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東日本大震災で台湾人がたくさん寄付した理由|日本人が知らない台湾の921大地震

東日本大震災の時、台湾が日本に義援金を送ったことが、ネットで一時期話題だった。いまだに台湾に感謝している日本人がいて、台湾人もすごく感動している。

日本は台湾をたくさん支援していただいたことを知らない人が多いと思う〜

なので、今回は何で台湾人が東日本大震災でたくさんの義援金を日本に送ったかを紹介する!

1999年9月21日の深夜

1999年9月21日の深夜1時47分から、台湾でマグニチュード7.3の大地震があった、揺れは102秒も続いた。たくさんの人が熟睡したまま亡くなってしまった。

地震の翌日の統計によると

死亡者約2千3百人
負傷者約6千5百人
要救助者約1万2千人

政府はすぐに救助をし始めたが、台湾全体に被害があって、手に負えない状況だった。

地震による被害

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1997年で台湾の耐震基準は震度5までと規定された、それ以前の建物はほとんど耐震するような構造ではなかった、震度7の地震に耐える建物はほとんどなかった。一週間の中で、マグニチュード6以上余震が8回も観察された。余震が多いせいで、救助がより困難だった。

台湾の地震はレベル0から6まであった、921の被害が大きすぎて、6までだと現場の被害状況をうまく伝えられないので、震度7まで追加した。

👇当時の映像(日本語)👇

この地震で最後では2415名な方亡くなって、29名が行方不明、負傷者は1万人も超えた。約4万1千棟の建物が半壊し、4万棟の建物が全壊した。

日本からたくさんの支援があった

台湾政府はすぐ対策本部を作って、急いで救助活動し始めたが、大きな余震が多い中での救助は本当に大変だった。たくさんの国から支援があった、その中で一番人数が多かったのは日本のチームだった。

各国から派遣された緊急救助隊の規模
日本 - 145人、アメリカ合衆国 - 93人、ロシア - 73人、スイス - 40人、シンガポール - 39人、トルコ - 36人、スペイン - 28人、ドイツ - 21人、大韓民国 - 16人、オーストリア - 10人、タイ王国 - 9人、メキシコ - 8人、イギリス - 6人、チェコ - 6人、オーストラリア - 5人、カナダ - 2人、国際連合 - 6人

台湾の政府はこんな大きな被害を見たことがなかったため、立てていた対策も未熟だった。その時日本は阪神大震災を経験があったから、日本の救助隊員が素早く状況判断ができて、本当に大きな戦力になっていた。

冒頭にも言ったように、地震の翌日の統計により、要救助者は1万人も超えた。黄金の救命時間は72時間だと言われているから、1秒でも早く人を見つけようとたくさんな方が頑張って声をかけて、生存者を探していた。

日本の救助隊は人命探査装置などのハイテクな機械を駆使していたから、よりたくさんの命が救われた。

当時、衆議院議員だった小池百合子さんは日本で手配をしてから、元大統領の李登輝さんに連絡し、仮設住宅を千戸、台湾に寄付してくれた。

日本政府の救助だけではなく、民間団体からたくさんの服や食べ物ばだの物資も台湾に持ってきてくれた。

日本が好きになったきっかけは921地震だった。
当時日本の記者が取材しに来て、たくさんの物資を持ってきてくれた。
その記者から一杯から一杯へ温かいスープをいただいた、たくさんの日本のカップラーメンを食べていた。
出典「Re: [問卦] 當年的921大地震有多可怕?? - Gossiping板- Disp BBS

当時日本の救助隊からたくさんのノウハウを教えていただいて、台湾の救助技術もおかげで大きくレベルアップした。

テレビで「日本への恩返し」を掲げて義援金を募った

921地震だけではなく、他な災害があったら、日本の救助隊はいつもすぐ駆けつけてくれた。

今までの恩を返すため、台湾のテレビ局が異例に共同でチャリティーイ番組を作って、義援金を募った。

「日本の311震災に愛を送る夕べ」と題したチャリティー番組は17日夜8時に始まった。冒頭で馬英九総統のVTRが放送され、馬総統は「中華民国(台湾)は1999年の921大地震のとき、日本の各界から支援をいただいた。今度は私たちができる限りの援助をすべき」と述べた。 
出典:台湾の芸能界が総結集して震災チャリティー番組、義援金3億円超

終わりに

2019年9月21、大統領の蔡英文さんもツイッターで日本へ感謝した。

921大地震の時、自分は台北県(現新北市)に居た。当時はまだ小学生だった、地震で目が醒めったら周りが真っ暗だった、計675万戸が停電の被害にあった。停電以外の被害がなかったかったから、他のところではこんなひどい目にあったの知らなかった。まだ小さかったせいか、何も思わなかったが、大きくなってから当時の映像を見てから、地震の恐ろしさを理解できた。

それ以降、9月21日は台湾の防災日になって、この地震を機に、避難訓練が強化された。おかげで、東日本大震災の時冷静に対応できた(千葉にいた)。

当時、揺れが強くなった瞬間でガス栓を全部止めて、窓とドアを全開し、クッションを持って頭を守りながら、テレビの電源を付けた、ニュースで逃げるかどうかを判断しようとした。「安全な場所へ避難してください」と言われたから、テレビを消して、五階にある家から降りて、下にある広場へ逃げた。

どれぐらい冷静と素早いというと、下の広場に着いた時、揺れがまだ止まっていなかった。本当に普段の訓練があるおかげで、大地震にあった時やるべき事は体で覚えてよかった(テレビを見るのは無駄だったかも?😅)。

その年の4月で日本語学校に入学して、そこで日本籍の先生にお礼を言われた「義援金のこと本当にありがとうございます」。自分は何もしなかったのに、お礼をいわれてしまった。よく年、バイトし始めた時も、お客さんが私は台湾から来たと分かったら、お礼を言う人がたくさん言った。

私はいつもこう返す
「これは日本への恩返しだよ」
日本、ありがとう❤︎

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参考資料:
仮設住宅と日台の絆《送愛到日本311震災募款晚會》近400台灣藝人齊心送愛到日本 無線有線大團結共募1億1千4百萬
921大地震
回望921》集集大地震20年,台灣當年防災救災有哪些缺憾?

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