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永遠に生きる-1回目


これは、2018年5月に書いた記事です。
人類のあこがれ「不老不死」
それを手に入れるためにはどんなことすらいとわない…
みたいな風潮もありますが、実は
私たちは誰でも永遠に生きることができる。
そしてその世界は
やさしい世界
になるんだろうなと思います。
「永遠に生きる」をテーマに
マガジンにまとめます。

栗城 史多


登山家の栗城さんが、エベレストアタック中に亡くなった

という記事が飛び込んできたのはつい、この間。
(注・2018年当時)

初めて栗城さんをテレビで見た時、
無酸素で登山していてレロレロだった。

自分のリュックも上着も放り出して
空に向かって叫んでいた。

それを見て、

なんてことをする人なんだろうと

どうしてそんなことをしてまで
山に登るのだろうと

ある意味、カルチャーショックだった。

栗城さんの登山のスタイルは

無酸素

単独

一番困難なルート

それが、挑戦ではなくて無謀だと
単なる自己顕示欲だと
彼の力量でそんな登山は無理だと

さんざん叩かれていたのも知っている。
そして栗城さんは9本の指を失い、
それでも
真っ黒になった手を見せて

「また登るから」

と笑った。

あきらめない
ということを彼は教えてくれた。

ヒマラヤの山中で、
意識がもうろうとしている中
それでも中継をして
それを見ている世界のみんなが

「栗城さん、生きてこそ、ですよ!」

とリアルタイムでメッセージを送った。

世間は栗城さんの登山を
無謀だといい、
批判したけど。

人間の歴史を振り返れば
必ずそこに、

無謀で、

クレイジーで、

世間から批判された人たちがいた。

そして、歴史はまさに
かれらによって作られてきた。

デヴィッド・ボウイがデビューしたとき
世の中は、彼を理解できなかった。

ジョン・レノンが
オノ・ヨーコとのベッドインの写真を出したとき
世間はこっぴどくかれらを貶めた。

でも、今はそんなの平気だし
もっと奇抜なファッションやライフスタイルが巷にあふれている。

フィギュアスケートだって4回転は無理だと言われていた。
でも、羽生くんは飛んだ。

そして、それが今や当たり前となりつつある…

否定の壁への挑戦

栗城さんはそう言って
エベレストへ向かった。

あちこちで

彼は無謀だった
と言われているけれど
いつか歴史を振り返った時に、
栗城さんこそ本当のチャレンジャーだったと
栗城さんがチャレンジしたからこそ、
無酸素登山が普及した

と言われる時が必ずくるはず。
栗城さんは志半ばでいなくなってしまったけど

大丈夫。

後を継ぐ者は必ず現れるから。
栗城さんの意思を引き継ぐ人が
必ず現れるから。

それが永遠に生きるということ。


否定の壁は、
いつかは崩れる。


それを崩すのは、
あなたかもしれない、
あなたの、子供たちかもしれない…


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