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知能の高さよりも知恵ある方が生きやすい。

この前ネットで読んだのか、はたまた雑誌だったか記憶は定かではないものの、IQの差が大きいと相手と会話が噛み合わない…みたいなこと書いていた。

それを見て「にゃるほど(=^ェ^=)」と思ったのね。

これまで会話した相手を思い出してみたんだけど、ワイより確実に賢くて勉強もできるハズなのに、一向に会話が噛み合わない人っているの。『ワイの理解力の問題か!?』なんて心配になってしまうけど、たぶん違う。

で、その時の会話を思い返してみると、こちらからの問いかけに対する答えじゃなかったり、ムダに言葉の装飾をするから全く伝わらない言葉になってるんじゃねーか?と思った次第。


こっちが『Aか、Bか?』と問いかけてるとしたら、相手からは『そうではなくてCがDになって、Bという存在が〜』みたいな感じ。いや、CとDは出て来ねーだろ、と。どっから来た、C・D。

そして、やたらと小難しい言葉で伝えてくることもあるんだけど、アレってダメだよね。自分の頭の中にある知識が基準になっちゃってるから、相手も同じレベルと考えて無意識に喋ってるんだと思う。

ここから分かることは、

・空気読めない

・相手のレベルを測れる想像力がない

・自分基準でしかモノを喋れない

ってことじゃないっすか。

正直言っちゃうと、だから相手に嫌われるんですよ。相手が自分に合わせるべき!という意識(無意識含む)があるから疎まれる。ただそれだけです。

◆分かりやすい例えができる人

本当に賢い人って、相手の理解力に合わせて話すことができるんですよね。伝えたいことをそのまま伝えるんじゃなくて、相手が理解できる言葉を選びながら話せます。そういう人の話は面白い。


また、理解しやすい例えがスマートにできます。例えば身の回りのことや、ちょっとしたユーモアを交えて頭にインプットしやすいものに置き換えたり。

それが普段の会話で出てきます。それこそ会話の流れに合わせた例えを考えられる瞬発力や、相手の理解力を会話しながら測ることができる分析力の賜物ではないだろうかと思います。

◆勉強ができても生き残れるとは限らない

知識を豊富に持っていても会話が成立するわけではないですし、相手が活かせない情報をどれだけ伝えても意味を成しません。

そもそも知識とは活かすものです。自分自身がそれを活用することもあれば、他人に知識を伝えて活かしてもらうことも。そのためには言語コミュニケーションはとても重要なものになります。


伝えるとは「伝わって初めて成立する」ので、一方的に知識をひけらかして、それが相手に伝わらなければ伝わったことにならないんですよね。

学生時代から勉強に取り組んできた人には尊敬の念を持っています。ワイは勉強を疎かにしてましたからねぇ_| ̄|○ しかし、それを活かせず、その頃の栄光にだけ縋っている人には全く何も感じません。

軽蔑する気持ちはゼロですが『勉強ばっかで生きる知恵が無いから可哀想やん』くらいは思います。

◆本当の「賢さ」とは?

やっぱり大切なのは生き抜く知恵に限ります。


勉強をしてきた人も、してこなかった人も最終的に必要なのは生き抜く知恵があるか無いかだけだと思うのです。

勉強はサボりまくっていても、大人になって活躍している人はいます。それは社会生活を送る上で必要な知恵を蓄えているからに他なりません。

それは相手の心情を読み取る力だったり、自分の能力を最大限活かす戦略だったり、類稀なるコミュニケーション能力だったり…と様々です。しかしそれぞれがこの社会で生きていくための武器を持って戦うことができています。

勉強を努力してやってきた人は、やはり強いです。その人たちが生きる力をも持っているならこれほど強いことはありません。ただ、知識に溺れ・自惚れて、生きるための知恵に使えないならば勉強してきたことは無価値になります。

自分自身が蓄積してきたことの価値をゼロにしないように、大人になってからも学びを止めない姿勢こそが大切っすね。

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「言語化」をテーマに見つけた本。


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