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毎日考えてるわんこと脚本のこと

もう去年のことだが。脚本家として参加し、イザ、コンクールへ出品!という時。私は、自分の作家名に愛犬の名を入れたいと申し入れた。結果的に奇妙な作家名がエンドロールに流れる事になった。違和感しかないが、私は嬉しかった。

意図知れず脚本家デビューしたその子はもうこの世に居なくて、私は忘れた事が無いから思い出す、という事もない。

もっとあぁしてあげたかった、これもしてあげたかった。後悔ばかりでいつも少しだけ痛い。解決なんて永遠にしないから、私はその感傷を引きずって生涯を終えることになる(大げさ)。

例によってまた無限の後悔ループに陥っていると、ふと、全然暮れない夏の夕暮れに二人(一人と一匹)で影を伸ばして歩いた田んぼ道を思い出し、今描いている作品で再現させたい、と思った。脚本を通して私は自分の過去や負や闇や陰を昇華する事こそ生きる意味ではないか、という身勝手な解釈に酔っているので、出来る限り自分の癒しに力を尽くしたいのだ。

初稿(4月末締め切り)の段階で、実現可能性ばかりに固執して遊びがないと最後までちっぽけに終わる、とようやく気付いてから少し楽になった。叩きがいのある叩き台になろう。

せめて声をかけてくれたあの人の期待値を超えたい、と強めに思っている。



 

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