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ハッピーな生き方。

さて、今日は何を書こうかな〜
なんて考えてたんだけど
ふと「人生観」を書いてみようと思った。

なぜかは分からない。

神が降りてきたのか
ワイが神の元に馳せ参じたのか?


では本題。

ワイは少し変な思考をしてると思うの。
けれど、この46年の人生を歩んできて
『うわ〜、損したわ〜🙀』って思ったことは
たぶん無い。(思う瞬間はあったかもだけど)

結構ハッピーハッピーハッピー♪な人生だった。

別にお金持ちの家に生まれたわけでもなく
順風満帆な人生を送ったと言えるわけでもなく。

それでもハッピーセットな気持ちになれるのは
今の自分を育むことができたことだろう。
知らんけど。

では今の自分とはなんぞや?

それは
(1) 数多の経験から恥と痛みを学ぶことができた
(2) 人生を自分自身で決めることができた
(3) 自由で柔軟な思考を手に入れられた
(4) 信じられるのは自分だけって気づいちゃった

この4点では無いかと。

特に4つ目は自分にとってはデカいと思ってて
これがあるからブレずに全うできたと思う。
(周りに流されないって意味で)

ちょっと話は逸れるけど、
多くの人って誰かを頼ろうとするじゃないですか。
何かに依存して生きようとするじゃないっすか。

だから宗教って無くならないし
社畜という存在になってしまうし
誰かに騙されて不幸になる人が多かったり。

『最も強い生き方ってなんだろう?』

そう考えた時に出てきた答えは

✨誰にも頼らない生き方

✨誰ともツルまない生き方

この2つなのです。Death。


このように書いてしまうと
それって孤独なんじゃね?
と思われるかもですが。

これまでの経験を振り返ってみると・・・

人に頼って良い結果につながった記憶がない

誰かとツルんでマトモな行いをした試しがない

ってことに気づいたワケで。

誰かを頼ることが当たり前になると

⇨自分で物事を決められなくなる。

⇨自分の責任ではなく誰かに責任を求めがち。

誰かに依存する癖が付いちゃうと

⇨自分の考えを全うすることができなくなる。

⇨何が正しいかを判断できる力が低下する。


最も強い生き方は、

自分の人生に責任を持つこと。


そもそも誰かを頼るという行為は
相手を利用するって意味と同じですぜ。
言い方を変えただけに過ぎない。

だってそうでしょ。
・自分の問題解決のため
・メリットを見出すため
・決断力の無さを補うため
他人のチカラを借りるだけなのだから。

そして誰かを頼り切ってしまうと
相手に依存しきってしまうのですよ。
それは中毒症状に似てる気がする。

ワイも他人を利用することがあるけど
それは自分で決めるべきことを
相手に決めてもらうためではない。

自分の判断を補強するためとしか考えてないっス。

自分の判断に迷うときはままあります。
しかし最終的に決断するのは自分だから
その判断を補強するために他人に知恵を借りる。

借りた知恵をそのまま取り入れるか
自分の解釈を加えてアレンジするか
それを決めるのも自分。

だからこそ、
自分で決めたことに責任を持てるし
その判断の結果で他人を責めることもない。

これが自分の人生を自分で決めるということ。

だから後悔することは原則ない。
「原則」と書いたのは瞬間的に後悔はあるからwww
(あるんかい!)

失敗したとしても振り返って次に活かせるし
成功したら成功した理由を自分で掘り下げるし。

自分の行動や言葉に責任を持つって
こういうことなんすよ。

さっき「他人を利用する」と書いたので
ワイはとても酷い人間に思われるかもですが
実は常にギブ&テイク思考なのですよ。

自分の得られるメリットと同等またはそれ以上に
相手にもメリットを得てもらうことを考えてる。
この考え方ってとても大切だと思うの。

相手から得てばかりで
自分から何も提供しないってのは
とても卑怯で利己主義だと思うし。

相手にとってもメリットがあれば
Win-Winの関係が維持できて
末長くお付き合いすることができる。
メリットのある情報を得ることができる。


今日はそういうお話。

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