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寒さよりやっかいな「期待」

先日、婚活相談所がやっているYouTubeチャンネルで見た、ある女性の話をもとに noteを書かせてもらった。

ふと、自分の中で、更なる議論が再燃しているので、ここに記したい。

YouTubeの内容を簡単に説明すると、婚活に悩む40代女性が、ハイスペックな男性との出会いを求めていて、カウンセラーの方にぐさぐさ突っ込まれる、というもの。

この動画を見る人(特に女性)は、「私はそんな事ない」と思っている人が多いと思うけど、私には、結構多くの人が、動画内の女性のような現象になっていると思えてならない。

最近よく、「人に期待をするな」と言われる。人の事をアレコレ考えても、結局自分にはどうする事も出来ないから、とか。
或いは、人に期待して裏切られたと思って傷つくぐらいなら、期待しない方が幸せだから、とか。

もちろん、人に全く期待をしない事は難しいけれど、案外、経験と学習能力によって、鍛えられる部分もあるのではないかと思う。

大抵の人は、例えば恋人の「もう絶対に浮気しない」という謝罪の言葉を、最初は信じても、2回目、3回目と繰り返されれば、いい加減目を覚ます。

最初から一切の期待をしない事は難易度が高いけれど、徐々に相手のことを理解して、「これ以上は期待しない」と判断する事は、経験を積めば、多少は出来るようになるだろう。

翻って、自分自身への期待はどうだろうか。
私なら、もっとハイスペックな恋人と出会えるのではないか。
私なら、もっと給料が高い仕事に就けるのではないか。

自分のことを謙遜しつつも、心の中では「もっと」と欲を出す。

そして、この自意識と、自分の実際の姿とのギャップこそが、冒頭に挙げた動画内の女性を生み出すのだと思う。

先日読んだ本の中で、「自分の中に自分はない。だから自分探しなんかやめろ。」みたいな記述があって、全くその通りではないかと。

自分の中で考えているだけでは、自意識ばかり肥大化して、妄想が広がり、理想論の世界を生きる事になる。
そうして、日常或いは自分の等身大の姿を忘れて、夢や理想ばかりを語るようになる。

だから、他人と同じく、自分自身にも、過剰に期待をしてはダメ。

とは言っても、そういう理想や夢があったり、根拠なく自信を持ったりするから、現実が辛くても何とか希望を持って生きられる、なんて事もあるとあると思うので、全く期待しないのも、実は不健康なのかもしれない。


事実私は、昔書いた、内容も忘れた自分のnoteを読んで、「お〜、なかなかいい事書いてるじゃん。」と思い、今夜のnote執筆に至った。

写真は、いつか住んでみたいパリ。

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