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熱量希薄なディストピア小説。芥川賞『東京都同情塔』レビュー

 今期芥川賞を『文藝春秋』三月特別号で読了。ここしばらく、どの受賞作も肌に合わず毎回、不平不満をならべるばかりだったが、本作は興味深く読み遂せた。決定の報を聞いたとき笙野頼子の系統かなとの根拠なき印象を抱き、いくらか期待するところもあって候補作発表時点以降すぐに書店には並んだ同書を手にしかけたほどだった。
 本作は、所謂ディストピア小説である。好んで親しむジャンルではないが、近年ではカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』を抱きしめるように読んだ。古くはジョージ・オーウェル、レイ・ブラッドベリ、オルダス・ハクスリーなど傑作勢揃いの分野だし、今をときめく村上春樹もある意味、この種を得意とする作家であり、その観点からすると多くに歓迎される新人作家の登場ということなのだろう。政治批判の側面もあり、勝手な先入観を抱いた、いっとき「メタの女王」などと称された笙野頼子に近い趣がなくはなかったが、それほど苛烈ではなかった。作中、三島由紀夫の日本遺産(?)『金閣寺』に言及する箇所があって『美しい星』の系譜に連なろうとの意気込みなのかなとも思うが、結構としては、大江健三郎の『治療塔』を連想させられた。読みながら、そのようにあれこれの思いが去来した時点で同作の力量十分と受賞を慶賀する。
 惜しむらくは、並ぶ言辞の熱量の希薄さである。なぜザハ・ハディドの国立競技場が実現した未来なのか。主人公牧名沙羅のキャラクターデザインは魅力的だし、AIの取り込み方も巧みであるのに、作品世界のひと言ひと言に切実感がなかった。設定そのものの必然性がついに受け止めきれなかった。結末も安直。提示されたイメージに先鋭なものなんらなく、息切れか、と肩透かし。せっかく積み上げたものを、なんとか収斂させてほしかった。老齢ゆえの感受性の減退で希薄と体感するしかなかったのなら、作者でなく読者側の、しかもあくまで個人的な問題でしかないのだが、通読中、言辞も設定も、ずっと、ツール、意匠、という印象でしかなかったのである。
 ・・・、いや、もしかしたら、この上滑り感、乾いた感覚、無機質感こそが作者の意図するものだったのかも知れない、とここまて書いて、そうも思わされた。保坂和志が誉めた前作『しをかくうま』を機会あれば読んでみよう。

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