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四天王寺の鳥居そのものが、信仰される、不思議。

さて、covid19で、人の集まる法要は極力さける、というなか、彼岸の中日を迎えます。

四天王寺さんにとり彼岸が特別なのは、西門の鳥居の真ん中に、夕日が沈んでゆくのを、礼拝できるからです。

平安時代はまだ木造の鳥居でしたが、四天王寺の鳥居は、極楽浄土の東門でもあると語られていました。

鎌倉時代になり、忍性の勧請により、石造の鳥居になりました。それがいまでも守られている。中央の扁額には、釈迦如来   転法輪所    当極楽土  東門中心、と書かれています。

たとえば、中世の説経節、山椒太夫には、命がけで逃げて衰弱しきった厨子王が、この鳥居に触れただけで復活する、と語られています。それを、小説にした森鴎外は、四天王寺の鳥居の場面を省略してしまいました。残念です。

ところで、普通に通りすぎるだけでは気がつかない、不思議があります。

向かって右側の足元に、四つの出っ張りがあるのです。円柱形に石材を切り出すのに、わざわざ出っ張りをつけるのは、手間のかかる加工です。深い意図があって作られたものにまちがいないのです。俗説では、カエルだと言い伝えられています。

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なんとも不思議な出っ張りです。これがなにか、解明されたら、大発見かもしれません。

四天王寺の中心軸は、南北です。正面は南大門となります。南大門まえには、松並木の参道に、土塔と呼ばれた塚、万代池、祇園信仰の土塔宮など、大切な史跡がありましたが、昭和の始めに、市電を通すために、すべて失われました。なんでそんなことをしたか。いまは、天王寺駅前を終点とする阪堺電車が、当時は、四天王寺西門前が終着駅でした。そこに、市電の乗り換え駅を作るために、四天王寺の南側をななめにけずってしまった。

南大門の参道の景観が失われ、ますます西門が参道としてにぎわうようになりました。

亀井水の分析からわかったことは、南北軸にくわえ、太陽軌道の東西軸も、創建当時から重視されていたことです。亀井水は朝の太陽礼拝の水鏡である。その太陽信仰が、夕陽を礼拝する極楽浄土信仰に転化していったものと、思われます。

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