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OK.Google

分からないことは
調べればなんでも出てくる世の中。
それはとても便利なこと。
でも時折、私に勉強不足を突きつけてくるような
厳しい世の中でもある。

社会に出てから、「仕事のできる人」とは他の人がめんどうがって放っておく問題を調べて解決する人だと分かった。


たとえばパソコンで事務処理をしているとき、
「Excelの表の作り方が分からない」とか「もっと簡単に操作できたらいいのに」という不満が出てきたとする。
私なら、これどうにかならないかなってあれこれイジってみる。ダメなら周りに助けを求める。解決策を教えてもらえなければ、諦めて従来の形で作業を再開する。不満を抱えながら。


でも、仕事のできる人はちがう。
もちろん周りに助けを求めることもするだろうけど、その前に自分で調べてみる。「今の時代、ネットで検索すれば大方のことが分かる」ってことを理解しているからだ。
そして自分の不満を解消して、作業の効率化を図る。すると、こなせる仕事が増える。自然と全体の作業改善を図ることになる。
だから、仕事ができると評価される。

仕事のできる人と「あの人仕事ができるってみんなに言われて羨ましい」って嘆くだけの私との違いは、疑問や問題を解消するために自分で調べるかそのまま放置するかの行動の差にある。
ということまでは分かった。
だから、仕事で評価を得たいのなら疑問をそのままにせず、調べて解決できるよう努力すればいい。
そう思いはするのだけど、、、。


私の小さな世界でさえ、疑問や問題が溢れ過ぎてすべてを解決しようなんて思うとパンクする。
調べたらなんでも出てくる便利さが
私をなんでもできる気にさせて、疲弊する。
力みすぎてしまう肩のちからを抜きたくて、仕事のできる人を目指すのはやめにした。
だから、私は余計なことは検索しない。
自分の興味のあるお出かけ情報と、料理の作り方ぐらいにしておこう。そう決めた。
それなのに。


今の職場で私が素朴な疑問を口にするとき、
リフォーム業者に訪問見積もりを依頼したとき、
そんなふとした瞬間に
「ネットで調べれば簡単に出でくるんですけど」という言葉を受けとって、傷つく自分がいた。

この言葉を聞くたび、
なぜだか「調べれば分かることをほっておいてるあなたが悪い」と責められる気がしてしまうのだ。「検索すればすぐ出てくるのに。そしたらすぐに解決したのに。あなたは本当に不勉強ですね。」と、誰かが私に囁く声が聞こえる。
だから、「私はできない人間だ」なんて、自分で自分を責めて落ち込む。
相手は何の気無しに放った言葉であることは理解しながらも、やっぱりチクチクと刺さる言葉となっている。

便利が私に牙をむいている。