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ヒューマンデザインの本質とは|雑談HD|vol.2

去年の2月頃ヒューマンデザインを知ってから、1年半以上経った。その時書いたヒューマンデザインの読書感想も今年に入って急に伸びったので、今回は自分がヒューマンデザインを知ってから、どういう変化があったかを軽く紹介したいと思う。

実は、ヒューマンデザインのブログを上げた間もなく、ひどい鬱症状に襲いかかった。私が何日も寝ずに、ずっと本を読んだり、ネットで色々調べたりして、無意味に情報を集めたり整理したりしていた。

だんだん声かけられても、反応が遅くなったり、目がどんどん死んでいて、それ以上悪化したらヤバそうだったので、今までうつ病はただの考えすぎたと思った母も、病院に行こうと言われた。

日本で受診したことはあるが、半年経たずでやめた。今回台湾でもう一度ちゃんと診てもらおうと思って行ったが、薬を飲んだ後の状態あまり好きじゃなかった。その時ちょうどヒューマンデザインの師匠に出会って、彼の言葉に救われた。

直感を信じて好きにすればいい
わがままになりなさい


人はそれぞれ違うオーソリティがあって、わかりやすく言うと人の司令塔、「本音」にも言えるだろう。理屈に合わないけど、本当にやりたいことを判断する場所。

他のデザインのオーソリティに関する説明はいつか紹介するので、今回は私のオーソリティである「脾臓センター」を軽く説明する。

「脾臓センター」台湾では「直感センター」とも呼び、人類が一番古い感知センター。危険を察知しそれを回避できる、わかりやすくいうと「動物本能」だ。

今まで何度も「危ない」と感じたことがあって、何度も回避できたのに、でも理屈に合わないので、直感を無視して、理にかなった行動をとった。嫌な予感があると、大体いい結果にならないが、幸い毎回最悪のシナリオは把握してあったので、なんとか乗り越えてきた。でも、トラウマになってしまった経験も少なくなかった。

そして私のタイプはプロジェクター、人口の2割くらい示すデザイン。プロジェクターの天職はアドバイザーなので、他の人にアドバイスができるように、自分はこういうことができる、あういうこともできると猛アピールしてしまう癖がある。なぜかでいうと、人に見られないと、アドバイスしてほしいと言う誘いがこないから。なので、過労死になりやすいタイプでもある、7割を示すジェネレーターと違って、自分の体力の限界を知らないからだ。

社会の束縛で直感を無視してきて、人の役に立ちたいから、誘われたらノーと言えなくて、本当はやりたくなくても自分ができるなら引き受ける、そして忙しい日々がずっと続いて、我を失った。


一番影響を受けたのは、母だった。

自分はずっと反抗期と思っているが、でも大事な決断をするときは、やはり母の言うことを従うことが多い、うちは母子家庭だからだ。母との間色んなことがあったが、でも決して恨んではいない、逆に大好きだ、でもその好きが代えて自分のストレスになった。

なので、台湾に戻った間、大好きな母と一緒に生活するのすごく苦しかった。母は悪気がなくて、全部私のためだとわかっていても、受け入れることができなくなった。それで、台湾に戻って約半年、精神的パンクしてしまった。

最初にも言ったように、自分は台湾での診療を二週間でやめてしまった。治ったわけではないが、でも自分に合う治療法を見つけたので、やってみたいと思った。


自分のデザインを知って、それを受け入れた。

  • 自分の感情は周りの人に影響されやすいから、情緒不安定になりやすい。でもいいところもある、周りの人の感情にすごく敏感なので、相手に共感しやすくて、本気で一緒に泣いたり笑たりできる。

  • 頭の中で常にたくさんな疑問が湧いてくる、答えを見つからないと、どんどん思い込んで気持ちも落ち込んでしまう。でもこれもいいことがある、なんでも興味を持っているから、好奇心が旺盛な点だ。

  • 自分は人に言われたことを素直に受け入れず、自分でやってみないとわからないじゃんと思い、周りの人に心配されることが多かった。失敗することが多いが、たまに新しい方法を見つけることができる。

軽く三つの点を挙げたが、ヒューマンデザインの面白いところは、全てのデザインには二元性があること。決して悪いデザインがないので、なんでもいいところがあるから、自分が転けやすいところを知り、それの対処法を考えればいいだ。

自分のデザインを知った後、母のデザインも調べた。正しい生まれた時間を知らないから、大まかの情報しか読み取れないが、でもそれで十分だ。

師匠はもしあなたが相手のデザインを理解できたら、一回デザインのことを忘れて、相手は生身がある人であることを思い出してください。でも相手とうまくいかない時に、相手のデザインを思い出して、相手は親であろう、恋人であろう、あなたと同じように26のゲート(表現)しかない、ただヒューマンデザインに沿って生きているだ。

それ受け入れてから、母に対するイライラする感情がどんどん減っていた、自分の鬱症状も良くなってきた。もちろん完治ではないので、ちょっとずつ軌道修正をしないといけないが、今までの「どうしよもない」の状況から抜け出せた。


今年の5月に日本に戻って、また色々あって、すごく落ち込んでしまった。自分のデザインを知って、多分こう言うことだろうと脳が勝手に合理的に説明しようとするが、悲しい感情はそれで消えることはない。

仕事をたくさん引き受けて、余計なことを考える余裕を与えないようにたくさん働いた、経済的なストレスは解消したが、他のところが壊れ始めた。

ヒューマンデザインを日本で広めたいと目標を立てたが、でも自分じゃなくても、誰かしらやってくれるだろうと、生きる気力を失いそうな時、彼に出会った。

新宿で住んでいるので、帰り道や仕事に行く途中に声かけらることは多々あった。大体は聞こえなかったふりをするか、急いていると伝えるか無視してきたが、その日だけ違った。

今月 19 日の朝、仕事帰りで朝ご飯何食べようかと考えながら信号を渡った時に、後ろから肩を叩かれた。自分はまた何か落としたかなと、ヘッドホンを外して、彼の話を聞こうとした。

彼と目があった瞬間、直感で「彼を手放さないで」と告げた。彼に声かけられたのに、こっちから「飲みにいかない?」と誘ってしまて、逆に彼の方が警戒し始めた。

彼そのときは既に酔ったので、居酒屋で私が軽く食べ飲みしてから出た、彼は会社で休む予定と言った、酔っていた彼を会社まで送ろうとしたら、まさかの信号を渡ったところにあった。あまりにも近かってので、ちょっと寂しく感じた私はまたこう聞いた「ジュースや水飲まない?」、一杯を飲む時間でも長くいたかった。

コンビニでコーヒーを買って、飲み終わったら、彼も酔い覚めてきた、でもまた別れないといけない時間になった。やばいほど彼のと一緒にいたかったから「家に来ない?」と誘った、自分は昼から別の仕事があるので、彼はその間うちでゆっくり休めた。こんな肉食になると思わなかった(笑)

仕事する間もずっと彼のことを考えて、仕事が終わった後、彼に彼女になってくれないと聞かれた瞬間、本当に泣きそうぐらい嬉しかった。

それが全て、1日での出来ことだった。


彼に出会った瞬間で、一目惚れしてしまった。暗かった道なりが一気に明るくなったように、救いだった。わがままになってみた、自分のために、彼を守りたい、彼のそばにずっといたい。

彼のことをもっと早く知りたいため、こっそりと彼のデザインを見てしまった。でも彼の生まれた時間を知らなかったので、母と同様大まかの情報しか読みとれなかった。でもヒューマンデザインを勉強した一年半後からこそ実感があったことは、彼のデザインを見るより、彼を見た方が一番正確な答えが出る。彼はどんなデザインであろうか、彼のことを愛する気持ちは変わらない。それに気づいた瞬間、彼のデザインはどれだろうと当てるのをやめた。

ヒューマンデザインは人が悩みを解決したい時のためにある道具なので、悩みがなけれた、別に見なくてもいい、世のほとんどの人が自分のデザインを知らずに生きてこれたから。ヒューマンデザインは「人のため」に作られたシステムのことを忘れてはいけない、理論より目の前の人の方が大事。

色んなデザインがあることを受け入れたら、人に対する尊重と理解または包容力を持つようになる。

これはヒューマンデザインの本質だ。


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