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出会いと別れの中で、私達は生きている

大学生時代、留学生と交流するサークルに入ったり、新しく来た留学生をお世話するサポーターを務めたりしたお陰で、外国籍の友人がたくさん出来た。

留学生にも色々なタイプがあり、日本人学生と同じように4年間、学部で勉強する人もいれば(このタイプには韓国人や中国人が多かった)、半年や1年、交換留学生として勉強する人もいる。

その短期タイプも更に細かく分けられていて、日本語で行うプログラムや英語で行うプログラム等、さまざまだった。

4年間通う留学生は別として、半年や1年という期限付きで来ている留学生とは、せっかく仲良くなったとしても、別れがつきものだった。

やっと仲良くなれた頃、やっとこちらが少しずつ英語で話す勇気を持つようになった頃、やっとちょっと込み入った話も出来るほど相手の日本語が上達した頃、別れの日はすぐそこに迫っていた。

「また日本に遊びに来るね」

そうは言ってくれるものの、それがいつ実現するか分からない。
再度勉強や就職の為に長期で日本を訪れてくれるならまだしも、短期間で日本へ来てくれたとしても、スケジュール上、会えないかもしれない。

「いつか〇〇にも遊びに行くね」

相手の国のことをそう言ってみるものの、それがいつ実現するか分からない。
遠い国なら尚更、そこへ行く時間も、経済的余裕も、いつ生まれるのか見当がつかない。

"永遠の別れかもしれない"

少々大袈裟かもしれないけれど、私たちはお互い、心の中できっとそう思っている。
相手はどうか分からないけれど、少なくとも私は。

そんな時はよく、ハグをして別れた。

何を話していいのか分からず、でもお互い、相手の前途を祈っているのだということを示す為に、ハグは最適だった。

ハグによって、言葉で伝わらない思いによるモヤモヤが少し軽減した。

そうして別れた後、直後は少ししんみりとし、でもすぐに次のプログラムの留学生がやって来て、寂しさはすぐにかき消された。

大学を卒業して6年。

あの頃出会い、別れた留学生たち。

その中で、今も連絡を取り合っている人がいる。
社会人になってから、何度も再会した人もいる。
たまに思い出す人もいる。
名前すら忘れてしまった人もいる。

今は学生時代のように数多くの留学生と出会う機会はないけれど、その代わり、旅好きが集まるコミュニティに入ったので、そこで多くの人と出会っている。

マルコ・ポーロから取って「POOLO」と名付けられたコミュニティに入ったのは3年前。あれから多分、100名くらいに出会っただろうか。

POOLOも期限付きのコミュニティだけれど、私達は留学生ではないから、帰国なんてしなくていい。卒業した後も、自分たちの意思で集まり続ければいいのだ。
仲間は全国(あるいは世界中)に散らばっているけれど、社会人になった今なら、その気になれば会いに行く事も、それが無理でも、気軽にオンラインで話すことだって出来る。 

先日も、歴代のPOOLO卒業生を集めた、大交流会というものが実施され、総勢120名以上が集まった。

そこには半分以上知らない人がいて、また新しい出会いがあった。

大学生の頃とは違い、出会いばかりが更新され、寂しさとは無縁になった。

出会いがあって別れがある、別れがあって出会いがある。

だとしたら今後、この大勢の仲間と別れる瞬間(疎遠になる瞬間)も、またいつか訪れるのだろうか。   
そうじゃないと、人生の辻褄は合わないだろうか。
ここ2〜3年、出会いの洪水の中で泳いでいたから、そんな未来を思うと、急に少し怖くなる。

でも、その瞬間が、今の私には全く想像が出来ない。永遠に続くものなどないはずなのに。

コミュニティメンバーは20〜30代が主で、結婚しているメンバー、最近結婚したメンバー、最近子供が産まれたメンバーもいる。そうでない人から比べれば少数ではあるけれど。

これから年齢が上がれば、状況も変わるだろう。

結婚していない人の数より、結婚している人の数が多くなるかもれない。
子供は自立し、親の介護に苦労するかもしれない。親の死に目に会う日も来るだろう。
結婚する人だけでなく、離婚する人だっているはずだ。
体力と知力が良いバランスを取りはじめた頃に出会った私達は、やがて体力の衰えを感じるようになるかもしれない。

そういう未来の事を、具体的なイメージとして想像する事は、今はまだ難しい。

でも、そんな、楽しい事ばかりではない未来を、私はこの仲間達と共に迎えられたら、どんなに幸せだろうかと考えている。

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