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複合語

ライティング(लिखित)のクラスでは、接頭辞、接尾辞、連声…等々をやっていて、いわゆる「作文&添削」のチャンスがほとんどない。outputスキルの向上が望めなくて絶望を感じているけれど、それはそれで他の方法を模索するしかない。

さて、現在は、「समास 複合語(合成語)」を延々と勉強している。接辞にしても連声にしても、サンスクリット語の学習方法を踏襲しているのかな、と思われる。むかしむかし、3時間ほどサンスクリットを勉強した時に、まずは連声をやっていた気がする。

さて、これではいつまでたってもヒンディー語を自由に書いたり喋ったりできるようにならないぞ、と焦りを覚えつつも、同時に、これらのサンスクリット系語彙と板書を延々と書き取る作業に、正直、感動に胸打ち震えている。

例えば、こんな具合。

नीलकंठ (ニールカント)という言葉がある。これは「青い」という意味のニールと「首」という意味のカントを組み合わせたもので、青い首の人、つまりシヴァ神のこと。乳海撹拌で湧き出た毒を飲み干して首が青くなったという神話に基づいている、というのは常識の範囲内。

この要領でどんどん続く。

घनश्याम(ガンシャーム)、ガンは「雲」、シャームは「黒」の意味。黒い雲の(ような体の)人、つまりクリシュナ神。「クリシュナ」という言葉自体が「黒い人」という意味で、クリシュナ神の絵姿が青い肌で描かれるのは、「青光りするほど黒い」ということなんだ、というのは師匠の説。「クリシュナの黒い体に塗ったサンダルペーストが、黒雲に走る一筋の雷光のように美しい」という形容はバラタナティヤムの楽曲で何百回も聞いてきた。

कमलनयन (カマルナヤン)、カマルは「蓮」、「ナヤン」は目。「蓮の花のように美しい目をした人」。つまり、ヴィシュヌ、クリシュナ、ラーマ。他の女神や女性の形容でもたびたび使われている形容。バラタナティヤムの振り付けでは、左手パタカの手の平の上で、右手ムクラ→アラパドマに指を開いて蓮の花を示し、カルタリムッカで両目を示す。何百回やったことか。

चरणकमल (チャランカマル)、チャランは「足」、カマルは「蓮」。「蓮のように美しい足の人」。蓮の御足はクリシュナ/ヴィシュヌの形容だ。上記カマルナヤンと同じく蓮の花を示し、足元に礼拝する仕草、これも何百回やったことか。

पंचानन (パンチャーナン)、アーナンは「顔」、パンチは数字の「5」で、「5つの顔を持つ人」、すなわちシヴァ神。バラタナティヤムの振り付けではムクラで「5」を示し、顔周辺をぐるんとアラパドマでなぞる仕草でシヴァ神を形容し、讃える。

バラタナティヤムの楽曲は、タミル語、カンナダ語、サンスクリット語等々が混在していて、正直、リスニングは難しい。それでもヒンディー語を学んでいると、時々単語を拾えることがあって、非常に理解がしやすくなる。

やはり、私にとっては、ヒンディー語とは、とても実用的で生活に欠かせない言語だなぁ…と改めて感じた授業だった。

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