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四天王寺とゆかりの深いもうひとつの踊り念仏



大念仏寺。

大阪市平野区。融通念仏宗本山。大阪市内最大の木造建築。

踊り念仏、時宗の一遍より百五十年前、1117年、四天王寺で修行していた、良忍が、四天王寺西門鳥居の下で、美声の念仏を唱えながら踊ったのが、はじまり。1127年、聖徳太子の夢告をうけ、現在地に念仏道場を開く。

1321年、法明が再興。以後発展をとげる。

古くは、亀鐘寺と呼ばれたこともあった。



写真2*融通大念仏亀鐘縁起。

宗祖良忍が鳥羽上皇から賜った叩鉦(たたきがね)を、法明は海路の嵐を鎮めるため海に投じた。その旅の帰路、亀が鉦を背負って現れた。亀鉦、と名ずけた。ゆえに、亀鉦(鐘)寺と呼ばれることもあった。



写真3*万部おねり。当麻寺の練供養を模した。寺のご本尊は、十一尊天得如来、という、来迎図掛軸で、その場面を演じる。

踊り念仏、おねり、と芸能にちかい信仰と言えます。聖徳太子が、舞楽を重視した伝統を、念仏に生かしたものです。

彼岸の時期は信徒さんが四天王寺で先祖供養の踊り念仏をなさいます。当然、本山の大念仏寺でも先祖供養の法要をなさいます。

亀鉦伝説に、亀井水のイマジネーションがかかわっているかは、わかりません。良忍も法明も、当然亀井水を熟知していたでしょう。水に沈めた鉦が、亀の背に現れる、のは亀井水の暗喩とも。

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