ウズベキスタン旅行記 #10:ブハラの風景と人々
2019年に訪問したウズベキスタンの旅行記です。
前回の記事:#9 ブハラのスザニ刺繍
一般的にサマルカンドやヒヴァに比べると、ブハラは有名ではないかもしれない。しかし町歩きをしていて一番楽しかったのはブハラだった。
今回は写真とともに、ブハラの町歩きで出会った風景や食べもの、人々との思い出を載せていく。
タキ・バザール
ブハラの西側にはタキバザールと呼ばれる場所がある。ドーム型の屋根が特徴的な建物で、昔は人の行き交う場所として隊商などが訪れたそうだ。
今はスザニや香辛料、工芸品など観光客向けの土産物がたくさん売られている。
日中は観光客で賑わうタキバザールも、早朝はまだ観光客もまばらで静かな空間であった。この瞬間だけは昔と同じ光景だったかもしれない。
ブハラの工芸品
前回の記事ではスザニ刺繍のことを書いたが、ブハラには他にも民芸品・工芸品がある。
最も有名なのはコウノトリを模したハサミであろう。
タキバザールの一角に工房を兼ねた店舗があったため覗いたところ、ちょうど日本人団体客が説明を受けている最中だった。値段ごとに材質やデザインが異なるらしく、自分へのお土産用に1つ購入した。
ひとつ30ドル。鶏冠があるのがオスで、ないのがメスらしい。
タキバザールの通りには他にも店舗があったので、お気に入りのデザインのハサミを探すのも楽しいかもしれない。
これはリャビハウズ近くで購入した細密画。青年が手描きしていたもの。
前に訪れた町・ヒヴァにもあったが、ブハラにも絵付けされたお皿が売られていた。どれも細やかで、スザニと同じくらい華やかである。
タイル状のものも売られていたため、鍋敷きに使えるだろうかと思い購入した。値段は5ドル。
この場所で先程のハサミ屋にいた日本人団体客と遭遇し会話したが、ツアーだと時間の都合であちこちは見回れないと嘆いていた。
ブハラは1日もあればメインの観光スポットは見られるが、個人的には2日は確保してゆっくりと町を散歩する方が楽しめるとは思う。
同じ店で、不思議な生き物とも出会った。羊のようなヤギのような怪獣のような。
手作りならではの雰囲気がかわいく、思わず購入した。
値段は3ドル。置物かと思ったら実は土笛だった。
日本まで割れずに持って帰れるだろうか。
ブハラでの食事
一人旅の時は食事も当然一人でとることが多いのだが、ウズベキスタンでは珍しく現地で出会った日本人観光客と一緒に食事をした。
2019年当時はそこまで日本人観光客が多くなく、なんとなく「珍しいところにお互い来ましたね」という感覚があったからかもしれない。
この日はヒヴァ駅で出会った日本人の方と、ブハラのレストラン「Art Restaurant」で食事をした。
これはウズベキスタンに来たら食べたいと思っていたマントゥ。いわゆる蒸し餃子。
名前からは「まんじゅう」を連想させるが、形は小籠包に似ている。食べてみると、数年前にポーランドに行った時に食べた「ピエロギ」という餃子のような食べものを思い出す食感だった。
どちらも日本の餃子よりも皮が厚く、もっちりとしている。国によって違いはあるものの、似たものが各地にあるのは面白い。どこからやって来て、どのように派生していったのだろうか。
こちらは牛のシャシリク。見た目通り、串焼きである。本当はウズベキスタンらしくラムが食べたかったのだが、この店には何故かなかった。残念。
二軒目的な感覚で、宿泊しているリャビハウズホテルのレストランで一杯だけ飲んで解散した。ここのレストランはそういった使い方もできるので、なかなかおすすめかもしれない。
ウズベキスタンで飲むモヒートは、思ったよりもしっかりとモヒートだった。
ブハラ最終日には、リャビハウズの隣にあるレストランで昼食を食べた。
座席でくつろぐ、絶対に目を合わせてくれない猫。
ここで食べたのはプロフ。
ヒヴァでも既に食べていたが、具材が地域ごとに違うと聞き食べ比べることにしたのだ。
ヒヴァで食べたものとの違いとして、ブハラのプロフにはレーズンが入っていた。かつ、オイリーさも少し増していた。ウズベキスタン名物のお茶がとてもよく合う。
もしかしたら、この乾燥地帯に対抗するためにここまでオイリーなのかもしれない。
なんて考えが、プロフでテカテカになった唇を拭いている時にふとよぎった。リップクリームいらずである。
このオイリーさは蒸し暑い土地で食べるよりも、乾燥したこの土地で食べる方が絶対に美味しいはずだ。
暑い寒いの違いによる食と土地の相性はあると思っていたものの、油っこいかどうかでの食と土地の相性があるとは。新しい気づきであった。
ブハラの町並みと人々
ブハラは東西交易の地として古くから商業都市として栄え9世紀にはサーマーン朝の都となったものの、13世紀にはかのチンギスハーンにより征服され徹底的に破壊されてしまった。
一番古い時代のものが今日のブハラの町中にどの程度残っているかは分からないが、一歩裏道に進むと、長い年月を感じる部分が確かにあちらこちらに見え隠れしていた。壁の剥げも、塗装の落ちかけた扉も、年月を経たからこそ出る味わいだ。
ブハラに限らずだが、この頃のウズベキスタンでは日本人観光客がまだ多くないためか、どこへ行っても「視線」を感じることが多かった。関心からなのかもしれないが、正直なところ気疲れする部分もあった。
一方で、町歩きの最中に学校の横を通った時は、下校中の女の子たち3人が揃って「ハロー!」と声をかけてきてくれた。同調するように、学校の柵に登り私を眺めていた女の子たちも「コンニチワ!」と笑顔で挨拶をしてきてくれた。
子どもたちだけでなく、別の通りでもすれ違いざまに若いグループから「コンニチワ!」と言われたり、道端にいた子どもとおばあちゃんから笑顔で「バイバイ〜」と手を振られることもあった。
商売目的とか観光目的とかそんなものは一切ない場所でである。なんて優しい場所なのだろう。
これだけでブハラが好きになってしまう。
町の中には、少しだけ前の頃のレトロな名残を感じるようなものもあった。
オリンピックのマークは、きっとモスクワオリンピックのものだろう。ウズベキスタンがまだソビエトの統治下にあった頃のことだ。
さまよい歩いていると、大きな市場にも遭遇した。食材から生活用品までありとあらゆるものがあり、なかなかにカオス。
更にあらゆる方角からの視線が加わり、頭の中には「異邦人」という言葉が浮かんでいた。
ここでは私は異邦人なのだ。
最後に町中で出会った風景をもう一枚。
ホテルの近くにあった謎の場所。明らかにあのロゴだが、ここは一体なんだったのだろうか…。
サマルカンドへ
ブハラを去る時間となり、後ろ髪を引かれつつ駅へ向かった。ここからサマルカンドへは再び高速列車で向かうことになる。
ブハラ駅の外観を撮ろうとiPhoneを構えたところ、前を歩いていた親子から「iPhone!!!」と歓声が上がった。ウズベキスタンでは突然iPhoneが人気になる現象が時々発生する。
彼らはそのままポーズを決めて映り込んでくれた。
駅に入場する私を、彼らは「グッドラック!」と笑顔で見送ってくれた。幸先が良さそうな出発だ。
気分良くサマルカンド行きの高速列車に乗り込んだ。
つづく
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