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【後編】Life Quest~釜石で〇〇する人たちの多様な生き方〜第17歩目「人と人をつなぐ場づくり」×東谷いずみさん

本記事は、岩手県釜石市で人生を探求し生き方を自分でつくることに挑戦し、様々な活動に取り組むゲストの生き方に迫っていくイベント型オンライン番組『Life Quest』の内容をnoteに転載しています。         
今回は、2021年2月15日に実施された第17歩目「人と人をつなぐ場づくり」に取り組む東谷いずみさんをご紹介します。 実際の放送については、こちらよりご覧ください。

戸塚)後半は、東谷さんご自身のお話をお聞きしたいと思います。今回も人生の転機になった場所に★をつけて頂いているのでそこを中心にお話をお聞きしたい思います。

わたしのLIFEQUEST

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震災

戸塚)高校2年生の頃に被災をしたんですね、、。

東谷)はい、高校2年生に被災して、冒頭でも少しふれたんですが、それが原点というか振り返る時に元に戻るのがこの経験になりますね。

戸塚)つながりというキーワードが浮かんでくるのがここになるんですか?

東谷)そうですね。ほんとに色んな方に関わったことで当時、それで乗り越えられた部分がありますし、その後も震災を切り口に色々な方とつながって、視野が広くなったということもあったのでそういう意味だと原点だなと感じますね。

戸塚)大学時代から復興支援員になると決めるまで大分波がありますが、かなり揺れた時期だったんでしょうか?

東谷)そうですね。当時、スクールカウンセラーになりたくて大学に通っていました。色んな価値観とか人に触れてといい風に書いていますが収集がつかなくなってしまって何がしたいのかわからなくなってしまいました。そういう時にスクールカウンセラーを辞めて、福祉の道に進もうと思い就職活動を進めていました。でも、ずっとこれでいいのかなともやもやしていました。ちょうどこの年の3月が震災から5年目という節目を迎えていたこともあり、被災地支援をしよう、今できることをやろうということで被災地に目を向けようと思い、新しい就職先(復興支援員)が決まり、石巻に行ったという流れになります。

戸塚)かなりギリギリのタイミングでの進路変更になったんですね。チャレンジしようということで石巻に行って、そこでまたやりたいことはなんなのかという壁にぶつかりながらもそこから段々と上がっていっているんですね。そのあたりはどんなことがあったんでしょうか?

おむすびのいえと出会う

東谷)そうですね。復興支援員に着任してからも3年という任期があったので、おのずと3年後は自分で道を決めなくてはいけない段階が来るということで1年目は目の前のことにいっぱいでした。2年目でやっと余裕ができて自分のやりたいことと向き合った時に原点となる震災に振り返ってつながる場をやろうと決めました。色んな人に話を聞いたり、面白そうだと思った場に顔を出していました。でも、どんな場にしようと悩んでいた時におむすびのいえと出会いました。

戸塚)なるほど。おむすびのいえっていうのはゲストハウスですか?

東谷)ゲストハウスです。新潟の淡島という佐渡の上にある島で、そこで女性オーナーさんが一人で運営をされていて、そこから場づくりのヒントを得たという感じです。

戸塚)それはどうしてですか?

東谷)ゲストハウスってあんまり泊まったことがなくて、イメージ的にも旅人というか泊まる人たちの交流の場だと思っていました。ここは地元の人との交流もすごくある所で、夕方の4時頃になるとおじいちゃん達が集まってきてオーナーさんと一杯かわすという光景があって、私もそこに混ぜてもらいました。そういう緩やかな時間がとても心地よかったという思い出があるんですね。私ももし場づくりをしたら、地域の人との交流もできるような場をつくりたいと思い、決断をしました。

戸塚)今の自分にできるかな?みたいそういう迷いはあったんですか?

東谷)多分あったと思うんですが、やれるかなーというのが強くて、年齢も若くて何も知らない無知な状態だったので、、、。オーナーさんがゲストハウスをやる前に保育士をやっていた方でそれがとても意外で、当たり前にできるんだなーということを教えてもらったのが大きかったと思います。

戸塚)あずま家と似た、東谷さんの等身大でやっている感じがするので、おむすびのいえが原点だったのかなとも感じますね。あずま家が始まってからすぐに上がって、早い段階ですぐ下がっているのを見て、この三年間波乱万丈というか色々あったんだなと感じるんですが、一つ目に下がっている所は(あずま家)のリノベーションの時だったんでしょうか?

東谷)そうですね、、この時期やることがとにかく多すぎて、手順の組みかたというか何をやってもうまくいかない時期で、忙しかったのは覚えていますが、正直あまり記憶がないです。

戸塚)かたや日中はリノベーション作業で肉体的に疲れている中で、旅館業の許可や申請書などを並行してやっていた5か月ということになるんですか?

東谷)書類の調整などでたくさんのの方にご迷惑をおかけして、誤っていた時期がここら辺になりますね、、、。

戸塚)はたから見ていても怒涛だったんだなと思うんですが、その時の自分を奮い立たせていたのってどんな理由があるんでしょうか?

東谷)ひたすら走っていた時期だったので、とにかくやらないとみたいなのはありました。やめるという選択肢はなかったです。場づくりをしたいと自分で決めたので、手放すという選択肢はなかったです。

戸塚)なるほど。9月はラグビーワールドカップがあったタイミングで、オープンしてそのまま忙しかったですか?

東谷)めちゃくちゃ怒涛でしたね、、。回すのに精いっぱいだったんだと思います。

コロナ

戸塚)WCの怒涛の時期が終わって、去年の今頃コロナになってそこで凹んだタイミングになったと思うんですが、そこでの苦労や悩みなどを少し教えていただきたいです。

東谷)そうですね。コロナになって思うように運営ができなかったというのが正直なところで、2年目で本格的に動かし始めて、3年目に向けて力をいれようとしてきた段階でのコロナだったので、人が来てくれて成り立つ場なので、それがないといつまでも静かな茶の間で、やっている感がなく、一年振り返って何をやってきたんだろうという感覚に陥る感じだったんですが、一方で自分やゲストハウスのあり方と向き合う期間にはなったと思います。今後自分がどういう方向性でやっていこうかじっくり考える機会になりました。

戸塚)コロナで業種によって影響があってお店によって、閉じたり業態を変えたりしていると思うのですが、あずま家さんの場合は宿業を閉じようとは思わなかったんですか?

東谷)最悪、宿業を閉じることは考えてはいました。知り合いのゲストハウスでやめたというのをきくとそういうのも頭によぎるというかというのもありました。始めるのって何とかやろうと思えばできて、継続していくことがこんなに難しいんだと感じる2年間でした。

わたしにとって釜石とは?

自分を試した場所

東谷)まさしくその通りなんですが、震災当時、自分の無力感を感じていました。周りの活躍している大人たちの姿を見ていい意味で嫉妬していました。ローカルベンチャーもそうなんですが、そのような人たちに早く追いつきたいという嫉妬感が常にあって、そういう意味で自分の力でどこまでできるのか試した場所が釜石かなと思います。

わたしにとって人生の道しるべとは?

納得感

東谷)何かを決断したりするときって何か自分が腹落ちしていないことだとすごくモヤモヤして気持ち悪いんですよね。その中でなにか納得感があると後で振り返った時に「自分で決めたことだから」と相手のせいにもしないですし、自分の中である意味責任感がもてるのかなと思っています。

平元)だから色々あっても、向き合って立ち止まって元に戻って、軸がしっかりしているんですね!

戸塚)うんうん、軸がぶれていないですよね。(東谷さんが)40代になっていってどんな女性になるのかすごく楽しみだなと思います!!      東谷さん、ありがとうございました!!

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