。この暗闇から抜け出そうとしたのである。あの微かな声のする元へと向かおうとした。ところが、思うように足が動かない。腕を振ってみようとしても、それすら上手く出来ない。何とか動いたと思って手足をばたつかせても、ただ虚空を切るだけであった。
 どうにかしてここから出たい、もうこんな暗闇はこりごりだと思い始めた自分は、いつしか脚を前方に突き出すことが癖になっていた。するとある時、何か柔らかい感覚が足の裏に伝わってきた。そしてそれは壺のように自分の四方を囲っているということを悟った。少し前までは思うように動いてくれず、かろうじて動いたとしても、ぎこちない動きしか出来なかった自分の脚は、いつの間にか自由自在になっていた。この壁を蹴り続けて破れば、きっとこの暗闇から抜け出せると思った。だが、何の成果も上げられなかった。柔らかいはずなのに、その弾力故か、破れる気配が一切ない。さすがに疲れてしまった為に、休むことにした。その後は蹴っては休み、休んでは蹴り、ということをひたすら続けたが、やはり外に出ることは叶わなかった。
 得体の知れない柔らかい壁を蹴り続けること数刻、またあの微かな声が聞こえてきた。ところが今回の場合はどこか苦しそうな声色である。どうやら自分の蹴りに呼応してこの声が発せられているようだった。自分は咄嗟に蹴るのを止めて、じっとすることにした。
 自分は不意に、なぜこんなに外へ出ることに執着してしまうのだろうと思うようになっていた。最初は暗闇に怯え、心細くもなっていたが、気付けばもう慣れている。暗闇の中で生きていくのも悪くない―。そう思い初めた自分は、ただ暗闇の中で身じろぎもせずに時を過ごした。自分はその内に、自分とこの暗闇の空間との境界が分からなくなってきた。もしかしたら、この暗闇をも全て含めて「自分」なのではないだろうか。暗闇で安堵し始めた自分は、そう思考するようになっていた。
 ふと気がつくと、あの微かな声が聞こえる。今度はあの頃聞こえていた、賑やかな声だ。ただ、苦しそうな声も同時に聞こえてくる。自分は訳が分からなくなり、耳を塞ごうとした。その瞬間、何かに自分が押し出されるような感覚を覚えた。その力はどんどん強くなっていく。自分は必死に手足をばたつかせて抗おうとしたが、その努力も虚しく、どんどん押し出されていく。あの賑やかな声は自分を歓迎しているようにも、謗るようにも聞こえてきた。押し出されていく内に、一筋の目映い光が見えてきた。それは段々と自分を包む暗闇を飲み込むようにして広がっていった。あの声も段々と大きく聞こえるようになっていった。
「おめでとうございます。」
 自分は、産声を上げた。


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