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統国寺と朝鮮の弥勒信仰

日本と朝鮮半島の交流史をふまえ、加筆しました。

大阪市JR天王寺駅すく、天王寺公園に抱かれるようにして、建つ、統国寺です。

公園から直接はいることは出来ませんから、谷町筋に出てから、まわりこみます。

境内入口には、百済寺旧跡、とあります。

四天王寺建立のために、朝鮮半島からやって来た人々が、四天王寺と同時に建立した寺と伝わります。ならば、日本最古の寺院の一つです。

境内はいり、すぐ、ベルリンの壁が移設してあります。朝鮮半島の分断から、平和統一を願うシンボルです。

本堂正面両側には、半島渡来にふさわしく、亀趺が迎えてくれます。

鐘楼のしたは、弥勒堂。古代新羅では、美少年を弥勒の化身とする花朗(ファラン)信仰がありました。日本とは伽耶をめぐり対立していた新羅で、百済との関係も友好的ではなかったものの、文化的な交流はあったはずです。飛鳥時代の静謐な弥勒半跏思惟像は、新羅伝来のものです。

花朗信仰は聖徳太子信仰にも重なる。新羅の使者は四天王寺の亀井水も観察したでしょう。後の統一新羅の時代に、雁鴨池に亀井水そっくりの二段石槽が作られます。日本との和平を祈願して亀井水を模倣したのだと、私は考えます。

百済、高句麗が滅び、新羅が朝鮮半島統一へ動き始めたなか、674年、築造された庭園、雁鴨池。そこに、亀井水そっくりな、二段石槽がある。

また、日本に続き女帝が誕生したのも新羅です。女性蔑視の中国ですが、そこでも則天武后が登場します。女帝の時代が連動します。

江戸時代には、禅宗の黄檗宗が伝わりますが、そこでは布袋様が弥勒菩薩の化身とされます。古代の美少年信仰とえらいちがいですが、弥勒堂には布袋様もおられます。

本堂の裏の狭い通路を ぬけたら、茶臼山と河底池を展望する、舞台に出ます。裏門は閉じられています。

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